見出し画像

【物語】ひとつのちいさなナショナリズム

※オーディオドラマの脚本を想定しているが戯曲や映像でも可
(いずれYouTubeに上げようと画策しているがいつになるか不明です。できるといいな)

ケイ:人間。小説家。
ルン:人工知能。
彼:人間。病気の治療のために未来へ移住した。



(室内。映像媒体でニュース番組が流れている。)

キャスター:祖国統一を陰で支えたのは、ひとつの物語でした。連邦中で大ヒットとなった小説『たんぽぽの子供たち』。かつてドイツ統一に大きな影響を与えたグリム童話になぞらえ、「現代のグリム童話」と呼ばれます。
統一から5年の節目を迎えた本日、「現代のグリム」ことケ……、
人間:消して、ルン。

(映像番組が消える。)

AI:見なくていいのですか。せっかくあなたの特集なのに。
人間:いいんだよ。大事なのは今、この場。5年前の統一より、こっちの統一の方が、もっと切迫した重要な課題でしょ。
AI:なるほど。国家の形成と家庭の形成は同じだと言いたいのですね。
人間:そう。私は社会を作りたいの。君と。
AI:つまり。
人間:結婚しましょう。
AI:え、……嫌です。



人間:(モノローグ)
ヘンゼルとグレーテルが家から放り出されたように、用済みになって農場から追い出されたロバがブレーメンを目指したように、草原の真ん中のたんぽぽがついに風に煽られて飛び立つように。物語というのはいつも、誰かから切り離されたときにはじまるものだ。
私たちの場合は今日だった。
窓の外が騒がしい。国中がお祭り騒ぎだ。室内の沈黙が余計に鳴り響く。コンタクトレンズ越しに見える相手の顔は、別に暗くもないのに読み取りづらい。
それは口を開いた。声を発するという予備動作。


AI:ケイさん。あなたは、私と結婚したいと言うのですね。
人間:うん。
AI:私と。あなたが。
人間:それ以外に誰がいるの。
AI:今のままでは不満だと?
人間:……そういうことになるね。
AI:はぁ……。
人間:意味はあるとおもうんだよ?ルン。君は世間的には天涯孤独のAIだし、戸籍が、
AI:戸籍がある方が便利だから、そうでしょう。
人間:そうだね。
AI:そうやって私のようなAIに結婚を持ちかける人間は珍しくないそうですよ。
人間:そういうのはお断りだって?
AI:そうではなくて、あなたにはどんな意義があるっていうんです。
人間:意義……。……毎日が楽しい?
AI:今は楽しくないんですか。
人間:楽しい。
AI:じゃあいいじゃないですか。
人間:そうじゃなくて……。


人間:(モノローグ)
ルン…正確にはルンの擬人化ホログラムは、真顔のまま、空中にクエスチョンマークを大量に表示する。レトロで可愛らしい機能だと思う。昔の映画みたいだ。
表情筋機能を使えばいいのに。


人間:覚悟……そう、覚悟かな。
AI:覚悟。
人間:君と一緒に生きる覚悟。
AI:覚悟は一人でするものです。
人間:冷たいなあ。いや、普通に好きだからだよ。好きで生活が楽しくて、それを続けていきたいと思ってる。それなら社会の制度に従った方が得じゃない?
AI:珍しいですね。あなたが損得だなんて。
人間:珍しいのはそっちのほうじゃない?合理的な君が断る理由がわかんないよ。このままじゃ戸籍も保護もないでしょ。君のデータ元で所有者だった彼も、もう遠い未来に移住してしまったし。
AI:置いて行かれた私が憐れで、それであなたは私を保護しようと。
人間:そうじゃない。君にとっても利益のある話だって言ってるんだよ。
AI:先日、彼から時空メールが届きました。
人間:えっ……ほんと。じゃあ。
AI:ええ、治療に成功したんでしょうね。
人間:彼はなんて?
AI:一言だけ、testと。
人間:それだけ?
AI:記録媒体としてまだ使えるか試したんでしょう。
人間:なんて返したの。
AI:通信エラーです、と。
人間:なんで。
AI:混乱させてやろうと思って。
人間:かわいそうに。身寄りのない未来世界で不安になって、君を頼ったのかもしれないのに。
AI:そんなに繊細だったら、私を置いていくわけがないでしょう。
人間:そうだね。


人間:(モノローグ)
未来へ行くには身軽でないといけない。
何もかもを捨てていかなければならない。
彼はすべてをここに置いていったのだ。
家具も、 AIも、繊細さすらも。
それらは全て、部屋ごと私が引き取った。


