この世は地獄です。だから。
トナカイさんのこの記事が、僕は大好きで、何度も読んでいます。
生きることは地獄です。それはもうずっと、僕の変わらない感覚です。どうしてこんなにも、ただそこにいることが許されないような感覚を、僕たちは持ち続けなくてはならないのでしょうか。努力とは生命の必要最低条件なんでしょうか。そんなはずはない。草花がただそれだけで美しいように、僕たちは生きているだけで美しいということを、繰り返し伝えなければいけないと、僕は思っています。
僕は、いつからか、とても生きづらくなっていました。きっかけなんて今更なんでもいいのです。
死ぬことが怖い。生きるのも怖い。人と会いたいけど、関わったら嫌われてしまうのではないか。嫌われるのは、とても怖い。傷つくのが怖い。明日なんてこなければいい。一人でいればもうこれ以上傷つくことはない。それなのに一人の夜も怖い。苦しくて怖くて悲しくてさみしくて何もできない。こんなに苦しい事ばかりなら早く死んでしまいたい。痛いのは嫌だ。寝てる間にだれか首を落としてくれないか。そんなふうに呻きながら布団にくるまって朝方にようやく疲れて眠りに落ちて、昼頃起きて、1日を始める。そうしていてもまたどうしても悲しい夜は来てしまう。
生きていることは、どうしてこんなにも悲しいのだろうか。いくら考えてもわからなかった。生まれてこなければ、悲しくなることも、変わりたいと思うことも、変われないことに絶望することもなかった。生まれてこなければよかった。何度も思いました。
しかし、やっぱり、「生まれてこなければよかった」という言葉は、あまりにも悲しい。悲しすぎる。そうでしょう?この世は地獄だと、それはもうそうなんだと思う。そうだとしても、地獄でなぜ悪い、と言えるほど僕は強くない。助けてくれ、と誰に言ってるかもわからない言葉を何度もこぼした。
だから、僕は、この地獄を「できるだけ穏やかな気持ちでいられるようにやり過ごしましょう」と、言いたいのです。
安らかに、穏やかに。明日を恐れず、一人を怖がらずに、生きてるのも悪いものではないなと思えるような、そんな夜ができるだけたくさんあればいいのにって思います。
僕の「生まれてこなければよかった」を「生きているのも悪くない」に変えてくれたのは、コーヒーでした。コーヒーと甘いものと好きな本と素敵な空間が作る、あの時間でした。
あたたかくて苦くて濃いコーヒーが、悲しい時間を溶かしてくれた。
甘くてしっとりしたチョコレートケーキが、泣きそうなほどおいしかった。
そこには一人の人が何人もいた。僕は一人でもよかった。少しさみしくなかった。僕らは一人だという点で似ているのだから。
「珈琲の表現」という本で著者の蕪木さんが言っていました。
珈琲は、生きていく上でかならずしも必要なものというわけではありません。しかし、人間らしく、豊かに生きるためにはとても大切な嗜好品だと思います。
…
さらに魅力的なのは、暗い感情にも寄り添ってくれるその気質でしょう。溜息をつく時間であったり、感情を咀嚼して想いに耽る時間であったり、珈琲は弱り、乱れた心を沈める時間をより一層深いものとしてくれます。
極端にいってしまうと、珈琲屋として自分たちが作っているのは「弱者への嗜好品」とさえ思っています。
僕はこれを読んで思わず涙を流しました。こんな思いで珈琲を淹れている人がいる。僕は間違ってなかったと、勝手にそう思いました。「珈琲は弱者への嗜好品」この言葉を僕はずっと忘れない。自分のことを弱いと思い続けていた。強くなりたかったけどなれなかった。でも、それでよかった。そのおかげでコーヒーに出会えたのなら。
僕は、僕を救いたい。僕のような人間が、泣かないで生きていけるような場所があって欲しい。
自分には何ができる?そのために何ができる?僕は誰かを救えるか?それで自分は救われるか?救われなかったとしても後悔しないか?むしろ後悔してもいいと思えるか?何ができる?夜を恐れる、全ての人に、僕は何ができる?何をしている時楽しかった?何をしてもらって嬉しかった?何を与えた時に喜びを感じた?
同じような寂しがりの死にたがりの友達が、「死にそう。コーヒー飲みに行っていい?」と連絡をくれた夜があった。「もちろん」と言った。歩いて30分以上かかる距離を、彼は来た。大切な友人。チョコレートを買ってきてくれた。豆を挽いて、お湯を沸かして、コーヒーを淹れる。僕らの好きな音楽を聴きながらチョコを食べてコーヒーを飲む。おいしい、と。ありがとう、と。言ってくれた。
僕は、彼の夜を救ったような気持ちになった。
僕が僕であったから。自分なんて嫌いで、傷つくのも失敗するのも嫌われるのも怖くて、弱くてどうしようもない僕だからこそ感じられる世界があるはずなんだ。”僕だけにできること”なんて夢物語を捨てられない。
僕は、誰かの”大丈夫”になる。ここにいれば大丈夫だと、生きているのも悪くはないって思える場所になる。
どうせ僕もみんなも死んでしまうのだから、終わってしまうのだから、何もこの世界には残せないのだから、そしてこの地球もいつか終わるのだから、穏やかな気持ちでいたい。
僕は喫茶店を開く。「生きているのも悪くはない」そう思える場所になる。生きている間は、穏やかでありたい。どうせ死ぬくせに辛いなんておかしいじゃないか。この世は地獄だけど、それでも、少しでも「生きているのも悪くはない」そう一瞬でも思えるなら、そんな場所になれたら。そんな時間を過ごしてもらえたら。
どんなひどい悲しい日だったとしても、あったかい一杯のコーヒーとひとかけらのチョコレートがあれば1日の終わりはいいものになるんだよ。僕はそう、信じてるのです。
僕の覚悟のために書きました。読んでくれた方、ありがとうございます。
最後まで読んでいただきありがとうございます。 あなたの心に何か残れば幸いです。