heldioリスナーに届けるしおのはなし#8 令和6年5月21日 赤穂浪士の討ち入りに塩が関係していた!?その1

 歴史が嫌いな方には大変申し訳ないが今回も歴史から。誰でも「忠臣蔵」は耳にしたことがあるだろう。もっとも,忠臣蔵は歌舞伎の演目名なので、歴史の話と言うのであれば「赤穂浪士の討ち入り」とすべきところか。
 ときは元禄、戦の時代を過ぎて世は泰平、五代将軍・綱吉の治世。「生類憐れみの令」で知られるあの将軍である。このとき、朝廷から下向する勅使(天皇の使者)の饗応役を仰せつかった播州赤穂藩主・浅野内匠頭長矩は、高家(儀式などを司る役職)筆頭・吉良上野介の指南を受けながら饗応の準備を進めてその当日を迎えていた。
 勅使への饗応の儀式が進んでいる途中、江戸城松の廊下に声が響きわたる。「吉良、覚えたか!」。浅野内匠頭が小刀を抜き、吉良上野介に切りつけた。一の太刀、二の太刀を振るうも、吉良は額に傷を負ったのみ。さらに切りつけようとする内匠頭を近くにいた梶川与惣兵衛が羽交い締めにする。「殿中でござる。殿中でござるぞ」と叫ぶ梶川に「お放しくだされ梶川殿。」ともう一太刀を加えようとするが、さらに複数人が加わり取り押さえらた。
 殿中における刃傷は御法度だ。幕閣は即日切腹の命を下し、内匠頭はお預け先の田村右京大夫邸にて腹を切る。早馬がその知らせを赤穂に届ける。二人の間に何があったのか?わからぬまま、家中は上へ下への大騒ぎ。その後議論は、城の明け渡しか篭城か、仇討ちか内匠頭の弟によるお家再興かへと移っていく。その間、家中をまとめたのが主席家老・大石内蔵助である。
 その大石、無事城を明け渡したのちは、お家再興に尽力する一方で主君の無念をはらすべく秘密裏に準備を進めていく。そして、お家再興の道が断たれると江戸へ下り、幕府や吉良家の目を欺きながら潜伏、上野介が確実に在宅する日を探りあて、12月14日、本所松坂町吉良邸に討ち入り、吉良の首をとり泉岳寺にある内匠頭の墓前に供えた。浪士の数四十七。数ヶ月後、彼らは幕府の命により切腹、赤穂義士と称えられ武士の鏡とされた。
 この話で意見が分かれるのが、内匠頭が上野介に切りつけた理由である。一般的に言われるものとしては、内匠頭が指南役の上野介への付け届けを怠った腹いせに、上野介が意地悪をして恥をかかせた、というもの。だが、もう一つ、有力なものとして産業スパイ説がある。吉良が赤穂藩の産業秘密を盗もうとしてトップ同士の喧嘩に発展した、いうものだ。
 その産業とはいったい何か?もはや言うまでもない。塩である。(つづく)
※今回はumisioが少年時代に好きだった赤穂浪士の話ということで前段階の話が長くなってしまって申し訳ない。どういうところが好きだったか、今の自分にどうつながるのか?過去に書いたnoteがあるのでお暇な方はご覧にいただきたい。



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