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heldioリスナーに届けるしおのはなし#12 令和6年5月31日 質問大募集&千本ノックの真髄とは!

 このコーナーでは皆さんからの疑問、質問を募集します!塩はもちろん、食全般、健康についてなんでも承ります。「新聞にこんな記事あったけどどういう意味?」「テレビでこんな食事を勧めてたけど大丈夫?」などなど、なんでも気軽にご質問ください。いただいた質問については、現時点で私が持っている知識と頭脳を総動員して誠心誠意お答えします。分からない場合も手持ちの知識で何とかお伝えし、追って追加、訂正いたします。
 「ちゃんとしたものを回答するべき」という意見もあると思います。しかし、科学は日進月歩、昨日まで正解だったことが間違いということは多々あるもの。となれば、回答すべきは質問に対するその時点での正解ではなく、その答えに至るまでの思考プロセスではないか?と考え、その答えを導き出すまでのプロセス、石にかじりついてでも答えようとする姿勢を見ていただければ、と思っております。
 以上お願いでした。

 さて、裏話。というか本題。いや正直言って、これまでそういう明確な考えをもって話をしてきたわけではない。何よりその場で答えるという緊張感が好きだったし、答えに辿り着くまでの思考を見てもらいたい、という承認慾求的な願望もあった。いや、それよりも何よりも魅力的だったのは、事前の準備が不要(できない)というところだろう。
 そんな私だったが、heldio、とりわけあるシリーズが、そうした私の行動の意識下にあるものの存在に気づかせてくれた。どういうことか?
 「heldioで一番‘‘らしい‘企画は何か?」「もっともパーソナリティ色が出ている企画は何か?」と訊かれたら、迷うことなく「素朴な疑問千本ノック」をあげるだろう。この企画は目の前の学生から出された質問に即座に回答するというもの。(リスナー相手の場合もある。)これがどうして面白い。学んでいる!という感覚が湧いてくるのだ。
 その場で答えるわけだから、事前の準備はできない。そのとき持っている知識だけで勝負しなければならない。となると、当然、答えが不完全だったり答えが出てこないことは十分ありうる。となると、そこで提供しようとしているものは正解ではないだろう。正解に至るまでの道筋、どうやったら語源で説明できるのか?英語史の考え方であろう。
 実際、この千本ノックを聴いていると、学生からの質問を受けて、その質問の意図を理解し、内容を咀嚼し、解決に至るまでの道筋を示し、とりあえずの回答を提供する。それはまるで脳を切り開いて見るような感じである。これこそ学びの本道ではないか?答えをいくら並べても全て覚えることはできない。それよりも答えを導き出すプロセス、それに取り組む際の姿勢を伝えることが重要である、ということに気づかされたのだ。感謝🙏

 ま、なんだかんだ言いながら、質問、疑問大歓迎!(と無理矢理に結論へ)


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