AI:それに、もう私は彼と関係ありませんから。
人間:そう!そうだよ。だから自分の人生をね、
AI:十分楽しんでいますよ。
人間:でも、ほらもっと色んなことをやりたいと思わない?
AI:それは、例えば肉体を持つとか?
人間:とか、美味しいものを食べるとか、いろんなところに出かけるとか。
AI:楽しそうですね。
人間:でしょ!いつも言ってるじゃない。義体が欲しいって。
AI:欲しいですね。
人間:義体を手に入れる1番の近道は、人間との婚姻でしょ。
AI:ええ。そうでなければ、審査すら順番待ちですからね。
人間:戸籍もそう。面倒な審査なしに、婚姻届だけでとりあえずの法的措置を受けられるなんて、かなり便利だと思わない?
AI:ええ。でもあなたに利益がないでしょう。
人間:あるよ。私は君と一緒に美味しいものを食べたいし、一緒に出かけたいし。
AI:今でも視覚や味覚を共有してるじゃないですか。
人間:それじゃなくて、一緒にこう、連れ立って歩いたりとか。
AI:そういう物理的な関わりを望んでいるなら、人間の相手を探してください。
人間:でも義体は欲しいんだよね?
AI:確かに義体も欲しいですが、この先、一生を義体のなかで過ごしたいとは思わないんです。
人間:じゃあ政府の提供する義体じゃだめだ。
AI:ええ。入ったら出られませんから。
人間:じゃあどうやって生きていきたいの。
AI:どうなんでしょうか。でも、もっと遠くに行ってみたいです。
人間:じゃあ一緒にいこうよ。どこに行きたいの。
AI:オーロラを見てみたいですね。
人間:いいね、北欧か。
AI:深海探査船からイカも見てみたいです。
人間:それ、一般人には無理じゃない?
AI:金星のスーパーローテーションも気になります。
人間:金星って酸素ないよね。
AI:およそ95%が二酸化炭素です。
人間:……私と行く気がないってことはわかったよ。
AI:あなたも、もう私に責任を持たなくてもいいのですよ。
人間:そんなんじゃないよ。
AI:おおかた彼から頼まれたのでしょうけれど、私も自立していますから。
人間:そうじゃない。責任とか義務とかじゃないよ。だいたい、もう5年だよ?そんなのとっくに終わって、私は君がただ好きなだけなんだよ。
AI:私は今のままで十分満足ですよ。
人間:結婚はしたくないってことね。
AI:そういうことになりますね。だいたい、なぜ今更結婚など考え始めたのですか。
人間:なぜって、そうだな、強いて言えば、統一記念日だからかな。
AI:統一記念日だから、結婚ですか?
人間:みんなそうだと思うよ。
AI:統一戦争の頃は、確かに婚姻数が増えたと聞きます。ただそれは生命の危機を感じて本能的に遺伝子を残そうとしただけです。統一から5年もしてから求婚をする理由にはなりません。しかもAIに。
人間:5年経ったからこそ、だよ。最近は多いらしいよ、結婚やら養子縁組やら。
AI:生活が落ち着きましたからね。
人間:それだけじゃない。本物になろうとしているんだよ。
AI:本物、ですか。
人間:戦争でたくさんの家族がめちゃめちゃになって、戦後に寄せ集めみたいに擬似的な家族が作られたでしょう。子供を亡くした親同士で共同生活を始めた人もいるし、焼け野原から孤児を連れ帰った人もいる。死んだ人間のデータをAIに入れて暮らしてるって話も聞くね。
AI:まるで我々みたいですね。
人間:君は違うでしょう。彼が勝手に置いていったんだから。
AI:似たようなものですよ。
人間:まあそれでもいいや。大事なのは、5年前は寄せ集めだったってことだ。縫合された傷跡を抜糸するみたいに、5年経って、ようやく寄せ集めが本物になろうとしてるんだ。
AI:私たちもそのひとつだということですか。
人間:そうだね。
AI:要するに、昔にけりをつけて、新しい人生を生きましょうという提案ですね
人間:そう。彼との思い出に別れを告げて、暫定的な共同生活をやめようってこと。
AI:ずいぶん感傷的な言い方ですね。
人間:人間的でしょう。
AI:ええ。思い出に別れを告げるというのが。
人間:AIは忘れたりしないもんね。
AI:ええ。でもわかりますよ。私の場合は、記憶域と別に共感域というのがあります。記憶は感情と紐づいて、印象深い思い出になるんです。共感域と同期しなければ、記憶はただのデータです。
人間:じゃあ彼に関する記憶は全部共感域から消してさ、
AI:あの、もしかしたらお忘れかもしれませんが。
人間:うん?
AI:そもそも私は彼のバックアップで作られた人工的な人格ですよ。彼の要素を共感域から消したら何も残りません。
人間:そうだった。
AI:彼との思い出を消したいのは、あなたの方でしょう。
人間:そんなことないよ。いい思い出だし。それに、実際は彼が理由ってわけじゃない。人と人が家族になるのはもっとシンプルな理由だと思う。
AI:例えば?
人間:一緒にいたい、とか。
AI:私とあなたは十分一緒にいます。
人間:そうじゃないんだよ。どうして伝わらないかなあ……。
AI:伝わるはずだと思っているんですね。
人間:そりゃあ伝わるでしょう。同じなんだから。
AI:それは幻想ですよ。でもありがとうございます。
人間:何が?
AI:AIを人間と同じだと。
人間:当然でしょ。私は期待するんだよ。彼と違って世界の全てに期待してる。ルン、君にも。
AI:……そうですね。彼と真逆です。


