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明日死ぬかもしれないと

それは私かもしれないし、私の周りにいる人かもしれないと

日々思いながら生きていますが変でしょうか

いつかわたしがこの世からいなくなった時に、自分のしてきたことを遺しておきたいし、

大切に思っている人もいるのでその人たちへの言葉やメッセージも遺すためにと始めてみました。

生きてきた記録と、遺書のようなものです。

一つ目の投稿は、わたしが死んだ後のお願い事を書き残します。

私は海が好きなので死んで燃やした骨は海にばらまいてほしいです。

海にまくこと難しいのであれば土の中でも別にいいのですが

私にあの青いテレキャスを抱かせたまま燃やして埋めてほしいです。

お葬式は日本のお葬式じゃなくて

キリストのお葬式がいいので

早くやることはやっておきます。

歌を歌う、白い景色の、お花を置いてもらえる

あのお葬式。がいいです。

最後に顔を見られる時も海(ギターのこと)を腕の中に抱かせて箱の中に入れておいて欲しいです。

新しい世界へ行くときは海と一緒がいいです。

私は、(自分自身の実際の)家族という存在に恨みを持っていますが、それも生きているうちに変えてから死にたいです。

あかりというねこは家族とても大切な家族です。

あかりは18歳。

玄関の前にもいつもいて待っていてくれたけどかまうと素っ気なくする美しい猫です。喋れないけれどあの家の中で唯一私を助けてくれるのはあかりでした。

ありがとう。

そしてお父さんは

私にピアノをやらせてくれて、楽器をくれてありがとう。本当それに感謝。

ゆっちゃん。
あなたの書いてくれた「愛」と「海」という絵(このブログのタイトル画像は「愛」という絵)は、私がいつも肌身離さず持っているお守りです。私を本当に守ってくれたお守りでした。ありがとう。

燃やして欲しくはないけれど私が死んだ後ときには愛も海もどちらの絵も一緒に燃やしてください。

そしてthe dustとゆっちゃんと一緒に撮った写真がどこかしらにありますので
それも私に握らせて一緒に燃やして眠らせてほしいです。

共に燃やしてほしいものばかり笑

死ぬ前にdustのCDができること、ずっとずっと願っています。生きてる間にほしいな…

the dustのa little match girl、SSDDという曲に私はこの命、救われて今まで生きてこれました。

とにもかくにも私は

家の外で出会った人たちとの縁に、出逢いに、本当に運が良いことにとても、かなり、恵まれていて、みんなにたくさん助けてもらって支えてもらって生きてきました。

みんなに日々感謝しています。

ずっと忘れられないのは中学の頃の音楽の先生

渡邉朋子先生。

こういう大人になりたい、こういう人間になりたいと初めて憧れを持った人。

両親を頼れる状況じゃなかったので当時は

先生のことを母のように思ってました

とても強く凛々しく美しい女性でした。

真っ直ぐ芯が通っている人で、

音楽と自分の容姿に対してはかなりストイックで、上品で『カッコイイ女』である渡邉先生(もうこの世にはいませんが。)

会いたくても会えませんが

お空に行く前に

こちらの世界で先生のお墓を探して見つけて

手を合わせることが死ぬ前に必ずやりたいこと。それから向かいます。

私が音楽がもっともっと好きになったのは

この人と出会ってからだし、

人と真っ向から向き合う姿勢の必要さ

大事さ、を教わりました。

音楽性をずっと磨き高めるストイックさ

好きなことをとことん極めて誰にも

これだけは負けない

これに一番時間をかけてきたということ

こだわりを持っていること、
まだまだとストイックにやり続ける姿

自分磨きし続けることや誰にも負けないものを持つことその力がどれだけ人に影響を与えるかを私に魅せてくれました。

努力した先に、極めていった先に、目的やゴールに向かって頑張った先に

達成感や感動や成長や自信や…たくさんの味が待ってるということもこの人と出会ってこの人を見て、一緒に色々な事を経験して体験して学んだと思います。

音楽の先生になると約束したのに、未だになっていないのは。ごめんなさい。

私は先生になりたいのではなくて

あなたのような、かっこいい大人になりたいと思っていたとわかりました。

そう気がつけたし、会えなくなった今でもずっとそう思っています。

今でも楽器を演奏するのが大好きです。たくさんの人との間に感動が起こる瞬間が大好きです。その感動を教えてくださってありがとうございます。

あと、美飲停食(ヴィノテーク)のマスター。

大学の頃のバイト先小さなイタリアンのお店のマスターですが、父のようにいてくれてあたたかく、そしてその常連さんまで私を孫のように大事にしてくださいました。

とくにマスターはわたしに日々自信をつけてくれた人です。そして心底から笑顔を引き出してくれる美味しいご飯を作ってくれたマスター。
掛け持ちしていたバイト先にも持って行ってとお弁当まで持たせてくれたマスター。

