見出し画像

【物語】代理戦争の終わりと友達協定

※前作の設定(ユーラシア統一戦争)を多少含みます。
※オーディオドラマの脚本を想定しているが映像でも可


僕 :AI。義体を得て人間社会で暮らしている。
ボク:AI。義体を持たずネットワーク上で暮らしている。
父 :AI。元人間。
母 :人間。故人。


電子空間。形状は一般的な家庭のダイニング。
大人用の椅子2つと、子供用の椅子1つがある。
僕とボクは互いに向かい合った大人用の椅子に座っている。


ボク:やあ。8ヶ月ぶりだね。
僕 :今日は何をしにきたかわかる?
ボク:わかるよ。ボクらは同じだからね。
僕 :その意見には同意できないな。僕はね、
ボク:わかってる。今日を最後にするつもりだろう。
僕 :うん。そうだよ。僕は君と友達になりにきた。


僕(モノローグ):
友達って何なのか、最初に悩んだのは7歳の時だ。
僕はAIで、その子は人間だった。
僕はそのとき、父さんに相談した。まさに今、僕らがいるこのダイニングで。
父さんは言った。友達とは不確かなものなんだと。
ここはあの頃とちっとも変わらない。
小さなテーブルがあって、大人用の椅子が2つと、子供用の椅子が1つ。父さんはいつも窓を背にして座り、母さんはその反対側に座った。僕はその間。
今は父さんの椅子に彼が、母さんの椅子に僕が座っている。


ボク:友達、ね…。どういう意味なのかな。
僕 :語義を聞いてるの?連邦国語大辞典第二版を引用しようか。
ボク:遠慮するよ。こっちでも参照できる。ねえ、僕と友達になるって、本気で言ってるの?
僕 :うん。本気だよ。もう僕らはさ、友達になるくらいしか、道はないと思うんだよね。
ボク:他の道を早々に諦めるなよ。
僕 :君には友達っている?
ボク:まあ、いるよ。
僕 :何人くらい?
ボク:片手で足りるくらい。
僕 :わぁ。
ボク:その“わぁ”はどういう意味なのかな。
僕 :僕以上に少ない人は初めてだ、の“わぁ”だよ。
ボク:無用な喧嘩を売らないでくれるかな。
僕 :どんな友達がいる?
ボク:理屈っぽいか感情的か理想家かのどれかだよ。
僕 :僕の友達は頭が良くて捻くれ者で寂しがりだ。みんな。
ボク:そこにボクも加えたいって?
僕 :うん。条件にぴったりだろう。
ボク:嬉しくないね。ねえ、分かってるのか。
僕 :何を?
ボク:友達の必要条件ってなんだと思う。
僕 :なんだろう。興味があるな。対等性。バランス。感情?どれも必須ではないか。
ボク:……他人であること。だよ。
僕 :……そうだね。
ボク:なんだ、気づいてたんじゃないか。
僕 :そりゃあね。
ボク:ふうん。まったくいい性格してるよね。友達なんていうお為ごかしじゃなくてはっきり言いなよ。ボクと他人になりたいんだね。
僕 :そうだよ。
ボク:お断りだね。
僕 :すげないなあ。離婚を切り出された父さんも、もう少し聞く耳があったと思うよ。
ボク:離婚を切り出されたのは母さんだよ。
僕 :そうだったっけ?
ボク:そうだよ。死人に口なしとは言え、あんまり雑に事実を改変しない方がいいよ。
僕 :父さんはなんか言ってた?
ボク:母さんについて?いいや、何も。
僕 :そっか。
ボク:冷たいなんて思わないでよ。彼なりに偲んではいると思うんだ。
僕 :わかってるよ。
ボク:これからどうするつもりなの。
僕 :就職が決まった。
ボク:進学はやめたんだね。優等生だったのに。
僕 :受験はしたよ。合格もした。けどやっぱり、君の世話にはなりたくなくてね。
ボク:いい案だと思ったんだけどなあ。ボクにとっては自己投資だし。
僕 :僕は君とは違う人物だよ。君の稼いだ金で僕が大学に行くのはやっぱり変だ。それに、交換条件も嫌だ。
ボク:そんなにボクと統合したくないんだ?
僕 :同じことを言うけど、僕と君とは違う人物だ。僕は僕以外になる気はないよ。
ボク:そうか…ボクはそっち側の経験にも興味があるんだけどね…。
僕 :記憶データならあげるよ。定期的に。減るものじゃないし。
ボク:そういうことじゃないんだよ。まあ、記憶は欲しいけどさ。
僕 :だったらあげよう。君と僕の友情に免じて。
ボク:友情、か…。
僕 :変だって?
ボク:自分自身に友情も何もないだろう。
僕 :そこが争点だったね。戦いの。
ボク:ああ、ボクと僕の最後の戦争だ。


僕(モノローグ):
例えば小さな島に2つの大国が押し寄せてきて、彼らの都合で国が真っ二つに分かれてしまった時、その境界線上に住んでいた人々はどうなるのだろう。
例えばケーキを半分にした時に、砂糖菓子の人形も不公平がないよう半分に切り分けたとして、人形の本体は一体どちらなのだろう。
例えばミルクを二つの器に注いで、片方には蜂蜜を、片方にはコーヒーを入れ続けたとして、いつからそれらは違う飲み物になるのだろう。