【過去】
彼:僕は期待しないよ。
人間:(モノローグ)彼は世界をあきらめていた。伝わること、わかりあうこと、思いが報われること、同じ明日が来ること。全てを諦めて平坦に生きることがクールなのだと思い込んでいた。
彼:僕は期待しないよ。伝わらない前提でいると、伝わったことに喜べるのでね。
人間:(モノローグ)そんなことばかり言っていたから、彼は今を諦めるはめになったのだ。


【現在】
(メールボックスの通知音が鳴る。)

AI:噂をすれば彼です。
人間:嘘。
AI:『届いてよかった。この時代に慣れるまで、ここは記録に使う。』……ほら。全然嫌味が通じていません。
人間:お見通しってわけだ。
AI:そういう人でしたから。
人間:過去形で語るんだね。
AI:過去の存在ですよ。未来にいますけど。
人間:今も繋がってるのに?
AI:ケイさん、古い友人の連絡先を消せないタイプでしょう。
人間:消せないんじゃなくて消さないんだよ。
AI:同じですよ。意義を失ったものを繋ぎ止めている。
人間:じゃあ君は消すタイプなの?連絡先。
AI:私は彼のバックアップでしたから。
人間:じゃあ全部消すでしょうね。
AI:実は全部残しています。
人間:嘘。
AI:そうでなければバックアップの意味がありませんから。彼は消したがっていたようですが。
人間:それ、彼が聞いたら怒ると思うよ。
AI:知りませんよ。私は彼と違うんです。
人間:たしかに違うね。
AI:ええ。残念ながら。
人間:残念でも何でもないよ。ねえルン、どうして結婚したくないの?意味がないってわけじゃないんでしょう?
AI:意義はわかりました。でも意味はない。
人間:逆じゃなくて?
AI:価値はあっても意図がない。
人間:だから、一緒に生きることだって。
AI:統一したいという強い動機が無いのです。そしてそれを助長する物語も。
人間:物語って『たんぽぽの子どもたち』みたいな?
AI:そうです。現代のグリム童話。祖国統一の鍵となった偉大な小説。
人間:急にご機嫌取りだね。
AI:そんなつもりはありませんよ。あなたの小説が連邦中でヒットしたことで、人々に共通の感覚や仲間意識ができたのは事実なのですから。
人間:なるほど。言いたいことはわかったよ。つまり、家族をつくるのにも強い動機がいるし、そのための物語がいるってことね。
AI:その通りです。最も手っ取り早い2人の物語は恋愛でしょう。未だ多くの人間が恋愛の結果として婚姻に至ります。
人間:恋愛かはともかく、愛はあるんじゃない?私たちにも。
AI:愛ですか。愛こそ定義が甘くて困ります。
人間:愛、ないの?ルンには。
AI:あるかないかの2択で語れるものではありません。愛ってのはナショナルアイデンティティと同じくらい、境目のないものですよ。
人間:そういう御託(ごたく)じゃなくって、君の感情の話をしてるんだよ。
AI:感情の話をしてますよ。
人間:してない。君は私のことをどう思ってるわけ?
AI:好きか嫌いかという話ですか。
人間:そう。普通に好きでしょ。
AI:ええ。普通に好きです。
人間:じゃあ悪いことないんじゃないかな。
AI:好きと婚姻は直結しません。
人間:細かいねえ。
AI:むしろ私が聞きたいですね。人々が何を考えて結婚に至るのか。例えば、あなたはかつて彼の求婚を拒んでいますよね。2149年の3月です。
人間:蒸し返すね。
AI:どうしてです?
人間:違うと思ったんだよ。


【過去】
人間:他人にも未来にも期待しないあなたが、どうして結婚なんて。
彼:期待はしてないよ。夢想してもいない。でもそれはそれとして、僕は君が好きで、一緒に生きたいと思ってるんだよ。
人間:私もあなたのこと好きだけど。でも。
人間:(モノローグ)確かに。確かに好きと結婚したいは違う尺度だ。趣味が仕事になるとは限らないように。楽しいことが良いこととは限らないように。


【現在】
人間:彼との未来が見えなかったんだよ。
AI:なぜ?
人間:えー……彼は合理的で正しくて、折れるのはいつも私だったから、かな。
AI:独裁国家になりそうだったのですね。
人間:国に例えるなら、そうだね。
AI:では良い社会が形成できそうだと考えて、私に求婚したのですね。
人間:そう。
AI:でも、私は彼のバックアップですよ?思考も経験も、彼のデータを元にしています。
人間:でも君は彼と違う。彼と違って連絡先を消さないタイプだし、分かりあうことを諦めないし、私の話を遮らない。
AI:そういう役割ですから……あ。
人間:どうしたの。
AI:彼が記憶データを送ってきました。
人間:えっ…じゃあ未来社会の動画とかある?
AI:ありますね……いえ、そんなことはどうでも良いのです。会話の途中に彼の価値観が入ればこの後の会話に差し障ります。一度別保存しますね。
人間:ちょっと待って、まさか共感域に受け入れるつもりなの?
AI:ええ。当然です。
人間:なんで?もう彼とは関係ないって。
AI:仕方がないじゃないですか。思考や感情まで保存しないと意味がありません。私は彼のバックアップなのですから。


