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帰国子女だった過去の私

noteで一番書きたかった話。だらだらと過去の話をします、なんせ十年以上前の話なので思い出です。



小学校3〜6年生の頃、ヨーロッパの田舎に親の仕事の関係で一時期いました。パソコンが家庭にも普及し始めて頃でしたが、いまと違いSNSもなく、メールをする小学生もいない頃です。

住む前までの一年間は英語の勉強ばかりでした、英会話スクールに通ったり、父親と風呂に入れば英語で1から100数えたり、月や週を全て言えないとお風呂からでれないなど猛特訓の日々。

いよいよ渡欧し、一ヶ月の夏休み期間中に入学予定の学校へ行きテスト(簡単な筆記と口頭質問)を受けるとなんと、一学年下の学年でのスタートとなりました。頭のいい方ではなかったですし、入ってみれば馴染めたので結果良かったのですが、帰国し転校したのは6年生の夏だったので、5年生と半年分のブランクがあることになっています、笑い話しにしかなりません(笑)

父の猛特訓が生きた場面も多くありましたが、半年ほどは英語が読めず、父に英文にフリガナを入れてもらったりしていました。また、友人と喧嘩しても言いたいことが英語で言えず、家に帰って泣きながら、紙に"バカヤロー"と書いては紙をちぎるを繰り返していました。



帰国子女だと"羨ましい"とよく言われるのですが、最初から話せる訳もなく、自己主張を大事にする国だったらなおさら上手くいきません。

私の場合、運良く、絵が少し人よりも描けた(当時は)ことにより、友人が出来て、先生にも褒めて貰えることが出来、英語が少しずつ上達し、最後には英語で夢を見るまでいきました(もう無理ですが)。

でもその間は、安全な国ではなかったので家を一人で出ていけないストレスや(今考えると凄い)、悔しい、悲しい気持ちをいっぱいして、マンションの窓から飛び立てば楽になるんじゃないかと真剣に悩みました。

でもその時、もう少しだけ頑張ろう、違う方法を考えよう、飛び立つのは今日じゃなくてもいいって言い聞かせながら、毎日頑張った私は偉い。

あの時、頑張った私がいたから、今の自分はちゃんと自分を愛せるし、大切に思えてる。凄いぞ自分、明日も頑張ろう。