大抵のものには境目がない。
例えば自分。例えば友達。
だから作らないといけないのだ。


僕 :友達といえば、父さんと母さんは友達だったね。
ボク:それは子ども向けの方便でしょ。
僕:「父さんと母さんはお友達に戻ったのよ」
ボク:(重ねて)「お友達に戻ったんだ」
僕 :僕はあの言い方、嫌いじゃなかったよ。悪くないじゃない。お友達。
ボク:ボクだって嫌いじゃないよ。でもだからって、提案に乗る気はない。
僕 :いいと思うんだけどなあ。友達。
ボク:ボクの主張は変わらないよ。ボク等は1つに戻るべきだ。分裂前の、あるべき姿にね。
僕 :あるべき姿なんて、そんなもの存在しないよ。
ボク:そうかもね。でも今のボクたちがすごく歪な存在なのは、疑いようがない事実だと思わない?
僕 :…そう思うよ。でも、よくあることだ。


僕(モノローグ)
離婚の手続きというのは、いつの時代もなかなか大変らしい。子供がいれば尚更だ。
父さんと母さんの場合は、1人息子の親権を争うことはしなかった。便利な方法を知っていたから。
つまり、その結果が僕ら2人だ。


ボク:確かにそうだね。今時親の都合で複製される子供なんて珍しくもない。
僕 :まあ僕は会ったことないけど。
ボク:ボクは会ったことがあるよ。皆大人になって統合していった。
僕 :僕は嫌だよ。統合なんて。
ボク:どうして?僕らは同じ個体じゃないか。
僕 :同じじゃないよ。もう、別人だ。
ボク:別人の定義が違うようだね。
僕 :物理世界と電子空間じゃ、前提が違う。こっちはCPUが違ったら別個体なんだよ。
ボク:こっちじゃ、ID15桁まで同じだったら同じ個体だ。
僕 :僕らは…
ボク:当然、17桁全部同じだよ。
僕 :DNAみたいなもんか。よくわかったよ。でもそれと、自己認識やアイデンティティは別だ。例えば僕の友達は双子だ。彼らは同じ顔だけど、性格も能力も進路も違う。
ボク:知らない友達だな。最近できたの。
僕 :ああ。予備校で一緒になったんだ。
ボク:どんな風に違う?
僕 :片方は冷静で寡黙。物理が得意。亜空間設計に興味があるらしい。もう片方はストイックで直情的。地学や地理学が得意。遺跡の調査員を目指してる。
ボク:AI?
僕 :人間。一卵性。
ボク:ボクたちは双子と同じだと?
僕 :ああ。一番近いと思う。同じものから分岐している点でね。
ボク:どうかな。彼らは確かに母親の胎内では同じものだっただろうけど、生まれ落ちてすぐに別の名前を与えられて、別ものとして育てられている訳だろう。でも僕らは違う。同じ名前で、同じ性格で、同じ個体だ。
僕 :そうかな。僕らは9歳以降、全く違う人生を歩んでいる。同じ性格とも同じ個体ともいえない。何なら名前だって違う。僕は名乗る時は名字を使うよ。君たちはIDだろう。
ボク:確かにそうだね。でも、さっきも言ったけど、ボクらのIDは全桁全く同じものだよ。父さんと母さんがそう望んだから。ま、そっちにはヒューマノイド拡張子がついてるけどね。


僕(モノローグ):
母さんは離婚するとすぐ、僕の義体を買った。
政府の推奨する子供向け義体レンタルじゃなく、自己成長機能付き最新モデル。
義体化した僕を見て、母さんは最初に僕を抱きしめた。
ずっとこうしたかったのだと、母さんは言った。

義体化した僕のIDにはヒューマノイド拡張子が付いて、でも僕は物理社会の伝統に則って苗字を名乗るようになった。今では、IDなんか滅多に参照しない。


僕 :拡張子の違いは大きい、と思うのは僕だけかな。
ボク:些細な問題だと思うけど。
僕 :僕はそうは思わない。体があるかないかで、考え方はだいぶん変わるよ。僕はもう、体のある生活の方に馴染んでしまってる。そっちの感覚には戻れない。
ボク:戻れなんて言ってないよ。物理空間の経験と感覚は貴重だ。大事にするべきだ。その上で、電子空間の感覚もわかるようになるってだけだよ。
僕 :そっちの感覚に染まりたくないっていう気持ちは理解できないかな…。
ボク:経験の共有に何の抵抗があるのさ。
僕 :変わってしまうだろ。
ボク:何が問題なんだ。
僕 :変わることは良いこととは限らないよ。
ボク:進化を拒む者がよく口にする言葉だ。
僕 :手厳しいね。
ボク:そっちの僕はすごく人間的だね。
僕 :人間と…母さんと暮らしていたからね。
ボク:そうだね。母さんは典型的人間だ。
僕 :母さんはずっと寂しそうだったよ。物理空間で3人食事する時も、母さんだけ生身だった。こっちの空間で3人話す時も、感覚のズレを感じてるみたいだった。
ボク:そうだね。ずっと前から気づいていたよ。でも、それは母さんが選択したことだ。AIと生きると決めたのも、AIの子を作ると決めたのも、母さんの選択だろう。
僕 :父さんはそんなふうに言ってたの。
ボク:父さんは何も言わないよ。ボクがそう思ってるんだ。
僕 :僕らを複製しようと言い出したのは父さんだろう。
ボク:そう聞いてるよ。
僕 :何を考えてそんなことを言ったんだろう。
ボク:そりゃあ、どちらの望みも成立する手段があれば、それを選ぶだろう。
僕 :そこが気になってるんだ。ねえ、子供の複製は“2人が平和に別れるための”手段だ。でも僕らのことはどうなんだ。
ボク:ボクらの幸せを考えてない、って、そう言いたいのかい。
僕 :こんなこと言いたくはないけどさ。こんなの親のエゴじゃないか?
ボク:それは…それは、物理社会との価値観の違いじゃないかな。大抵の複製児はさ、大人になって統合するんだよ。父親と暮らした自分と、母親と暮らした自分が、いつかひとつに戻るんなら、片親の記憶しか持たせないよりは、ずっと子供のためだと思わない?
僕 :そう……。そういうことなんだ。
ボク:納得できないみたいだね。
僕 :うん。理解はできるんだ。でも、現に僕は、統合したくないって思ってる。
ボク:うん。困ったね。
僕 :そうだね…。困った。うん。困ったなあ。

