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感謝に感じ取れない「感謝」

最近気づいたことがあるが、わたしの感じ方には賛否両論ありそうだ。
寧ろ批判の方が多くあるかもしれない。

だからこそ、綴ってみることにする。

わたしはどうやら
無闇やたらに「感謝」という言葉を多用するのが
あまりすきではない。らしい。

例を挙げるなら
「いま生きていることに感謝」
「友人の○○に感謝」
といった具合である。

もちろん、感謝の念を抱くこと自体はとても素晴らしいことだ。

わたしは人生の8割、運の良さでここまでやってきた人間だと思っている。
日々の出来事や関わった人々に対して、感謝の気持ちを持ち続けていることには違いない。
けれど、いざ言葉に表そうとすると何故だか腑に落ちない。
「~~に感謝」という一言がやけに薄っぺらなものに感じられて
もやもやした気持ちになることも多くあるのだ。

ただ、先ほどの例文も
「いま生きているだけで、ありがたいことだと思う」
「友人の○○がいなければここにはいない。ありがとう」
といった具合に書き換えると、すんなりと心に入ってくる。

感謝も、ありがとう(ありがたい)も
言葉としての意味は同じであるはずなのに。

かねてからの疑問を思い出したことでふと思い立ち
「感謝」の語源を調べてみた。

諸説さまざまな由来をざっくりとまとめるならば

・「謝」の漢字が言+射であること(矢を射るように言葉を投げかける)
・心で感じ取り強く動かされたことを言葉にして伝えること
・礼を述べることと侘びをすることはほぼ同一(いずれも心の負担になり得る)
・「感謝」「謝罪」によって心の負担をおろして緊張を解放する

などであるそうだ。

こうして見てみると「感謝」という言葉は
思っていた以上に重みのある語源だとわかる。
言うまでもないことである。

なるほど。
と、知識として頭では理解した。

しかしそれを知っても尚
わたしにとっては軽い言葉に感じられてやまないわけだ。
だいたい「感謝」についての語源をここまで理解して心を込めて使っている輩はどれほどいるのだろうか。
穿った見方をしてしまうわたしである。

ここまでを綴りながら気づいたこともある。
日常会話の中で使う頻度の高さだ。

「感謝」と「ありがとう」では
どちらを多く使うだろうか。
わたしは断然「ありがとう」だと思う。

一対一で話すときに「感謝」と言うのは(全くと言わないが)なかなか出てくるものではない。
お礼を言うときに直接相手に向かって「感謝!」と言えば、どことなく唐突な印象を受けるのはわたしだけだろうか。
かける言葉としては「ありがとう」の方が、明らかに耳馴染みが良いのである。

「感謝」という言葉の世間的な認識はわかりかねるが
わたしの中ではイコール書き言葉という意識が根強くあるのかもしれない。

書き言葉と話し言葉。
双方違いに良し悪しはないものだが
わたしにとっては「ありがとう」の方が嬉しい。

感謝の念はやはり
語りかけるように伝えてくれる方が嬉しいものだ。

#コラム #エッセイ #文章

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