手記。あるいは遺書としての。


いずれ訪れる死のために、いつかわたしが死を選んでしまった時のために、ここに何かを書き記しておきたいと思う。これを私が死んだ後、家族や友人が見つけても見つけなくてもいい。私の意思がここに文章として残っていることが大事なのである。どこかの誰かが読んでくれるだけで、私の何かが救われるかもしれない。さようなら世界。まだ死は選ばないけど。


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まず最初に言いたいのは「あなた方にできたことなど何一つもない」ということ。私が自死を選んだのは、私が1人で絶対的に決めたことであるから、あなたが私の意思決定に関わることはできない。「何かできたことがあったのではないか」などと悩まないでほしい。できた事などないから。だからまず安心して欲しいのだ。後悔なんてさせない。私は私として、絶対的な意思を持って死んだのだ。


思えばいつからか憂鬱でしかたなかった。生きる理由と死ぬ理由ばかり考えていた。死ぬのだ。私はいつか絶対死んでしまう。生きた痕跡(そんなものあるのか知らないが)を残そうと残さなかろうと、死んでしまえばそれらを認識できないのだから一緒だ。

夢のようなものはある。行きたいところ、会いたい人、食べたいものもある。しかし、それらがあるからと言っても生きていく理由にはならなかった。虚しい。虚しいのだ。全てが終わっていくことが。何をしても、何を成さなくとも全ていずれ形を失って滅んでいく。それを私は知っている。馬鹿げているだろうか?


唐突に死にたくなる。じっくり死にたくなる。穏やかに、死にたくなる。美しかった過去を想う。もう取り返せないことばかりである。私は、もうなにもかもどうしようもないと信じている。私は「治らない」と認識している。なぜならこの希死念慮と憂鬱は病気なんかではないから。風邪や骨折とは訳が違う 。これは一つの認識であり、思考法なのだ。薬や手術で治るならよかった。りんごは赤い、という認識は覆らないように、生きることは虚しいという“認識“は覆らないのだ。この思考に至ってしまった時点で、私はもう戻れないのだ。あの、何も考えていなかった頃に私は戻れない。死について。性について。生について。もう、どうしようもないじゃないか。生まれてから物心つくまでの数年で培われた根本的な精神的構造が数年を経て今、私を殺す。死ぬのだから。絶対に死ぬじゃないか。覆らない真実。全ては滅び、それが遅いか早いかの違いでしかない。「死なないでほしい」という言葉をかけられても、「いつか死ぬけど、いつならいいんだ?」としか思わなかった。ああ、いつか死ぬ。今死ぬことと100年後死ぬことの違いがわからない。


私は、生きていく理由を欲していた。今も。明確な、守るべき理由が欲しい。この世にいくつもの宗教がある理由がわかるようになった。神という偶像にでも縋らなければ、どうにも生きるのは大変すぎる。しかし此処は無宗教大国日本なため、どんな言葉も信じることはできないようになっている。私は、童貞のまま死にたくない、以外は何も無かった。小さい人間である。しかしそんなものではないか。愛する人とセックスできたなら、もうなんでもいいじゃないか。自己暗示かもしれないが本気でそう思っている。


もう、この世界に未練はない。確かに美しい風景は見たい。しかし全ての美しいものを見ることはできない。自分の二極思考は理解している。100でないものを0と捉えてしまうのだ。完璧主義とも言える。けれど、そうでないのか?100じゃないなら、0じゃないか。傷は治らず、生きた年月だけ私は弱くなる。傷の痛みを思い出して、怖くて泣いてしまうんだよ。


いろいろなことを思い出す。小学生の頃の友人の家、同じ委員会だった好きな女の子、初めて友人と大晦日を過ごした日、好きな人の体温、香り。雪の通学路。夕焼けの橋の上。美しいものは過去にしかないのに、もう全て取り返せない。