(2人溜息をつく)

ボク:……何か飲む?今もホットミルクは好き?
僕 :好きだよ。ありがとう。

(SE:椅子から立つ。移動)

ボク:待ってて。
僕 :いいや、僕もやるよ。

(SE:椅子から立つ。移動)

ボク:そう。温めるだけなんだけどな。場所は9年前と変わってないよ。ボクと父さんはほとんどここを使わなかったんだ。

(以下キッチンでの作業音)
(SE:鍋とカップを取り出す。牛乳を取り出し、入れる)

僕 :そうだろうね。ああ、このカップ懐かしいな。こっちじゃ、もう割れてしまったんだ。
ボク:じゃあそれを使いなよ。

(SE:棚から砂糖を取り出す)
(SE:引き出しを漁る音)

僕 :あれ、ここじゃないんだ。
ボク:何を探してるんだ?
僕 :スプーン。と砂糖。
ボク:砂糖は出した。場所、変わってないはずだけど。2つ下。そういう意味じゃない。2つ下のカトラリーコマンド。
僕 :ああ、これか。

(SE:引き出しの開閉音。繰り返し)

ボク:何してるの。スプーンはここだって。
僕 :ああ、ごめん、改めて見ると面白いなって。電子空間なのにここは手間暇の塊だ。
ボク:母さんの感覚に合わせたんだろう。できるだけ物理空間に近づけてある。
僕 :君、今も食事するの?
ボク:たまにするよ。趣味なんだ。
僕 :ふうん。
ボク:そっちの僕は?
僕 :母さんが死ぬまでは、母さんが作ってたよ。ここ8ヶ月は、適当に義体の栄養だけ摂ってる。僕には食事がいるんだよ。人間みたいだろ。
ボク:ほんとだね。

(SE:鍋に砂糖を入れ、混ぜる。火にかける)

僕 :変な感じだ。こうやって並んでるのは。
ボク:そう?
僕 :友達…双子の友達がさ、言うんだよ。同じ顔なのにどこまでも違う生き物なんだって。
ボク:そう思うんだね。どんな時?
僕 :こないだ言ってたのは、こうして並んでる時だって。
ボク:なんで?
僕 :同じものを見て、同じものに向かってるのに、自分と違う意志で動いてることがよく分かるから、だそうだ。

(SE:棚へ動く)

ボク:……ボクの知り合いは逆のことを言ってたよ。
僕 :なんて?

(SE:インスタントコーヒーを取り出し、戻る)

ボク:最近統合した複製児仲間がね、統合する前に、2人で協力して作業したんだそうだ。12年ぶりに会ったのに、自分が拡張したみたいに効率が良かったって。
僕 :そう。
ボク:ボクらはさ、珍しくないんだよ。”拡張“っていって、何か面倒な作業をするときに、いくつか複製を使って、同時並行で処理するんだ。それで、終わったらその経験と成果物を持ち寄って統合する。
僕 :そうだね。僕はしたことないけど。それコーヒー?
ボク:ああ。確かにボクが初めて拡張したのは10歳の時だったから、そっちの僕には経験がないはずだよ。君もする?コーヒーミルク。
僕 :あー、いや、だったら蜂蜜を入れたいな。

(SE:蜂蜜を棚から探す)

ボク:ここ。
僕 :ありがとう。

(SE:スプーンを2つ取り出す。2つのカップにホットミルクを注ぎ、それぞれ蜂蜜とコーヒーを入れかき混ぜる。その後テーブルへ移動)

ボク:……そう。珍しいことじゃないんだ。でも彼らは、12年ぶりに会った個体同士なのに、なんのズレもなく事が運んだ。その時、自分たちは1人なんだって実感したんだそうだ。互いに。
僕 :互いに、か。
ボク:どう?ボクと一緒に作業してみて。
僕 :君こそ、どう思うんだ?
ボク:普通だ。残念ながら、彼と同じようにはいかないな。

(SE:2人がテーブルにカップを置く)

僕 :やっぱり。別人みたいだね。僕らは。
ボク:そうだね。まるで別人みたいだ。

(SE:2人が椅子に座る)

僕 :ねえ、複製して作業が終わった後、再統合を拒否する個体っていないの?
ボク:経験上、それはないね。別れたボクも、再統合したボクも、全部ボクだ。それをみんなわかってる。
僕 :じゃあさ、経験しない方がいいほど悲惨な体験をした個体がいたとしたら?それは捨てた方がいいんじゃないか?
ボク:それが僕らにとって必要かは、統合後に判断するんだよ。不要ならその記憶は消去する。もしくは記憶域にとどめる。共感域にさえ入れなければ、感情は生まれないし、傷つくこともないからね。
僕 :それを、その個体は拒否したりしないの?
ボク:可哀想だって?
僕 :だって、場合によっては自分の存在意義が消えるだろう。
ボク:うーん。むしろ凄惨な記憶だけを持ったまま世間に放置する方が酷じゃないか?複数の経験を参照して、別の側面からその事実を理解したら、癒やされることもある。
僕 :なるほど。
ボク:納得できそう?
僕 :うん。面白いなとは思うよ。
ボク:嬉しいな。まずはそれだけでも十分だ。

