一人の研究者ができるまでを実況中継!川原繁人著「フリースタイル言語学」

 言語学者・川原繁人さんの存在を知ったのは間違いなく「ゆる言語学ラジオ」であった。ゆる言語学ラジオとの付き合いも長い。娘の大学受験の伴走をしている中で、苦手な英語をどう乗り越えさせるか、悩んでいるうちに、どういう経緯があったのか、畠山雄二さんや町田健さんの本を読んでいた。それで言葉の世界の面白さを知り、娘が大学進学した後も言語学の周辺をうろうろ。そんなとき「ゆる言語学ラジオ」に出会い聴き続けている。 
 川原さんを知ったのは、今回改めて調べた結果、#27「怪獣の名前はなぜガギグゲゴなのか?」の概要欄に「『あ』は『い』より大きい」を見つけたときだったようだ。はじめて知った音声学の世界。これは面白い!いつもは図書館にリクエストして中身をざっと見てから購入を判断するのだが、この時はすぐにポチッとした。今回の「フリースタイル言語学」と比べると、少々硬かったような…。でも、私の知的好奇心を十分満たしてくれた。
 感想は?私たちにもっとも身近な言葉が知的好奇心を満たしてくれることを教えてくれた。役に立つとか立たないとかなど全く気にならない。数学の面白さに近い!?最近、ゆる言語学ラジオをはじめ、多くの一般人が言語に興味を持ちはじめたのも、そんな言語の魅力に気づいてきたからではないか?


 あれからどれくらい経った?とうとうご本人が「ゆる言語学ラジオ」に登場。これが長尺の3時間。ポッドキャストで一通り聴くも耳だけでは心もとなく、結局YouTubeでまた一通り聴くハメにになった。しかし、3時間って!?水野さんのチャレンジ精神半端ない!

 で、そのとき紹介されたうちの一冊が「フリースタイル言語学」である。どういう本か?一言でいうと、言語学者、及び河原繁人の生態がわかる本である。この本には「知りたい」「面白い」を燃料に行動する研究者の生態が生々しく描かれている。
 メイドカフェのメイドさんの名前にピカッ、日本語はラップに向いてないと言われたらムカッ、わが子ができたらプリキュアの名前にドキュン。とにかく、いつ何時でも言語学者のアンテナがいろんな音をキャッチ、どんどん研究に突き進んでいくのだ。
 私がもっともハマった、というかためになったのは、言語における「エントロピーの法則」の話だ。ラーメン屋や居酒屋での「いらっしゃいませ」が「っしゃいませ〜」となるのは、予測可能性が高くエントロピーが低いから。ところが、高級フレンチでは「いらっしゃいませ」としっかり発音する。これは、「いらっしゃいませ」はエントロピーが低いにもかかわらずしっかり発音してます、と客に丁寧に応対していることを伝えたいため。なるほど!これにはうなった。これは多くの人に言語学の面白さを伝える良いネタになるな〜。
 そして、私がもっとも溜飲を下げたのが、「ハッシュドビーフ」のところで言語学者としての矜持をしっかり語っているに場面である。

 「ハッシュドビーフ」や「ハッシュドポテト」の「ド」について。英語では「t」の発音なのだが日本では「ド」となる。-edを(英語から)借用する際に、最後に母音の「オ」を入れて「ド」とするのは仕方ないとしても「ハッシュド」は「ハッシュト」であるべきなのだ。としながらも、「しかし、言語学者としては、『ハッシュトに改名すべし』などとは口が裂けても言わない。言語学者は、特別な理由がない限り、言語に対して「かくあるべし」という言い方をするのを好まず、「あーこういうことが起きたんだー。どうしてそうなるんだろうー」と観察と分析に心血を注ぐ生き物なのだ。

p168

 さらにおまけ。日本語は基本、子音と母音1セットで発音するので、川原さんはアメリカで「あなたの英語は微妙に余計な母音が入るから可愛いわね」といじられたことを紹介した上で、「外国語なまりってけっこう可愛いことが多い。韓流スターが『チュナマヨネージュ』って発音していると可愛いでしょ?…こと言語に関しては「できない=恥ずかしい」ではなくて、「できない=可愛い」の方が強いんじゃないかな。」と述べている。つまり、言語学者は言葉についてとても寛容であることを伝えている。(p174)

 以上のような話を織り交ぜるながら、川原さんは、言語学、言語学者というものは、言語を追求するものであって、人々の言葉使いの粗探しをしたり、細かい発音の間違いを指摘したりするものではない!ということを強調しているのだ。これはしっかり胸に仕舞い込んで置かないといけない。

 最後にもう一つ。川原さんが単なる愛されキャラでなく、研究者としての矜持を疎かにしていない頑固者であることを窺われるエピソードも紹介されている。
 川原さんは高校時代、受験志望を理系から文系に変更したそうだが、現代文が大の苦手。その苦手対策に先生が紹介してくれたのが科学哲学者・村上陽一郎氏の文章。内容は理系なので親しみやすいと考えてのこと。それをきっかけに川原さんは村上さんのファンになり、偶然にもその後、大学の講義を受講、付き合いが始まり、最初の著作のとき新聞書評を書いてもらったとか。ともかく、川原さんがとてもとても尊敬している研究者なのだ。
 ところが、その村上さんが著書「教養のためのしてはならない百箇条」の中で、「…略語、たとえば『冬のソナタ』を『冬ソナ』というが如き、を使わない。外国語も略さない…間違っても『ハリー・ポッター』を『ハリポタ』などとは言わない。」で述べた。これは対応が難しい。相手は尊敬する村上さんだ。面と向かって言われたのならともかく、著作で述べられていること、スルーするも手ではある。しかし、川原さんはそうはしなかった。言語学者として黙っているわけにはいかない、尊敬する相手だからなおのこと、と完膚無きまでに見事な反論を展開。詳細はp268以下だが、最後のトドメの言葉は紹介しておきたい。

 「今回紹介した省略形は『言葉の乱れ』として叩かれやすい気もするが、『おこたつ』を『おこた』に、『おならし』を『おなら』に省略した過去の日本人を同じ理由で叩く人はいない。省略形は昔から日本人が使っている常套手段なのである。」

 ぐうの音も出まい。川原さんは、ポケモンやプリキュアでただ単に若者におもねる研究者ではないのだ。尊敬する大先輩でも言語学に関する間違いであれば勇気を持って諫言できる硬骨漢であり、生粋の研究者なのである。

 というわけで、「フリースタイル言語学」は、言語学、音声学とは何か?研究者、とりわけ言語学者とはどんな人種なのか?そして、川原繁人とはどんな人間で、どんな研究者なのかを知る上でお勧めしたい本である。

 もっとも、この最強の研究者にも弱点があるようだ。それは本人も認めているところの「ガラス製の心」だ。この「ガラス製の心」が彼の研究へのモチベーションを高め、多くの実績を作り上げさせるのだが、それと同時に、恐れと不安を彼に抱かせる。それが彼の研究者としての自信を奪い、迷いを生み、研究の行方に暗雲をもたらしかねない。そんな危険性も感じてしまうが、それは機会をみてまた述べることにしよう。

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