1974年当時参議院議員だった平泉渉が自民党政務調査会に提出したいわゆる「平泉私案」。日本の英語教育のあり方に重要な示唆を与えるその主張はなぜ葬り去られたのか?当時の状況を振り返りながら、これからの外国語教育、とりわけ英語教育のあり方について考えていく。
なお、記述にあたっては鳥飼久美子著「英語教育論争から考える」、平泉渉・渡部昇一「英語教育大論争」を参考にした。
平泉試案が出されたときのことを鳥飼は次のようにふりかえる。
平泉は元外交官で1974年当時は国際文化交流特別委員会副委員長という要職にあった。平泉試案の正式名称は、「外国語教育の現状と改革の方向ー一つの試案ー昭和49年4月18日」。少々長いで当方で要約しながら引用しようと思ったが、この論争においては試案に批判的な人々が、内容をすりかえて議論することが珍しくなかった。よってその轍を踏まないようここでは全文そのまま掲載することにした。
https://core.ac.uk/download/pdf/229785671.pdf
次回以降、この試案の内容を踏まえて、当時の英語教育論争をみていこう。