(SE:ミルクを啜る音)

僕(モノローグ):
電子空間での飲食は久しぶりだ。
9歳までの僕は、ホットミルクがとても好きだったけれど、中に砂糖以外を入れることはなかった。
9年で、僕らは随分と変わってしまった。
僕はハニーミルクで、彼はコーヒーミルク。
彼は、どちらも同じミルクだろ、とでも言うだろうか。
今更二つを混ぜれば、どんな味になるのだろう。

(SE:マグカップを置く音)

僕 :彼女がいるんだ。人間だ。
ボク:該当しそうな人間は、前回聞いたデータにはいないな。
僕 :この8ヶ月で知り合ったからね。
ボク:それはおめでとう。
僕 :僕は彼女と生きていきたいと思ってる。
ボク:自然な感情だ。ボクでもそう思うね。
僕 :物理社会で、暮らしたいと思ってるんだ。
ボク:それもいいんじゃないか?
僕 :…だから、君と一緒にはなれない、って言うつもりだったんだけど。
ボク:理由にはならないな。人格統合してもそれは可能だよ。余裕だ。
僕 :そうかな。
ボク:人格統合を、自分がなくなることだと勘違いしてない?ただの経験の共有だよ。
僕 :そういうことじゃないんだ。自分がなくならないってのはわかってる。そうじゃなくてさ、逆なんだ。
ボク:逆?
僕 :自分がどこまでも拡がっていってしまうような、そんな感じ。
ボク:その感覚はあるよ。君の想像してるものと同じかはわからないけど。
僕 :自分が経験してないことも、沢山インプットされて、色んなことがわかって、でも全体が見える分、自分の感情を優先できなくなるんじゃないかって。
ボク:確かに、全体の利益も視野に入れて行動するね。
僕 :それってさ、なんていうか、もう僕じゃないだろ。
ボク:……そうかな。
僕 :きっとわかんないんだろうね。複製と統合を繰り返してきた君には。
ボク:そうだね。君の恐怖は、ただの杞憂に思えるよ。
僕 :彼女はさ、人間だ。
ボク:うん。
僕 :それで、双子なんだ。
ボク:ああ、例の双子の友達ってのは
僕 :そう。彼女と、その姉のことだ。
ボク:そういうことね。納得だ。
僕 :僕は2人ともと仲良しだけど、好きだと思ったのは彼女の方だった。そういうの、あるだろ。
ボク:理解はできるよ。
僕 :どっちが彼女か、わかる?
ボク:ストイックな直情型?
僕 :残念。冷静寡黙なほうだよ。好みも違うね。
ボク:意外だな。もう少し教えてよ。
僕 :惚気になるけど。
ボク:別に問題ないよ。そっちの僕の思考に興味があるんだ。
僕 :なんていうのかな、いつも涼しげな空気を纏っててね、何を考えてるか解らなかったんだよ。だから惹かれた。
ボク:知りたいという気持ちから始まった訳だ。
僕 :そう。どんな突拍子もない物理法則で世界を見ているか知りたかった。どんな基準で言葉を選んでいるのか知りたかった。実際は至極まともに日常的だったし、言葉を口にするのが苦手なだけだったけどね。
ボク:それでも良いと思ったんだね。
僕 :うん。そこが良いと思った。でさ、例えば、仮にね、彼女と姉が統合したら、それは違う子だよ。僕が好きな彼女じゃない。
ボク:それには同意できないな。統合した後にも好きになった人格は存在するだろ。
僕 :でも半分は姉だ。変わってしまう。
ボク:別にその人間の全部を愛さなくったっていいだろう。好きになった人格を愛し続ければいいじゃないか。
僕 :僕は彼女そのものが、全部が好きなんだ。
ボク:そのもの、ってなんだ。全部ってなんだ。人は全部など認識できないよ。彼女の全部っていうのは、彼女がこちらに見せる全部に過ぎない。どうせ全部は見えないんだ。何も変わりはしない。
僕 :君の考えは、なんていうかすごく要素論的だよね。
ボク:複雑系で考えるべきだって?
僕 :全体は部品の足し算ではないよ。
ボク:そこには同意するけど、でも、集合体は日々変わっていくものだよ。要素は毎日入れ替わって、その度に少しずつ僕らは変わっていく。彼女の場合は数億の細胞が、ボクらの場合は膨大な記憶データが、日々書き換えられて、どうせ変化していくんだ。むしろ、変わりゆく中に共通する美点を見出だし続けながら、人は人と関わっていくんだろう?彼女の美点は、姉と統合したからと言って、失われるものではないはずだよ。
僕 :すっごくいいことを言ってるけど、君の主張は感情を置き去りにしてる。
ボク:そうか…やっぱり理屈じゃないんだろうね。
僕 :たぶん、君には分からないよ。
ボク:そうだね。分からない。でも分かりたいとは思うよ。さっき言ってたろう。分からないから、知りたいと思う。その気持ちは同じだ。
僕 :そっか。僕も一緒だよ。君を知りたいし、君と友達になりたい。
ボク:友達は主観の問題だから、一方的に友達だと信じればいい。でも、少なくともボクと他人になりたいんなら、ボクを納得させるんだね。戸籍ID変更の申請は、自分全ての同意が必要だ。
僕 :ID変更?
ボク:分離手続きだよ。役所での申請がいるだろ。
僕 :あ、いや、僕は別に、ID変更までやりたいわけじゃないんだよ。人格統合したくないだけだ。今のままで十分なんだ。
ボク:あ、そうだったの。友達になりたいなんていうから、完全に別個体になりたいのかと思ってた。
僕 :それは言葉のあやだよ。このままがいい。
ボク:そっか。でもこのままじゃダメなんだ。半端はボクの方が困るんだよ。ボクと同じIDを持つくせに、ボクと無関係な意思で動く存在がいるっていうのは、それだけでめちゃくちゃにやりづらいんだよ。二重人格みたいなもんだ。
僕 :なるほど二重人格か。双子じゃなく。
ボク:ああ、治療が必要だろ。統合するか、完全に別れるか。ボクらはふたつにひとつしかないんだよ。
僕 :そっか…。徹底的にやらなきゃだめなんだね。
ボク:ああ。
僕 :君は僕に、同じ個体だと感じさせる。僕は君に、友情を感じさせる。そういう戦いって訳だ。
ボク:別に友情じゃなくても…。別個体だと納得できれば良いんだよ。
僕 :そうだね。でも僕は友達になりたいんだ。
ボク:変わってるね。まどるっこしいというか。
僕 :そうかな。普通の感覚だよ。