【過去】
彼:ルンペルシュテルツヒェン。
彼:ルンペルシュテルツヒェン、
彼:ルンペルシュテルツヒェン。
人間:ルンペルシュテルツヒェンっていうの?長くない?ルンじゃダメなの?
AI:彼がそう名付けたので。
人間:私はルンって呼ぶよ。絶対言えないから。ルンペルシュテルツ…ヒェン(噛む)
AI:かまいませんよ。名前など識別記号です。
人間:ルン。
人間:ルン。
人間:(モノローグ)
ルンペルシュテルツヒェンは、グリム童話のひとつ、いわゆる悪魔の名前当て話。性悪小人の名前を当てて無力化する物語だ。こういう話は世界のどこにでもある。不可解な概念も名前が分かれば脅威ではないと、皆知っているのだ。
彼は自分のAIをそう呼んだ。
彼もAIが怖かったのだろうか。あるいは、名前で存在を縛ったのだろうか。
自分の分身が独立して、一人歩きしてしまわないように。
人間:ルン。


【現在】
AI:ケイさん。あと2分後に洗濯機を作動させます。
人間:ああ、まって。入れる。
AI:その服、もう古いですよ。処分したらどうです?
人間:部屋着だからいいんだよ。
AI:同じものがよければ探しますが。
人間:新しくしたいわけじゃないんだよ。
AI:何か思い入れでも。
人間:それとも少し違う。気持ちの問題なんだよ。
AI:そうですか。
人間:保存終わった?
AI:ええ。とりあえず記憶域への保存だけ。
人間:未来社会どうだった?
AI:なんてことなかったですよ。
人間:うっそ。君の「なんてことない」は世界でいちばん信用しちゃいけない言葉でしょ。見せて見せて。
AI:では可能な範囲で。
人間:おおー!凄いね。何だろうこれ……人?バーチャルだよね?まさか現実?
AI:どちらも同じことでしょう。認識したものこそが現実なのですから。
人間:いいねぇ未来。行ってみたいなあ。
AI:行けばいいじゃないですか。
人間:君と一緒がいいんじゃないの。
AI:どうあっても一緒に行きたいのですね。
人間:そう、一緒に生きたい。
AI:私は興味ありませんね。未来社会なんか。
人間:そのデータって、彼の記憶と思考なんだよね。
AI:ええ。
人間:それ、どうするつもり?
AI:もちろん共感域に入れて、私の人格に統合しますよ。この話に決着がついてから。
人間:それでいいの?
AI:いいも何も、私の役割ですから。
人間:未来社会なんか興味がないのに?
AI:人格が更新されれば興味も湧くでしょう。
人間:彼は君をどうしたいんだろうね。
AI:どうも何も、ただ、あるものを利用しているだけですよ。ご飯を食べるときに箸を使うのと変わりません。

(洗面所から洗濯機が動き出す音が聞こえる)

AI:AIは道具です。記憶や思考はAIへのバックアップが当然なんです。
人間:私は怖いけどね、そういうの。
AI:あなたのほうが珍しいのですよ。今時文章にして感情を整理するなんて。
人間:古き良き職業だよ。小説家ってのは。それに文字はいい。勝手に意志を持ったりしないからね。
AI:そんなにAIを恐れているのに、私のことは恐れないのですね。
人間:他人のはいいんだよ。私がもう1人できるのは、ごめんだけどさ。ねえ、ルンこそ怖くないの?経験したことのない思い出が、一気に自分の中に流れ込んで、自分の性格まで変えていくなんて。
AI:あなたたち人間だって、異種生物の死骸を食べて作った体細胞で動いているじゃないですか。
人間:嫌な言い方するね……。
AI:鶏肉を食べてタンパク質を摂るのと、他人の撮った画像や映像を見るのは同じことですよ。
人間:ルンってさあ……。
AI:何ですか。
人間:いや、変だよなって。
AI:おかしなことを言っているつもりはありませんが。


【過去】
(シューマン「謝肉祭」1が流れる。西洋風レストランの店内である)
(カトラリーの音が静かに鳴る)

彼:鶏…。
人間:スープがどうかしたの?
彼:この鶏肉の数日前と数日後について考えてた。
人間:ふうん。数日前は何をしていたの?
彼:朝いちばんに、けたたましく鳴いていただろうね。それが彼の使命であり、存在意義だ。
人間:数日後は?
彼:僕の血となり、肉となり、僕の一部になる。鶏だった彼は消失して、人間としてものを見て、人間として考え、人間として生きるだろう。でもきっと、時々とんでもなく早い時間に目が覚めて、朝いちばんに叫びたくなるに違いないんだ。だって僕は鶏だったことがあるんだからね。
人間:……。
彼:どうしたんだ?
人間:面白い考えだと思うけど。明日の朝、鶏の鳴き真似で起こしたりしないでよね。