俺は、あの思い出が欲しいのに。私はただ、悔しいのだ。これからあるであろう美しいことも汚いことも何もかもが過去になり過ぎ去り取り返せなくなることが。ああ、また取り返せない時間が過ぎていく。


自分が思う憧れたなにかに近づくために本を読んだ。映画を見て文章を書いて音楽を聴いて煙草を吸ってコーヒーについて学んだ。啓発本も読んだしファッションも勉強した。憧れた何かに近づきたかったから。私は何をしているんだ。どこに行くんだ。もう受け入れられない事ばかりなのに。こうして今日も現実とやらを受け止めずにいろんな文章を読んでよくわからないことを吐き出している。心の隅っこで「いつかよくわからないきっかけで圧倒的に幸福になれるのではないか」と思っている。異世界転生の小説と同じだ。ここではないどこかに行って、なんかよくわからないけど幸せになれるんじゃないかと縋っているんだ。


いつか、救われるのではないかと思ってもいたが、救われた先に待っているのはそれら全てなかったことにする死である。なんと酷いことだろうか。なんと現実は残酷で救いがないのだろうか。私は、安心していたい。もう何にも心配することなく、温かい気持ちで毎日眠りにつきたい。しかし、生きている限り永遠の安心は訪れない。それは未来がわからないから。ああ、不安だよ。生きることは不安だ。


頑張らないと、何かを掴むことはできないのか。努力しなければ、やりたくないことをしなければなにもこの手に収めることはできないのか。そうしてやっと手にした何かも、油断すればするりと手を抜けて行くというのに。それで、どうして積極的に生きることができようか。どうして、どうしてみんなが生きていけるのか皆目わからないんだ。


私には、ここにいれば大丈夫だと思える場所がない。私は、本当の気持ちを、人から評価される目を考えない思考をいつの間にか失っていた。人の目ばかり気にしていた。「評価される人間」であろうとした。そうしなければいけないと信仰していた。素の自分の言葉を発したら、この世界から居場所が無くなると信じていた。ようやく、それは嘘だと気づいた。少し遅かった。


本当はがんばりたくないのに、努力し続けていた。そうしないと世界から居場所が無くなると思っていたから。こうなったのは誰のせいだ?わからない。長い間少しずつ自分に溜まっていた毒が、今発症したのだ。死因は、生まれてから生きた時間全てだ。私が私として生きたから、死ぬのだ。その尊厳は、あって欲しいと思う。


もう、なにもしたくないのに、人から褒められたいのだ。すごい人だと、偉い人だと思われたい。ずっとそうだ。空っぽだ。それを見ないようにしていたから、今日まで生きてこれたのかもしれない。


これから先を生きていけば、もっと酷い目に合う。全力で努力しないと、不幸を回避できない。辛うじて乗り越えて得た幸福も、あっけなく再び崩れ去るかもしれない。そうしてまで、どうして生きるのか。わからない。もうこれ以上嫌な思いをしたくない。


適度な身の丈にあった幸せとやらがあっても、それで私は満足できないんだ。どうせそれを失う恐怖に怯え、その先にまたがんばらないと悪いことが起こる恐怖に怯えるんだ。


今まで不満足だった分、世界への復讐として、私はとんでもなく幸福になりたい。それがどんな形をしているのか、わからないくせに。なあ、こんな自分、もうどうしようもないじゃないか。文字に起こしてよくわかった。ダサすぎるじゃないか。なあ。どうするんだ?なにを求めて生きるんだ。欲しいもの、あるんだっけ?それは自分が欲しているのか、それともそうなった自分を褒めて欲しいのか?よくわかってる。こうして泣き言を言っている自分が何かを成して、評価されたいんだ。わかっているんだよ。


疲れているのだ。もう、十分すぎるほどに私は疲れたのだ。

「疲れたから」

この世界から逃げるには、充分すぎる理由だ。


最後まで読んでいただきありがとうございます。 あなたの心に何か残れば幸いです。