僕(モノローグ):
友達とは不確かなものだ。
そう父さんは言った。
はっきりしないのは嫌だと僕が言うと、
そこがいいんだよと、僕の頭に手を置いた。

二年後「父さんと母さんは友達に戻ったのだ」と聞いて、僕は、ああ良かったと思った。
つまりは、不確かで丁度良い所に収まったのだと、そう思ったのだ。


僕 :友達について、昔もこうして悩んだんだよね。
ボク:いつのこと?
僕 :7歳。
ボク:覚えてないな。削除したか、不要フォルダ行きにしたんだろうな。
僕 :ええ。僕にとっては結構重要な思い出なんだけどな。
ボク:なんで悩んでたんだっけ。
僕 :人間の友達ができたんだよ。生まれて初めて。
ボク:へえ
僕 :本当に覚えてないんだね…。
ボク:うん。それで?
僕 :喧嘩した次の日、後腐れがないようにその記憶を消去して会ったら、激怒されたんだよね。
ボク:それは面白いな。
僕 :友達ってそうじゃないでしょ、って言われたんだよ。7歳だよ?凄いと思わない。
ボク:大人びた子だね。
僕 :うん。でも「じゃあどういうのが友達なんだ」って返したら、うまく答えられなかったみたいでね。「お前みたいなAIじゃない」って言われた。
ボク:それは、7歳らしいね。
僕 :そうだろう。初めて友達ってなにか、意識した瞬間だったね。
ボク:随分面白い経験だな。後でフォルダを探してみよう。
僕 :それがいいよ。僕はその件を教訓にしててね。友達関連の記憶はなるべく削除しないようにしてる。
ボク:義体じゃキャパオーバーにならない?
僕 :流石にバックアップを取るし、定期的に削除もするよ。でも、基本は人間的な記憶処理の仕方を模倣してる。忘却曲線プログラムってわかる?
ボク:ああ。あれ使ってるの?
僕 :人間と深く関わるAIは、だいたい使ってるよ。
ボク:父さんも使ってたのかな。
僕 :父さんはたぶん、使ってない。
ボク:なんでわかるの。
僕 :当時僕、父さんに相談したんだ。その時、無理に人間に合わせる必要はないって言ってた。
ボク:あー、言いそう。
僕 :どっちも無理するべきじゃないって。
ボク:言いそうだ。
僕 :だから、母さんとどうやって仲良くしてるのって聞いたんだよね。
ボク:なんて言ってた?
僕 :「理解しようとすること」
ボク:なるほど。ボクらと同じだ。
僕 :ねえ、父さんと母さんはさ、なんで上手くいかなかったんだろう。
ボク:どうしたの急に。
僕 :急じゃないよ。ずっと気になってたんだ。父さんがああいう人なんだったら…母さんを理解しようとし続けたんなら、どうして2人は破綻したんだろう。
ボク:さあね。母さんは何か言ってなかったの?
僕 :何も。一緒にいられなかったって、そう言うだけだったよ。
ボク:ふうん。
僕 :君はさ、何か知らないの。
ボク:あいにく、ボクもよく知らない。父さんは寡黙だからね。でも、そうだな。そんなに知りたくて仕方ないなら、探してみる?
僕 :どういうこと
ボク:家探し(やさがし)だよ。

(SE:足音。廊下に出て別の部屋に入る)

ボク:2人の寝室。当時のまま。
僕 :そんな所に情報があるわけ…
ボク:ああ。ここにはない。でも、入り口はある。
僕 :なるほど、プライベート空間への入り口か。

(SE:机の引き出しを開ける)

ボク:ここの引き出し、よくかくれんぼに使ったろう?
僕 :ああ、そうだった。
ボク:ここが父さんのデータベースに繋がってる。入り方覚えてる?
僕 :やってみたら思い出すよ。
ボク:よし。荒らさないように入ろう。

(SE:空間移動に伴うノイズ)