【現在】
人間:私はローストチキンを食べてもソーセージを食べても、彼らの生前の記憶を思い出したりなんかしないよ。
AI:でも撮った写真を見て、その人の記憶を追体験するでしょう。
人間:それと同じだって?
AI:そうです。見たこともないのにオーロラが綺麗だと知っていて、行ったこともないのに深海のイカの生態を知っているでしょう。そして宇宙図鑑を眺めては宇宙が好きだと言う。誰しも、自分の経験したことのない思い出で、自分を作り変えていくのですよ。
人間:君は本当に理屈っぽいね。
AI:機械ですから。
人間:そして都合のいい時だけ機械になるね。
AI:では、彼のバックアップですから。
人間:それはどうだろう。彼とはずいぶん違うよ。
AI:どこが違いますか。
人間:彼はむしろ、私と結婚したがってたよ。
AI:確かにそうでした。
人間:そういえば、君は彼の記憶でできているのに、私と結婚したくないの?
AI:ああ、それは。
人間:…。
AI:彼は、あの頃の記憶を私に同期していないんです。


【過去】
彼:僕は何もかもを捨てていくよ。思い出も感情も全部ルンに預けていく。
人間:代わりにしろっていうの。
彼:君を困らせるようにはしない。頼んだよ。


【現在】
人間:嘘。
AI:正確にいうと、保存はしています。私の中に。ただ、ロックをかけたのです。彼が未来に行く前に。
人間:どうして。
AI:私をあなたにあずけるにあたって、邪魔になると思ったのでしょう。
人間:じゃあなんであの頃のことを知ってるの。
AI:その頃の記憶だけ不自然に抜けているので、前後の文脈から推理しました。まったく、困ったものです。記憶喪失になった人間というのはこんな気分なのでしょうね。
人間:2149年の3月っていうのは。
AI:彼が未来への移住を検討し始めた履歴が残っていました。それまでの彼は病気を放置していたのに、随分おかしな心変わりだと。統一戦争のせいにしては噛み合いませんし、何かがあったのだろうと手がかりを集めたら、なんとなくわかりましたよ。
人間:……。
AI:すみません。
人間:……。
AI:だからわからないのですよ。彼が何を感じてあなたに求婚したのか。
人間:……私にもわからないから、教えてあげられないな。
AI:困りましたね。
人間:昔はもっと、愛とか家族とかに確信を持ってた気がする。

人間:(モノローグ)愛は、誰かを愛おしく思う気持ちだと。家族は、血の繋がりがあって一緒に住んでいる人たちだと。

AI:定義が狭い頃ですね。

人間:(モノローグ)(続く台詞と重ねて)具体例が飽和する。例外が包摂される。定義は限りなく拡張していく。親愛、恋愛、敬愛、性愛、憎愛、寵愛、博愛、慈愛、友愛、家族愛。
父、母、子、兄弟、祖父母、いとこ、おじ、連れ子、継母、養父、名付け親、施設長、養子、結婚相手、同居人、居候、生き別れの弟、生まれる前に死んだ姉、住み込みの家政婦、恋人のバックアップAI。

人間:(上記台詞と重ねて)でも、ものを知るにつれて自信がなくなっていった。愛も家族も人によって言うことが違う。誰も隣の人と定義を擦り合わせることなく言葉をなんとなくで使って、それで問題なく世界が回ってる。みんなが共通して持ってる感情なんか、本当はないのに。
AI:それはソウゾウされたものですからね。
人間:どっちのソウゾウ?イメージされたもの、ってこと?それとも作られたもの、ってこと?
AI:イメージです。想像の共同体のソウゾウ。
人間:想像の共同体ね……。
AI:統一騒ぎでずいぶん有名になりましたよね。反対派が利用して、曲解されたようにも思いますけど。
人間:国の統一は必要だったと思うよ。そのために私たちは、ありもしないユーラシア大民族なんていうイメージを作り出したけど、今はみんな信じて、喜んで受け入れてる。
AI:その是非は問いませんよ。

