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城崎にて #5 城下町・出石

豊岡でもう一つ見ておきたい場所がある。出石(いずし)である。

出石は、江戸時代に出石城の城下町として栄えた町で、昔の雰囲気が残っている。また、歴史好きの方向けに説明すると、室町時代に「六分の一殿」と呼ばれたり、応仁の乱の当事者ともなった山名宗全を出したりした山名氏が拠点にした町でもある。

出石は、合併によって現在では豊岡市になっているが、豊岡の中心部からは少し離れている。豊岡駅からは、平日の昼間でも1時間に1本程度の頻度でバスが出ているが、所要時間は30分は見た方がいい。
ただ、これはあくまで豊岡駅からの話である。私は今、玄武洞にいる。ここから豊岡駅まで出て、またバスに乗り換えるのはそこそこ面倒だし、わりとロスタイムも大きい。

バス時刻表、それなりに本数はある

しかし、幸いなことに城崎温泉から豊岡駅を経由し出石に行く路線バスというのが運行されており、経路上には玄武洞もある(バス停は玄武洞駅の目の前なので、また渡し船に乗る必要はあるが)。土日を中心とした運行だが、平日も1本あるので、これを使うことにした。

11時52分、玄武洞のバス停で待っていると、ほぼ定刻通りにバスが来た。乗客は十名弱で余裕で座れた。途中の豊岡駅でそれなりの人数が乗り込んできたものの、立っている乗客はいない。ウォークマンで音楽を聴きながら、車窓を眺める。川沿いを走ったり、田んぼの中を走ったり、街中を走ったりと、わりとバリエーション豊かな車窓だ。玄武洞から1時間ほどバスの旅を楽しんでいたら出石に着いた。

時刻は13時前だ。とりあえず、出石のシンボルである辰鼓楼を見る。

辰鼓楼

辰鼓楼は、出石城大手門跡に明治初期に建てられた時計台である。札幌時計台が作られた年と同じ年に時計台として使われ始めたらしく、日本最古級の時計台と言える。
フォトジェニックな写真を撮ろうとしていると太鼓の音が聞こえてきた。時刻は13時だ。どうも一日何回か、このように時を報せているらしい。

引き続き街をふらふらしていると、あちこちに「そば」の看板が見える。出石そばは、出石藩に信州上田から移封された仙石氏が持ち込んで発展させた文化だという。出石そばはざるではなく、皿そばといって透き通った白い出石焼の皿5つほどにそばを盛り付け、いただくスタイルだ。

出石そば

朝食のせいか、そこまで腹は減っていなかったものの「せっかくだから」と「そばならいける」という理由で、いただくことにした。
4月ながら、よく晴れて少し暑いくらいの日だったので、冷たいそばがありがたかった。そばの善し悪しが分かるほどの見識はないが、かつおのよく効いたつゆでいただくそばはとても美味しい。そば湯も含め、じっくり楽しませてもらった。(適当に入った店だったが、有名店だったらしい)

皿そばをいただいた田中屋さん


そば屋を後にして、腹ごなしに今度は出石城を散策する。

出石城跡

出石城は、戦国期に但馬地域を拠点としていた山名祐豊が有子山に城を築いたことに始まる。まもなく、織田信長による侵攻を受け山名氏の但馬支配は終わったものの、江戸時代にはこの有子山の麓に城が築かれ、出石藩の政庁・出石城となった。
明治の世になって城の建物はすべて破却されたが、当時の石垣が残っている。なお、昭和になってからは櫓、平成になってからも門が再建されている。
また、城の最も高い部分は稲荷曲輪と呼ばれお稲荷さんが祀ってあるため登城ルートにはたくさんの赤い鳥居が立っている。

伏見稲荷大社のような鳥居群

稲荷曲輪からは出石の街が見渡せた。

出石城からの眺め

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