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城崎にて #1 旅立ち

東海地方で生まれ育ち、学生になってからは東京で暮らしてきたので、あまり関西の温泉に馴染みがない。ただ「城崎」という名前は認知していた。
きっかけは、志賀直哉「城の崎にて」である。新潮文庫から出ている志賀直哉の短編集に収録されており、確か中学生の頃に読んだはずだ。(しかし、内容は全く記憶にない。)

私と城崎の縁というのは、その程度のものだったのだが、一昨年あたりに少し城崎について知る機会があった。知るにつれ「結構、魅力的な温泉地だなあ」という印象を強くしていった。

城崎の最大の魅力は、その”風情”である。城崎の風情をもたらす要素は大きく「景観」と「文化」の2つに分けられるだろう。
まず、景観としては、温泉街の中心を大谿川(おおたにがわ)という小さな川が流れている。その大谿川に沿って両脇に小規模な温泉宿や飲食店、土産物屋が並ぶほか、川沿いに柳の木、護岸は玄武岩の石積み、所々に太鼓橋が架かり、夜は街灯に照らされる。

城崎温泉の様子。写真中央の川が大谿川。

この景観だけでも十分、風情があるのだが、この景観に「文化」が合わさることでさらなる深み、そして風情が出てくる。

冒頭で述べたように「城の崎にて」の舞台となるなど文学の街という文化は言うに及ばないが、この他に特筆すべき文化と言えば外湯の文化であろう。
かつて日本各地の温泉では、温泉宿の内湯に入るのではなく(昔は内湯があるケースのほうが少なかった)、外湯を巡るのが一般的だった。次第に旅館やホテルに内湯が設けられ、外湯を巡るという文化は廃れていったが、城崎では外湯巡りの文化がまだ残っている。夕方にもなると浴衣姿の宿泊客が、カランコロンと下駄を鳴らしながら、大谿川沿いを歩いていく。
言うなれば先ほど述べた景観という視覚だけでなく、聴覚にも訴えかけるのだ。ここまで昔ながらの風情が今なお感じられる温泉街は、全国的にも城崎くらいではないだろうか。

このように古き良き温泉街の雰囲気を残す城崎だが、一方で進取の気性にも富んでいる点も魅力だろう。
城崎は、もともと関西での知名度は高かったが関西以外への訴求は十分とは言いがたかった。しかし、近年では地方の温泉地としては、早い段階から国内旅行市場の縮小を見据え、外国人旅行客へのフォーカスするという戦略を取り、言語対応や発信に注力してきた。
また、新型コロナの流行に際して、今度は新しい生活様式への対応もいち早く行っていった。例えば、城崎の特徴である外湯。温泉街には計7つの外湯があるのだが、この入館をQRコードで管理し、リアルタイムで混雑状況を把握できる。外湯の混雑状況は温泉組合のHPで公開されており、密を避けて外湯巡りができるようになっている。

「古くからの風情を残しながら、さらに発展を遂げていく温泉地・城崎」を知り、是非行ってみたいものだと常々思っていたが、遠地ということもあり、なかなか実現はしなかった。
だが、この春、いろいろあり時間が出来たので、ここで宿願を果たしておくべきだろうと思い立った。志賀直哉よろしく3週間から出来れば5週間ほど湯治をしたいものだが、流石にそうは行かないので2泊3日で城崎温泉に湯治に出ることにした。

東京から城崎へは、距離こそあれど、アクセスが悪いわけではない。城崎は但馬空港からほど近いし、京都や新大阪から特急列車が日に何本も出ている。4月某日、私は京都駅発の特急きのさき1号に乗り込み、城崎温泉へと向かった。

特急きのさき1号(京都駅にて)

そのまま乗っていれば、2時間半程度で城崎温泉駅に着くのだが「せっかくなので」途中、天橋立などに寄りつつ向かうことにした。
城崎温泉に至る道中は、この調子で書くと長くなるので、ここでは端折る(機会があれば、また別の記事にします)。

私は、城崎温泉がある豊岡市の中心地である豊岡駅を19時過ぎに出る普通列車に乗り込んだ。2両編成のワンマン列車で、帰宅する高校生たちで少々混んでいた。一級河川である円山川に沿う形で列車は進む。城崎温泉駅には、豊岡駅から10分ほどで着いた。駅から5分も歩けば、大谿川が見えてくる。

桜も散りかけた頃、花筏が大谿川に浮かぶ

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