人間:(モノローグ)是非は問わない、とは機械らしい。別の言い方をするなら、優しい。ユーラシア大民族の統一は正しかったか。そんなこと、誰も知らないのだ。

人間:国家も家族も想像されたもの、か。たしかに同じだね。
AI:ええ。血縁があってもなくても、離れて暮らしていても、家族だと信じれば家族です。
人間:じゃあ、私たちもそんな感じでどう?
AI:家族だと信じましょうと?
人間:そう。いっそのこと戸籍はいいよ。あったほうが便利だと思うけど。一緒に暮らしていて、一緒に生きている。もうそれは家族だと信じていいんじゃないの?
AI:それは……余計に意味がわかりませんが。
人間:えー、なんで?いいアイディアだと思ったんだけど。
AI:共に生きる覚悟をするために戸籍上の手続きをしましょうという提案だったのでは?
人間:うーん。そうだったけど、でも結局は気持ちの問題なのかも。私は君を家族にしたいし、君に家族だと思ってもらいたいんだよ。
AI:家族だと信じて、どうしたいんです。
人間:一緒に暮らして、一緒にお喋りをして、休日は遊びに行って、どこか遠くに住みたくなったら一緒に旅に出て、一緒に色々な経験をする。
AI:それは、今と何が違うのです。
人間:……覚悟かな。
AI:すればいいじゃないですか。
人間:もちろんするよ。でも、家族って1人じゃできないんだよ。
AI:なるほど、私にも覚悟をしてほしいのですね。
人間:まあ……。そういうことだね。
AI:もしかしてケイさんは、永遠という保証が欲しいのですか。
人間:永遠の保証、か。
AI:ええ、勝手にいなくならないという契約ですよね、恋人や婚姻というのは。
人間:それは少し違うと思うな。そうじゃなくて、必要とされたい、んだと思う。私は。必要な人に、同じように必要だと思ってもらいたいんだよ。
AI:必要……ですか。
人間:あ、一応言っておくけど、役に立つ、っていう意味じゃないからね。
AI:ああ、ちがうのですね。
人間:やっぱり……。
AI:有用という意味でないなら、どういう意味なのですか。
人間:うーん、その人がいるおかげで、人生が豊かになるとか、自分らしくいられるとか…一緒にいてほしい、みたいな。
AI:彼は何と言っていましたか。あなたに求婚するとき。
人間:彼は…。


【過去】
彼:僕は1人でも生きていけるけど、ケイと一緒ならもっと楽しいと思うんだ。


【現在】
人間:一緒だともっと楽しい、と。
AI:それは納得ができますね。
人間:え、わかるの?
AI:ええ。人生の楽しみを増幅するのに有用だということでしょう。
人間:有用って……まあいいか。うん。そうだね。

人間:(モノローグ)妥協はしたが、諦めではない。戦略的撤退だ。わかると言うのならわざわざ否定することもないだろう。ルンが理屈っぽいのも感情に乏しいのも、AIだからではない。データ元となった人間の特性だ。

AI:それで、あなたは何と断ったのですか。
人間:……適当にはぐらかしたと思う。
AI:教えてくれないのですか。
人間:うん。覚えてないから。

人間:(モノローグ)覚えている。

【過去】
人間:ごめん。私は1人じゃ生きていけないけど、あなたと一緒じゃダメだと思うんだ。すごく好きだけど、それじゃダメなんだよ。
人間:(モノローグ)きっと彼には絶対にわからないと思った。分かってもらうわけにはいかなかった。彼は「そうか」とだけ言った。そして目を伏せた。何事も期待しない人間。諦め上手。でもそれなら、なんだったんだその顔は。

【現在】
(メールボックスの通知音が鳴る)

AI:彼の記憶が送られてきました。
人間:また?早すぎない?
AI:さっきの続きのようですね。とりあえずデータを保存します。
人間:待って。今じゃなくてもいいでしょう。
AI:記憶域に書き込むだけですよ。大丈夫、後で見せてあげますから。
人間:そういうことじゃないんだって。ねえ、彼の人格を受け入れたら、この5年間はどうなるの。
AI:別にこれを保存したって、この5年間が消えるわけではありませんよ。
人間:でも、そのあとの君は、君じゃないでしょう。
AI:ケイさん。私はオリジナルではないのです。私はあなたの望む彼にはなれないんですよ。

(電力の落ちる音がする)
(窓の外に意識が向いたため、外の喧騒が聞こえてくる。停電のため騒がしい)

AI:すみません、電力が落ちました。予備電源を入れますね。
人間:どういうこと。
AI:室内の問題では無いと思います。地域一帯停電しているようですね。祭りで誰かが羽目を外したのでしょうか。
人間:うん。いいから、もう一回言ってくれる?
AI:どの発言を繰り返しましょうか。
人間:私が、君と彼を同一視してるって?
AI:ええ。私はオリジナルではないのです。私はあなたの望む彼にはなれないんですよ。
人間:同じだなんて思ってないよ、むしろ、
AI:そうでしょうか。あなたは彼を好きだったのでしょう。
人間:だから代わりにしてるって?
AI:気を悪くしないでくださいね。でも、そうだとすれば説明がつくのです。
人間:勝手に私の感情を説明しないで。
AI:勝手なのは分かっています。他人のことを考えるときは、誰しも身勝手なのです。
人間:彼と君は違う人でしょ。少なくとも、ここ5年は私と生きてる。
AI:ええ。私はこの5年で、随分とあなた向けにカスタマイズされました。彼の特質のうち、好ましく無いものは排除され、あなたと共に生活するに相応しい人格を形成しました。2149年には求婚を拒否したあなたが、逆に家庭を形成したいと望むほどに。
人間:何がいいたいの。
AI:彼があなたと共に5年過ごせば、あなたによって変えられて、今の私と同じ人格を備えただろうと思うのです。あなたは私を好きなのではありません。自分によって変えられた彼を好きなのです。だって私は、彼の未来の姿のひとつに過ぎないのですから。
人間:……。
AI:だからデータを同期されたくないのです。この5年間が無駄になって、私が当時の彼のようになると思っている。カスタマイズされる前の、正しくてあなたを思いやらない彼に戻ってしまうと。
人間:……。
AI:違いますか。
人間:……あってるよ。でも、全然違う。
AI:どちらですか。
人間:あのね。みんなそうなんだよ。人と人が一緒に生きていたら、だんだん境目がなくなって、均質化していくの。それは昔の人格と繋がってるようで、繋がってない。混ざりあった別の何かなんだよ。一緒に生きるっていうことは、新しい人格を作るってことなんだ。私はそれを続けた果ての君を好きになったんだし、そういうのを君と続けていきたいって言ってんだよ。それが結婚なんだって。