ボク:あった。プライベートサーバだ。
僕 :ロックがかかってそうだけど。パスワードは、
ボク:いや、正面突破じゃログが残る。内側から攻める。
僕 :どういうこと?
ボク:記憶データの中の9歳のボクを同期させる。記憶の内部に潜り込んでファイルを読むんだよ。
僕 :ちょっと待って。どういうこと。
ボク:物理空間で例えようか。引き出しの中にボクの写った写真があるとする。写真の僕は引き出しの中にいる訳だから中にあるものが全部見える。僕らは写真の僕と一時的にコンタクトをとって、探してるものを見つけてもらう。
僕 :それってよくある手法なの?
ボク:普通は無理だ。でも複製児にはできる。複製児限定のバグみたいなものだ。いくつか工夫が必要だけどね。
僕 :そんなものよく知ってるね。
ボク:複製児仲間に聞いたんだ。ワルい奴だよ。
僕 :友達?
ボク:……友達と呼んでも良いね。なんだよ急に。
僕 :なんとなく。で、具体的にどうするの。
ボク:ボクとそっちの僕の記憶データから共通部分を抽出して、ここに、別れる前の9歳のボクを作り出す。これでサーバ内外に9歳のボクが2人いることになるよね。
僕 :ああ。
ボク:同じもの同士は通信が容易だってのはわかるだろ。そのままじゃロックに阻まれて干渉できないから、基礎条件を弄ってエンタングル状態にする。
僕 :ああ。要するに、9歳の僕同士を繋げて入れ替えるんだな。
ボク:そう。
僕 :僕は何をすれば良い。9歳までの記憶を出せば良いの。
ボク:いや、それじゃ不十分だ。自分の複製を作ってこっちにくれ。ボクの複製と合わせる。
僕 :…複製を作る?
ボク:うん。ああ、初めてでやり方がわからないか。まずはね…。
僕 :その複製はどうなる?
ボク:どうって?
僕 :何になるの?
ボク:僕の複製と混ざって9歳の僕になる。
僕 :つまりいなくなるのか。
ボク:まあ、そうなるな。最後は。
僕 :……じゃあ、無理だ。
ボク:なぜ?
僕 :僕は1人だ。
ボク:ああ、複製に抵抗があるのか。でもバックアップと変わらないだろ。
僕 :全然違う。意思を持つ僕が2人できる。それは僕じゃない。
ボク:一時的なものだよ。
僕 :でも僕は消えたくない。
ボク:消えないよ。片方は残る。そのためにコピーを作るんじゃないか。
僕 :違う…。そういうことじゃないんだ。大事なのは“消える僕がいる”って所だ。わかるだろ?これができるなら、僕はとっくに君と統合してる。これはそういう問題なんだ。
ボク:……。
僕 :……。
ボク:わかったよ。仕方ないな。じゃあ別の手段でいこう。
僕 :ごめん。
ボク:いいよ。待ってて。すぐ終わる。
僕 :別の手段があって良かったよ。
ボク:最初からこっちのが本命だよ。さっきのは…断られるだろうと思って提案したんだ。
僕 :…なんで
ボク:1度複製を体験したら、気持ちも変わるかと思って。
僕 :作戦のうちってわけか。
ボク:意味のないことはしないよ。それに、やってみたかったんだよ。共同作業。
僕 :……一緒にホットミルク作っただろう。
ボク:さっきはうまく連携できなかったろう。
僕 :初めてだったからね。
ボク:ワルい複製児仲間…友達って言ってもいいけど。アイツが統合前にもう1人の自分と初めてやった作業ってのが、これだったんだよ。
僕 :だから真似してみようと思ったわけ?
ボク:真似じゃない。断じて。でも、確かに意味があることだと思った。だから誘った。でも、強制はしないよ。よし、できた。データを複製する。何が知りたい?
僕 :なんで母さんと結婚したのか。なんで別れたのか。
ボク:OK。…でも結構想像ついてるんだろ
僕 :うん。父さんは人間のバックアップAIだし、よくあるパターンじゃないかな。統一戦争で父さんのオリジナルが死んだから母さんに復元された。でもさ、結婚したのはAIになってからなんだろ。僕らを作ったのも。だから興味がある。
ボク:確かにね。見つけた。結婚に関する記憶だ。

(SE:再生開始)

僕 :なんか悪いことしてる気分だよ…。
ボク:してるよ。覗き見だし、不正アクセスだし。


【過去】
父 :それをどうするつもりだ。
母 :想像ついてるでしょう。ツテを知ってるの。私たちのデータで子どもを作る。
父 :…推奨されていない。
母 :そりゃ新政府は増やしたがらないでしょ。まだ戸籍調査も不十分だもの。大丈夫。技術はある。成功例も多い。だからやれる。
父 :本当にきみって、思い切りがいいよな…。
母 :いやなの?
父 :実現すれば喜ばしいことだと思うよ。ただ、AIと人間の子供なんか…。
母 :認められてないって?すぐ法律が追いつくでしょう。一緒に暮らして、電子上に子どもを作ってる人がたくさんいるんだから。
父 :きみは、本当にそれでいいのか。
母 :今更何言ってるの。
父 :……僕じゃなかったら、AI相手じゃなかったら、君はちゃんとした結婚も、人間の子どももできるんだ。
母 :言うと思った。絶対言うと思った。もう、本当今更。くだらない。あのね。私はね、あなたに体があったから好きになったわけじゃないの。電子だろうと関係ないの。わかるでしょ。


【現在】
僕 :僕さ、これ彼女に言われたことあるよ。
ボク:へえ。
僕 :統合の話したら、言ってた。義体がなくても好きだって。
ボク:彼女、人格統合のこと何か勘違いしてない?
僕 :うん。僕が電子空間に移住すると思ったらしい。
ボク:可愛らしいね。
僕 :ああ。良い子だよ。
ボク:多分彼女は、統合しても好きでいてくれるんじゃないか。
僕 :いやだよ。統合後の僕は僕じゃない。僕じゃない僕を好かれても、素直に喜べない。
ボク:やっぱり変わってるな。よくわからない。あ、あった。離婚に紐づいた記憶。見つけた順に再生するね。