ギターの練習もお店を閉めた後にホールで早朝までたくさんさせてくれたから私はギターがめきめきと弾けるようになりました。ありがとう。

そして快さん
おはよう、おやすみ、ただいま、おかえり、いただきます、ごちそうさま、ごめんね、ありがとうが言える家、帰るのが楽しみな家、嬉しい楽しいも美味しいもたくさんあふれる家で過ごしてくれて
しあわせを教えてくれてありがとう。

だし巻き卵とハンバーグとパスタとローストビーフと…どれを食べてもおいしかった。
もやしナムルも美味しかった。
納豆卵はネギをたくさん入れるほど美味しかった。
インスタントラーメンはトッピングと茹で方の工夫一つでインスタントラーメンじゃなくなった。
生ハムにはいろんな名前があることも
フルーツと食べると美味しいってことも知らなかった。
コーヒーは入れ方によって味が変わるって知らなかった。
ワインの味わい方も知らなかった。
魚の中には魚の形した骨があるなんて知らなかった。
鴨そばは鴨の油で焼いたネギが美味しくて感動した。
曲作り始めればこだわりもストイックさも目指すクオリティがハイレベルすぎておったまげた。
楽器と快さんの相性とフィーリングの良さには私は一生敵わないと思った。

私が人らしからぬ道を突き進もうとするのを
唯一止めてくれて、きちんと止まるまでそこに立ち続けて受けとめてくれたかいさんに感謝しています。

そのお母さんおとうさんおばあさんご家族に会えたことでも
私は「家族っていいな」と思えるようになりましたから感謝してます。
みなさんと食事をすることが『食卓』を囲むことが大好きで、幸せでした。
お金があること、美味しいご飯があること
何より、それを一緒に楽しく味わえる『人』がいることこれがあって幸せ。と教わった食事は『家族の幸せの形』をみた瞬間でした。

そして再びのゆっちゃん。

辛い、苦しいという言葉では説明がつかないくらいのお互いの経験と、その記憶をずっと

体の中から取り出しては一緒に噛み砕いて共に生きて歩んでくれてたのはゆっちゃんでした。

居たいと思う場所に、居たい人と居て、したいようにして生きてていいんだよと

私をいつだって肯定する言葉をかけてくれて、味方であってくれた人。お互いがそうであることを今でも離れた場所で願いながら。生きてきました。

私がどんなこと考えて、しても。

ちかは変わらなくていい。そのままでいていいしそのままいけ。と言ってくれたゆっちゃん。わたしも本当はゆっちゃんに対してそう思ってます。うまく表現できなくて、ごめんなさい。

でも、ありがとう。

また会える日はどちらかが死んだ時になるでしょうか。

どうなるにせよあなたに出会えたことは
一生、忘れません。守ってくれてありがとう。

大学の軽音部で出会った人の存在は本当に本当に大きいです。

そこに行かなかったら私に今頃このような生き生きと自分らしく生きれる人生や
時間はなかったし、
生きていける家もずっとなかったと思います。

名前を挙げたい人はたくさんいるけど

私がどんなことが好きで、

どんな人で

と、本当をきちんと知ろうとしてくれて、知ってくれて、それを応援してくれて、認めてくれる人達

全ての人に感謝してます

保育園、小学校の頃から今も

ずっと付き合いの長い友達も、ありがたいことに沢山います。

またラフティング 行こうね。

またスノボ行こうね。

本場のジャズのライブとかも一緒に行ってみたいよ。

本物の友達とは何か、誰か、私の中にはいるよ。

みんな居てくれてありがと。

あと命は四年しかないと思って

一生懸命毎日生きます。

最後にリリさんへ

私を元気な身体で産んでくれてありがとうございました。
人でないとできないことをして生きていける
人生が待っていました。


@umi_irritant ピアノ弾いてます。音源/しおりペン等グッズを遺す/活動に協力してくれる方々への感謝を形に遺す為に使います。書く演奏する踊る人…表現者は誰かに癒しや刺激を与える存在と思ってます。サポートお願いします。