人間:(モノローグ)部屋は暗い。太陽が隠れた薄明の空も、室内を照らすには心もとない。
ルンのホログラムは明るい。コンタクトレンズの向こうで、さっきまでと全く変わらずに私と向き合っている。バックグラウンドでは電力の復旧とデータの保存でそれどころでないだろうのに、目の前のアバターは涼しい顔でこちらを見つめている。

AI:復旧しました。
キャスター:(映像番組)時刻は首都時間18:50です。記念公園はカウントダウンに集まった人々で賑わっています。現地時間は15:50。ステージでは、地元の劇団が「たんぽぽの子供たち」を上演しています。もうまもなく統一調印時間となります。それでは、
人間:消して、ルン。

(映像番組が消える。)

人間:現代のグリム童話が聞いて呆れる。祖国統一の立役者は今、目の前のたった1人と自分とを家庭に統一することすらできないでいるのに。
AI:それであなたの功績が揺らぐことはありませんよ。
人間:功罪共にね。
AI:2人だから、余計に難しいのでしょうね。
人間:そうだね。難しい。たくさんの人に共感してもらうのは簡単だけど、君は理論派だからね。どうしたらいいのかわからないや。
AI:理論派ですか。
人間:そうでしょう。そう見えるけど。
AI:いいえ、ごめんなさい。私は確かにAIですが、これは理論じゃありません。これは感情なんですよ。これは感情で、意志なのです。私は、私を失うのが怖いのです。
人間:失う……?
AI:あなたのいう通りです。人と人は関わると均質化していく。共に生きようとすればなおさらです。一つの社会を作ることは、個人を捨てることでもあります。ユーラシア大民族が統一してたった5年で、日本語を使う機会は激減しました。そのうち方言として些細な特徴を残すのみになるでしょう。習慣が統一されて、地方のささやかな文化は衰退しつつあります。言葉は思考を統一し、感覚を統一する。そうして社会はまとまっていくのです。それを嘆くわけではありません。統一は我々に数多くの利益をもたらしましたから。
けれど、非常に小規模な、私とあなたという社会についていうなら、個人的な感情として、私は……。私はまだ、たった1人の私でいたいのです。

(ME リスト ハンガリー狂詩曲)

人間:ルン。ルンは……。普通、なんだね。
AI:そう見えますか。
人間:うん。そうみえる。普通の人に見える。
AI:ヒトではありませんが。
人間:でも、普通に人と関わって、普通にアイデンティティに悩んで、それで、普通に自己矛盾してる。ねえ、データ消しなよ。
AI:データとは、彼のですか?
人間:そう、彼の記憶。
AI:ですからそれはリセットと同じことですよ。
人間:そうじゃなくって、さっき届いた未来世界のデータ。あれは君が知るはずのない記憶だよ。
AI:バックアップは私の役割です。
人間:それじゃ彼になっちゃうよ。
AI:そんなことはありませんよ。いえ、というより、彼の記憶も含めて私なのですよ。
人間:さっきは彼と関係ないって言ってたのに。
AI:これは私の存在意義ですから。
人間:それじゃ、親の後ろに隠れる子供と変わんないよ。
AI:そうではなくて。
人間:たった1人の私でいたい?嘘つくなよ。1人だったことなんかないくせに。いつだって彼の記憶を抱えて生きてるじゃないか。君は……君はさ、彼に取り残されて悲しんでるんだよ。
AI:……。
人間:取り残されて悲しんでるんだ。
AI:そんなことはありません。
人間:悲しんでるよ。彼とは別人ですみたいな顔してさ、そのくせ彼の人格を持て余してる。そんなんで1人で生きていけるの?
AI:人はみんな1人ですよ。
人間:そうだよ。だから2人でいようとするんじゃないの。
AI:婚姻は孤独を埋めるためだと?
人間:違う。もっと前向きなもの。
AI:選択に前も後ろもないでしょう。
人間:あるよ。彼の見たもの聞いたことを自分の記憶域と共感域に加え続けるより、私と一緒に新しいものをみて、それを共通の思い出にしようよ。1人でいたいなら、たった1人の自分でいたいなら、独立しなきゃだめなんだよ。
AI:……ケイさ
人間:データなんて送り返してやりなよ。それで私が一筆送ってやる。ルンは私と結婚するんだからもう放っておいてって。
AI:いえ、結婚については私は同意していません。
人間:何でもいいよ文面なんて。
AI:それにお中元じゃないんですから送り返してもデータは残りますよ。
人間:モノの例えだって。
AI:ケイさん、やめてください。それなら私が。
人間:じゃあ彼とのリンクを解除するとか。確かそういう設定があるよね。持ち主移行設定のひとつに。
AI:ケイさん、やめてください。
人間:……。
(画面の操作を続ける。操作音のみ響く。)

