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〚いつか〛が来る時まで、

「波音、起きとるかい?、ばあちゃんな死んなさったって。」

四年前、2018年の7月、その言葉で起こされた。
その日は仕事が休みだった。
わたしは当時、休みの日は時間に縛られず、起きたい人で、休みの日の前日の夜から携帯の電源を落とすタイプだった。
だから、父から何度も連絡が来ていたことに気づかなかった。
父と母は、わたしが小学生の時に離婚していて、その日亡くなったのは、父方のばあちゃん。
朝わたしを起こしたのは、母方のじいちゃん。


わたしは、ばあちゃん子だった。
父と母が離婚した時も、『パパとママは他人になったけど、ばあちゃんが波音のばあちゃんであることは変わらんけんね。困ったことがあったらいつでも言いなっせ。』って言ってくれた。
中高で、吹奏楽…音楽にのめり込んで、ばあちゃんに会いに行くことが少なくなった。
専門学生になり、部活がなくなり、自由ができて、原付バイクで1時間半かけて、時々ばあちゃんに会いに行くようになった。
『また、おいで』「うん、またね」

就職活動で、とある医療介護施設に内定が決まった。
ばあちゃんに「〇〇に内定決まったよ」って報告した。
『〇〇ね?!ばあちゃんが行きよるとこたい』
わたしが内定もらった施設は人工透析を主としてる病院で、ばあちゃんは、その病院で透析で通院していた。
自分の体のことは深くは言わない人だったから、わたしもあえて深くは聞いた事なかった。
『四月からは波音に沢山会えるたいね、嬉しか』
わたしも嬉しかった。

四月、入職して、また昔みたいにばあちゃんと沢山話せるようになった。
ただ、当たり前だけど、波音は仕事中だから、そんなに多くは話せるわけでなかった。
時々、併設の介護施設に入所していたため、仕事終わりに、会いに行くことは何度もできた。
だけど、〚いつでも会える〛からこそ、行かなかった。

ばあちゃんが亡くなる二日前、母に「波音の仕事終わりにばあちゃんに会いに行こうか」と言われ、「今日は疲れた、明日は厳しいから、明後日行こう」と約束した。

明後日は無かった。

ばあちゃんは、目がほとんど見えてなかった。だけど、声で波音を分かってくれていた。亡くなる前日、とても機嫌が良くなく、声をかけたが、わたしのことを分からず、看護師さんだと思い、ちゃんとお話できなかった。
だから、言えなかった、「またね」って。
でも、どうせまた話せるって、思ってた。

あの朝、じいちゃんに起こされ、その事実を聞いた時、信じられなかった。携帯の電源をつけるのが怖かった。受け入れられなくって、涙も出なかった。

ばあちゃんに会いに行った。
あの冷たさが今も忘れられない。

わたしが、ばあちゃんに言われた最後の言葉が、看護師さんと間違えられて言われた『あっち行って』だった。
あの日、仕事終わりに、会いに行ってたら、「またね」って言ってたら、…。

火葬の時、ボタンを押せず泣き崩れた父を見て、これは現実なんだと、涙がこぼれた。もう、会えないのか、、


今の職場に直談判したこと、上京したこと、……
よく行動力に驚かれる。
だけど、もう二度と、せずに後悔したくない。

会いたい人には会う
したいことはする
行きたいとこには行く

2016年、震災で日常が非日常になることを知ったはずなのに、いつでも会えるなんて、そんなはずなのに…
熊本地震、大好きなばあちゃんの死、コロナ禍…

日常なんて、ビードロみたいに、いつかすぐ割れる。
その〚いつか〛がいつ来るかは分からない。

この生きにくい日常に、素直に感謝できるほど、綺麗な人間ではないけれど、後悔だけは、もうしたくない。
本当は、すぐにでも、ばあちゃんのところへ行きたいと時折願うほど、生きていたくない人間だけど、きっと、行こうとしたらばあちゃんに、波音に対して『あっち行って』と言われそうだから、まだ行かない。


もう少し、がんばる。

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