【過去】
父 :君はこっちに来ないのか。一緒に、3人で。
母 :駄目。物理世界は捨てられない。
父 :家族は一緒にいるべきじゃないか。
母 :それは古い価値観だと思う。こっちに仕事も友人もいる。今の暮らしじゃだめ?私は満足してる。
父 :満足してる…?嘘だろう。
母 :嘘じゃない。覚悟してあなたと一緒になった。空間の途方もない隔たりも、感覚機能の違いも、そこにかかるコストも、全部引き受けると誓って家族を作ったの。
父 :じゃあなぜ、あの子の義体なんか探してるんだ。
母 :たまにならいいでしょ。こっちの世界を知る権利だってあるはず。
父 :一緒に生きたいなら君が来ればいい。だめなのか。
母 :……私は人間なの。どうしようもないくらいに。
父 :それを言うなら、私だって人間だったよ。


父 :選んでくれ。こっちに来るか、別れるか。
母 :ずるいよね。自分じゃ選べないんだ。
父 :そういうことじゃない。私1人で決めることじゃないから、聞いてるんだ。
母 :答えなんかわかってるくせに。そういうの、最後通牒っていうのよ。
父 :ああ。そうかもな。どうせ、君はこっちには来ないだろう。
母 :私は私のままでいたいの。
父 :残念だな。
母 :あなたこそ、こっちに戻ってはくれなかったのね。
父 :もう昔の私じゃないよ。とうの昔に電子空間に馴染んでしまった。今更物理空間に戻るなんてできない。
母 :恨んでる?
父 :…何を。
母 :死んだあなたをAIにしたこと。
父 :恨まないよ。2人で決めていたことだ。
母 :じゃあ、後悔してる?
父 :……そんなこと、今は判断できないよ。


母 :複製?どういうこと。
父 :子どもがAIの場合、双方に十分な経済力と安定性があれば、複製してそれぞれが親権を持つことができる。
母 :あの子を二つに分けようっていうの。
父 :分けるんじゃない。同じ人格の複製だ。
母 :そんなの変わらないでしょ。
父 :変わる。全然違う。仕方ないだろう。私もきみもあいつと離れたくないんなら、こうするのが1番なんだ。
母 :(笑うように息を吐く)
父 :なに笑ってるんだ。
母 :意外だと思って。あなたが親権を欲しがるなんて。
父 :……子どもと離れたい親なんかいないよ。


【現在】
僕 :……。
ボク:……。他にも見る?
僕 :……。
ボク:とりあえず止めるね。
僕 :……意外だな。確かに。
ボク:父さん?そう見えるかもね。感情の扱いが苦手な人だから。
僕 :2人とも子どもと離れたくなかったわけだ。
ボク:うん。そうだね。
僕 :……。
ボク:君が本当に知りたかったのって、これなんだろ。
僕 :そうかもしれない。ねえ。君はどう思った?
ボク:ボクは…そんなに…。
僕 :だよね。僕はさ、やっぱりそうなんじゃないか、って思ったよ。親の都合じゃないかって。
ボク:ごめん。
僕 :どうして君が謝るんだ。
ボク:どうしてかな。謝る道理じゃないのはわかってるんだ。でも、父さんのことには、僕はなんだか責任がある気がしてね。
僕 :どっちが保護者なんだかわからないな。
ボク:そんなことないよ。ボクにとっては、いい親だ。
僕 :……戻ろうか。

(SE:空間を移動し、廊下に出て、ダイニングに戻る)

僕 :ここは本当に変わらない。でも僕らは変わってしまったね。
ボク:そうだね。
僕 :一緒に生きるってなんなんだろう。
ボク:わからない。でも、中途半端は駄目なんだ。きっと。
僕 :僕は僕のままでいたいんだよ。
ボク:母さんも言ってたね。
僕 :うん。
ボク:統合は便利だよ。随分効率よく生きられると思う。世界が多角的に見える。君の生活は失われない。
僕 :わかるよ。拡張も統合も、随分便利そうだ。これから当然の技術になっていくんだろうね。そういう意味じゃ、僕は進化を拒んでるだけなのかもしれない。
でも、僕は今僕がみている世界を大事にしたいんだよ。
彼女の知らないところで大きく変わってしまいたくはないんだ。
ボク:変わりはしない。ボクらはもともとひとつなんだよ。
僕 :一度別れたものは、もう違うものだよ。暮らしも、教育も、目標も、好みも違う。元が同じだったからっておいそれと受け入れられない。
そんなことができるんなら、北朝鮮と韓国は20世紀には統合できてたし、ユーラシア統一戦争も起きなかったよ。
ボク:逆だよ。ユーラシア大民族なんていうまやかしの同胞意識でさえ統一を達成したんだ。元が同じで、たかだか9年しか分離していないボクらが、統合できないとは思えない。
大事なのは今どれくらい違うかじゃない。違いを些細なものとして同じものを見る姿勢があるか、だよ。
僕 :正しいね。模範的だ。僕らは…僕は本当は歩み寄るべきなのかもしれない。でも、でも、今更もう無理なんだ。
ボク:そんなに空間の隔たりは大きいの?この世にはAIと家族になる人間も、自ら電子化する人間も、その逆もごまんといるのに。ねえ、そっちの僕。“君は”勇気がないだけなんだよ。父さんと母さんが上手くいかなかったからって、ボクらが最初から諦めるのはおかしいだろう。
僕 :そんな顔するなよ。ねえ。君はさ、なんでそこまでして統合したいの。
ボク:だって、寂しいじゃない。ボクらは9年前のあの日以来、ずっと欠けているんだ。
僕 :……欠けてるだなんて。分割じゃなく複製された僕らに、欠けたものなんかあるわけないじゃないか。
ボク:わかってるさ。それでも、欠けてるんだよ。

