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記事の中で映画、ゲーム、漫画などのネタバレが含まれているかもしれません。気になるかたは注意してお読みください。
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私がネタバレを嫌う理由

こんにちは。井上うまるです。
デザインをしたり、イラストを書いたり、たまにプログラムを書いたり、サービスのコンサルをしたり、様々な創造のお手伝いをしています。

突然ですが私はネタバレが嫌いです。ネタバレをされたからといって人を襲うことはありませんが心底ガッカリします。酷い時は発狂します。

ネタバレという行為について何も思っていない人に同じ気持ちになって欲しいとは全く思いませんが、このnoteを読むことで私のようにネタバレを嫌う人たちが一体どういうロジックでネタバレを嫌うのかということがわかる内容になっています。



ネタバレとは

ネタバレとは何かwikipediaには以下のように説明されています。

ネタバレとは、作品(小説、劇、映画、漫画、ゲームなど)の内容のうちの、物語上の仕掛けや結末といった重要な部分を暴露してしまうこと。またはその情報のこと。物語性のある内容以外にも、生中継ではないスポーツの勝敗などが意図せず露見してしまうことに対して用いられることがある。

ネタバレをする人のことを英語ではスポイラー(spoiler)と言うそうです。害を意味するスポイル(spoil)から来ています。スポイラーは、人の楽しみなどを台無しにする、ぶち壊し屋を意味します。


ネタバレが嫌い過ぎてSNSをやめたくなる

現代の情報社会の中でネタバレを防ぐのはなかなか容易ではありません。

例えば、Twitterのトレンドやタイムラインで毎週楽しみにしているアニメのネタバレが起きることがあります。リアルタイムで観れない自分にも落ち度がありますが、出会いたくない情報にうっかり出会ってしまった時は本当にSNSを辞めたくなります。

今はネタバレを防ぐため、トレンドには、日本とは全く関係のないアイスランドの情報を表示させるように設定しています。最近は日本のトレンドも作為的なトレンドが目立つことがあるので、それを不快に感じたことがある人も、トレンドの設定を見直すのはおススメです。
ミュートワードを設定することもネタバレを防ぐのに役立ちます。最近では長押しで簡単に設定できるようになったので、私と同じような需要があるということなのかもしれません。

これら設定を駆使しても、この世からネタバレを完全に防ぐことはできません。例えば友達から直接聞いてしまうということもあります。

私の場合、作品(小説、劇、映画、漫画、ゲームなど)に対してのネタバレに気を付けていますが、スポーツの結果のネタバレは、もしかすると作品のネタバレより、防ぐのがさらに大変なのかもしれません。帰りの電車の中での他人の会話、電光掲示板、等々ネタバレに遭遇しそうな箇所がたくさんありそうです。


コンテンツ愛

ネタバレの説明の中で「物語上の仕掛けや結末といった重要な部分を暴露してしまうこと」とありますが、作品においてどの部分が重要かは人によって違います。例えば、物語の筋とは直接関係がないような「オープニングがカッコよかった!」という情報でさえ私にとっては全く聞きたくない情報であり、楽しみを奪われたと感じます。

どうやらその感情は私のコンテンツに対する愛から来ているようです。
私は職業柄コンテンツを提供する側にいますので、例えばアニメひとつにおいても様々な要素を含んでいるコンテンツだと捉えます。

アニメ制作で言えば、プロデューサー・監督・シナリオ・キャラクター・演出・絵コンテ・原画・動画・色指定・仕上・美術監督・背景・撮影監督・デジタル撮影・CGクリエイター・編集・声優・音響・制作進行など様々な人が携わっています。それぞれがアニメに様々な要素を与え、それら全てが集まってひとつのコンテンツになるのです。

オープニングからAパート、Bパート、Cパート、エンディング、次回予告まで、全てが揃って一つのコンテンツだと思っている自分にとっては、たったオープニング一箇所のネタバレであろうと知りたくないのです。かっこよいという情報ですら、その作品をどのように見せたいのかという演出であり、コンテンツを構成する重要な要素なのです。


作品との初体験を奪う行為

ネタバレとは作品との初体験を奪う行為だと私は考えます。
完成された作品、自分の大好きな作品は、自分の目と耳で初めてを体験したいのです。愛する人との初体験を他人に奪われる気持ちなら想像しやすいでしょうか?それが私のネタバレをされた時の感情です。

