温泉卵の行方
温泉卵はお好きですか。僕は大好きです。例えば、いつもの牛丼に乗ってるととても幸せな気持ちになれる。普段のあらゆる適当な食事にのせてみよう。それだけでなんか料理がグレードアップした気分になる。ただの卵一つで。
しかし思う。温泉卵は「おいしい」のか、と。彼は大抵すぐに割られて、黄身も白身もよくわからなくなり周りに溶けていく。正直、見た目ほどの影響をあいつは料理に与えない。黄身がかかった部分が一瞬トロッとするだけだ。彼は見た目の華やかさと裏腹に、舌への幸福を連れてこない。
彼はパセリみたいなものだ。上に乗っていると「お、美味しそうだな」と思わせるだけ。実際の味を気にする人はあまりいない。あのふっくらした楕円を割る瞬間に我々はトッピング代を払っているんじゃないだろうか。
目玉焼きはどうだろうか。私はソース派でも醤油派でもなく塩胡椒派である。あいつはすごい。使う油、火加減、フライパン、何をかけるかで無限の味の可能性を見せてくれる。卵そのものの味も大きく関わってくる。卵を食べるとは目玉焼きを食べることだと思う。
卵焼きはどうだろうか。無論、頂点。だし巻き卵は宇宙である。あれがおいしくない和食屋は信用できない。卵焼きは人を救う。あのふっくら熱々のだし巻きを箸で優しく割って食べる。それを幸福と呼ばずなんと呼ぶ。
茹で卵はどうだろうか。自身では作らない(殻を剥くのが面倒だから)けれど、茹で卵が冷たいままラーメンに乗せて提供するラーメン屋、潰れて欲しい。それだけである。半熟こそ正義。
温泉卵はどこへいくのか。彼は私たちの生活を彩る実態のないフェイクのように感じる。それでも人は温泉卵を牛丼に乗せて割る至福をやめないだろう。目の前の100円の幸福を我慢できるほど強くないし、また我慢する理由もないからである。
p.s 温泉卵をシンプルにご飯に乗せて醤油とごま油をかけて食べるとめちゃくちゃおいしい。
最後まで読んでいただきありがとうございます。 あなたの心に何か残れば幸いです。