heldioリスナーに届けるしおのはなし#13 令和6年6月7日 ガンジーの「塩の行進」

 さて、今回は、というより今回もというべきか?歴史にちなんだはなしである。今回の主役はマハトマ・ガンジー(マハトマは「偉大なる魂」の意)。インド建国の父といわれ、徹底的な非暴力主義でインドの独立運動を主導した。そのガンジーがイギリスから独立を勝ち取るために行った活動の中に、非暴力主義の象徴としてよく取り上げられる「塩の行進」がある。
 どういう行進なのか?1930年3月12日、ガンジーは英国によって施行された塩税法に反対する声明を出し、「ダンジイの海岸へ行け。そこで潮風に心身を清めて国法に反対せよ。」と人々に呼びかけて、活動拠点のアフマダーバードからボンベイの北・ダンディまでの約160kmを歩きはじめる。そして4月5日、ダンジンに到着したガンジーは自ら海水を汲み、塩を作り、民衆に塩を作るよう呼びかける。イギリス当局は暴力的弾圧を加え、5月4日にガンディーを逮捕、続く数週間に10万人を逮捕した。しかし、それでも運動は止まらず、翌1931年、イギリスは塩の製造を許可、運動は中止された。
 以上が「塩の行進」の概要であるが、肝心なのはなぜ塩がこんなところで登場したのか?ガンジーの意図はどんなところにあったのか?であろう。
 当時のインドは英国の植民地支配を受け、政治、産業面で大きな制約を受けていた。元々インドは暑い国である。海も近く海水を煮炊きして塩を自給してきた。とりわけインドの人々にとって塩は重要だった。暑くて発汗が激しいので多量の塩を必要とする。(その理由は…)嗜好品であれば買い控えもできるが塩はそうはいかない。過去の多くの国家がそうであったように英国政府もそこに目をつけた。インド国内での製塩を禁じ、英国産の塩を買わせ、さらにそこから税をとったのだ。インドの下層階級はこれに苦しめられた。
 当初、インドの独立運動は上層階級のみで行われていた。しかし、独立にはすべての人々の団結が必要、独立への関心の薄い下層階級をいかに取り組むか?ガンジーは下層階級を苦しめているこの塩制度に注目、決起を促すために「塩の行進」を行った。
 それともう一つ、インドの宗教上の理由があると思われる。当時のインド内は大まかにムスリムとヒンドゥー教徒。当初は協力関係にあった両者も英国による分割統治(両者を対立させる)によって徐々に別々に活動するようになっていた。インド独立のためにどうやったら宗教の違いを乗り越えられるか?ガンジーは宗教を超えるともに戦える切り口を探していた。それが塩だった。
 ガンジーの「塩の行進」にはそんな背景があったようだ。

参考「詳説世界史研究」山川出版社
  「塩の話あれこれ」日本専売公社

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