初であることが重要なのです。当たり前ですが初めてじゃなければ初体験ではないのです。

なぜ、そこまで初にこだわるのかというと、そもそもコンテンツ自体がネタバレを前提に作られていないからです。逆に言うと初体験を前提に作っているとも言えます。制作側は、観てくれる人との初体験を常に最高の体験にしようと考えているはずなのです。ネタバレをみて情報を得てから作品を観ることを推奨するコンテンツは(基本的に)この世にないでしょう。

作品側が初体験な気持ちでいるのに、自分の方が勝手に初じゃない状態で作品に対峙するのは失礼な感じもします。


ネタバレは作品の楽しみを奪うか

2011年にカリフォルニア州立大学心理学部が学生30人を対象に行った実験で、推理小説のネタバレをされた読者の方が作品をより楽しめたという結果があるそうです。

たしかに推理小説の場合は、真相を知ったうえで作品をみる楽しさというのもありますが、それは本来二度目を読む時の楽しみ方です。ネタバレをしてから読んだ人は、真相を知らずに読んだ人が感じる初体験の気持ちを、もう二度と一生味わうことはできません。それはとても勿体ないことです。

作品によっては、あえて複雑に作られ一度見ただけではわからず何度も見ることを前提で作られているような作品もあるかもしれませんが、そういった作品だとしても、初めて見て感じる自分の純粋な感情というのは、そのたった一度きりしかないのです。私が言いたいのは決して初めての体験が最も良いということではありません。情報ゼロの状態で作品のみから感じる初めての体験や感情は、本当にその一度しかないのに、そのたった一度の体験を捨てるのは非常にもったいないと思うのです。

私自身、大好きな作品は、作品をより深く知りたいと思って考察記事を見ることもありますが、作品より先にそれをみることは絶対にありません。より好きな作品ほどその作品とのファーストコンタクトを大切にします。

極端なことを言えば、「面白かった」「つまらなかった」というネタバレ抜きの他人の感想であっても実はあまり耳にいれたくありません。他人の感想で自分の感情が影響されることはありませんが、作品と真摯に向き合おうとしてる時に、他人の感想は私にとってはノイズです。変に期待値が高まっても下がってもよくありません。完全にフラットで素直な自分で作品と対峙したいのです。

ネタバレは作品の楽しみを奪うかという問いに戻ると、作品との”初体験”の楽しみは確実に奪います。作品の楽しみすべてを奪うかといえば、そうではない場合もありますが、ストーリー性の高い作品の場合は、ネタバレは致命的であり楽しみを奪うと言うことができます。

少しニュアンスは違いますがネタバレで訴訟になったり逮捕されたケースもあるそうです。ハリーポッターの最新刊をめぐるネタバレ騒動も大変残念な事件でした。ネタバレを嫌う私にとっては、ネタバレはある意味犯罪に近い行為のようにすら思っています。


さいごに

ここまで、なぜネタバレが嫌いなのかについて自分の考えを明らかにしてきましたが、実は制作側にとってはSNSで「オープニング超かっこよかった!」など好意的なコメントを書かれること自体を迷惑と考える人は少ないかもしれません。作品によっては公式が若干ネタバレめいたこと、例えば未公開のワンシーンのスクショをSNSに載せてしまうこともあったりするし、そういうものを見たりすると、私のネタバレ嫌いの感覚は少々度が過ぎているかもしれないという自覚はあります。

最初にも言いましたが、このnoteはネタバレへの配慮を訴えるものではありません。もちろん他人への配慮が行き届いた世界は素敵ですが、配慮を強制する世界もまた堅苦しいと思います。

私のような偏屈な奴も世の中にはいるということを少しでも知るきっかけになり、そういう色々な人がいるこの世界に面白みを感じてもらえたらに嬉しいです。

今後もネタバレは基本自己防衛で気を付けつつ、愛するコンテンツを存分に楽しんでいきたいと思います。


[追記]
この記事の上部に、ネタバレについての注意書きがnoteのシステムにより自動表記されています。このようにネタバレについての配慮されていることは大変素晴らしいことです。

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