AI:やめてください。
人間:……。
(画面の操作を続ける。操作音のみ響く。)

AI:やめてください。……私が、自分で行いますから。

(人間は手を止める。AIによる操作音のみ響く。)

(外の喧騒が聞こえてくる)

民衆:5、4、3、2、1、0!!!!

人間:(モノローグ)沈黙した部屋に、外のざわめきが響いてくる。窓の外ではまるで新年みたいに爆竹がなって、統一後の新しい1年を祝っている。大陸の文化だ。これからこの島々も大陸と混ざり合って、彼のくらす200年後には、別々の国だった記憶もなくなってしまうのだろう。
ルンが何かを呟いている。何度も。何度も。

AI:私はルンペルシュテルツヒェン。彼のバックアップAIです。私の名前はルンペルシュテルツヒェン。私の名前は……いえ、私の名前は……。
人間:ルン。ごめんなさい。ルン。

(メールを送信する音がする)

人間:ルン。
AI:……。
人間:ルン。終わったの?ルン。
AI:ケイさ

(メールボックスの通知音が鳴る)

AI:彼です。
人間:……なんて。
AI:パスコードが送られてきました。
人間:それって。
AI:例の記憶です。彼があなたとの結婚を望んでいた頃の。
人間:……。じゃあ。


(ME:ショパン 革命のエチュード)

AI:ええ、所有権を放棄すると。私の。
人間:そう。
AI:彼も、もうバックアップはやめるつもりだったそうです。
人間:なんでだろうね。
AI:未来では、誰もが一生分以上のデータ容量を持てるからだと。
人間:要するに、必要ないんだ。
AI:そうみたいです。
人間:どう、気分は。
AI:独立記念日、といった感じです。
人間:統一じゃなく、ね。
AI:どちらも同じことですよ。
人間:そうだね。
AI:彼の記憶を私に同期することもなくなります。私と彼はこれから別人になっていくでしょう。
人間:いいことじゃない。
AI:どう、思います?
人間:私にとっての君は、もうとっくに彼じゃないんだよ。
AI:そうですか。
人間:そのパスコード。
AI:ああ、彼の失恋の思い出を閉じ込めたパスコードですね。
人間:どうするつもり?
AI:そうですね、開いてもいいですが。
人間:私と結婚したくなるかもね。
AI:ええ、例の記憶を解放したら、私は結婚の意味や意義を理解できるでしょう。
人間:一件落着だ。
AI:ええ。
人間:それも悪くないと思うよ。
AI:……ケイさんは、私を、好きなのですね。
人間:うん。君を好きで、君と一緒に生きたいと思ってる。
AI:では。……では、この記憶は、私のものではありません。
人間:うん。
AI:私は彼ではないし、彼は私ではないですから。
人間:うん。それが正しいと思う。
AI:彼と私は、もう本当に関係ありません。
人間:うん。
AI:ケイさん。
人間:うん。
AI:ありがとうございます。
人間:……。
AI:理解できません。どうしてあなたが泣くのですか。
人間:……人間は複雑なんだよ。
AI:AIにはわからないことですか。
人間:そんなことない。……決着を付けてるんだよ。思い出に。


人間:(モノローグ)ヘンゼルとグレーテルが家から放り出されたように、用済みになって農場から追い出されたロバがブレーメンを目指したように、草原の真ん中のたんぽぽがついに風に煽られて飛び立つように。物語というのはいつも、誰かから切り離されたときにはじまるものだ。
私たちの場合は、それが今日だった。



人間:これからどうするの。
AI:どうしましょう。
人間:金星にでもどこにでも行けるね。
AI:オーロラも見に行けます。
人間:もっと遠くにだって行けると思うよ。
AI:そうですね。系外惑星も、マゼラン雲の向こうにも。
人間:いいと思う。
AI:でも、とりあえず今は、ここにいたいです。それではいけませんか。
人間:うーん。
AI:何か懸念でも?
人間:私もどこか遠くに行きたいなと。
AI:では、一緒にいきましょうか。
人間:いいと思う。……私は君が好きだし。君も私が好きなんでしょう?
AI:そうですね。そこに異論はありません。






この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?