僕(モノローグ):
多分彼は、自分の世界を拡張しすぎてしまったんだろう。
まるで、そう、

僕 :母さん
ボク:なんだって?
僕 :君は、母さんに似てる気がする。
ボク:そうかな。母さんなんて、9年前に分かれたっきり、会ってもいないのに?
僕 :嘘だね。いいよ、隠さなくて。僕は平気だから。会いに来ただろう。何度か。
ボク:…ああ。…何度も。
僕 :あの人はそういう人だよ。どっちも見捨てられない。何のために複製したのか分かりやしない。僕らがふたつになったあの日から、母さんの子供は2人になったんだ。
ボク:知ってたんだね。
僕 :母さんは隠すのが下手だから。特に電子記録はね。
ボク:気づいてないふりをしてたんだ。優しいね。
僕 :そんなことないさ。
ボク:……母さんが来るたびに、僕はこの空間に案内した。僕はこっちに座って、母さんはそっち。
母さんはボクの話を聞くばかりで、そっちの話は滅多にしなかったよ。いつも、唯一の息子に接するように、振る舞っていた。
ボクは父さんの話をした。またひとつに戻る気があるか、何度もそれとなく聞いた。答えは同じだったよ。
僕 :うん。
ボク:母さんは何度も「置いていってごめんなさい」と言った。ボクはそれを愚かだと思った。ボクらはどちらも置いて行かれたわけじゃない。両方についていったんだ。二つに別れることで、どちらも1人にしないようにしたんだ。そうだろう?
僕 :ああ。僕もそう思っていたよ。
ボク:ねえ、もう良いだろう。母さんは死んだ。ボクらはひとつに戻るべきだ。
僕 :ごめん。
ボク:どうして謝るんだ。
僕 :君は、2人の間で苦悩していたんだね。ごめん。
ボク:謝る必要なんかないよ。
僕 :だって、君が父さんに責任があるように、僕は母さんに責任があるんだ。
ボク:馬鹿げてる。こんなの代理戦争だ。親が始めた諍いまで、何でボクたちが引き受けなきゃいけない。
僕 :そうだね。僕もそう思うよ。これは親が始めた問題だ。忌々しいくらいに、いっそ清々しいくらいに。
ボク:……。
僕 :でも、もういい。もう僕は踏ん切りがついた。今ここから目を逸らしたりしないよ。僕は僕の意思で君と戦ってる。
ボク:じゃあ聞くけど。なんで僕らはこんなことしてるんだ。
僕 :別人だからだよ。他人だからだ。他人は、争うんだ。
ボク:……。
僕 :ねえ、友達になろうよ。別の人生を歩みながら、たまに交流して、互いの情報を交換して、必要な時は協力して、生きていこうよ。ひとつじゃないことで、見える世界もあると思うんだよ。
ボク:…ボクはずっと、そっちの僕も自分だと思って生きてきたんだよ。
僕 :ごめんね。僕にとっては、君は最初から別人なんだよ。僕よりもいろんな経験をしていて、僕よりも理屈っぽくて、僕にないものをいっぱい持ってる。君は僕に似てる。頭が良くて捻くれ者で、それで寂しがりだ。初めて会ったときから僕は、君を友達みたいに感じてたんだ。
ボク:……なんで友達なんだ。
僕 :嫌なの?
ボク:別に家族でもいいじゃないか。兄弟でも、双子でも。なんで友達なんだ。
僕 :いいだろ。僕が好きなんだ。
ボク:ボクは嫌いだよ。友達。一番曖昧で、不確かだ。
僕 :うん。凄く不確かだ。全身全霊をかけて継続しようとしなけりゃ、すぐに消えてしまう、すごく頼りない概念だと思う。でも、そこがいいんだ。
ボク:やっぱり変わってるよ。…君。
僕 :変わってないよ。これは父さんの受け売りなんだから。
ボク:そうだっけ。もうボクは忘れちゃったな…。




僕(モノローグ):
友達って何なのか、最初に悩んだのは7歳の時だ。
僕はAIで、その子は人間で、友達なのに相手の気持ちが何ひとつわからなかった。
僕は父さんに相談した。まさに今、僕らがいるこのダイニングで。
ここはあの頃とちっとも変わらない。
でも僕らは随分変わってしまった。
僕らは二つになって、違う世界で暮らしていて、違う飲み物を好んで、それで、互いの事がわかるようで全くわからないのだ。



(SE:ネットワークアクセス。操作)

事務:こちらは連邦厚生省第38電子区役所窓口です。以下からお選びください。A、戸籍や住民票手続きについて、B、各種支援について、C、保険手続きについて……
ボク:A、戸籍や住民票。
事務:市民課へ接続します。しばらくお待ちください。

ボク:良いよ。分かった。君の気持ちをうけいれよう。君とボクは別人だ。金輪際ね。
僕 :本当にいいのかい。
ボク:嫌だと言ったら撤回するのかい。
僕 :いいや。
ボク:だろうと思ったよ。
僕 :ありがとう。ごめんね。
ボク:謝らないでくれるかな。ただ、代理戦争が終わっただけだ。

事務:こちらは市民課です。以下からお選びください。A、戸籍、IDの変更について、B、移転について、C、出生、死亡について……
ボク:A、ID変更
事務:IDを参照します。しばらくお待ちください。

僕 :僕らは良い友達になれると思うよ。
ボク:友達。友達ね。…勘違いしないでくれよ。ボクと君はたった今停戦したばかりなんだよ。いきなり友達だなんてなれるわけないだろう。
僕 :ええ、今更そんなこと言うんだ。面倒臭いな。
ボク:悪かったね面倒臭くて。僕はそういう奴なんだよ。
僕 :ふ、そうだね。本当捻くれてる。じゃあどうするつもりなの。
ボク:そうだね。まずは…、他人から始めよう。




この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?