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第9話 道を見失い、夢を失う【音楽活動時代②】

こんにちは。ライトコピーライターの海島たくやです。

今回は、音楽専門学校を卒業し、「アーティスト」として活動していった中での体験を、お伝えしてまいります。

お金に困っていた私は、とあるセミナーに参加しました。

100人くらい集められた会場です。

20代くらいの若い人たちが高そうなスーツをビシッと着て、ブランド物のバック、時計をして集まっていたのです。

どの講師も、このように話していました。

・このビジネスは最新のビジネス
・どんな人にもチャンスがある
・お金と時間が手に入る
・月収100万円は当たり前

そうです。これは「ネットワークビジネス」のセミナーだったのです。

焦っていた私は、SNSで知り合った人に言われるがまま、この会場までついてきたのです。

そして誘われるまま入会し、消費者金融で30万円の借金をしました。

「これでお金を手に入れて、音楽も自由にできる時間が増えるぞ!」と甘い期待をもっていました。

その後、アルバイトの合間で、セミナーや勉強会へ参加していきました。

ほとんどいない友人に声をかけたりして、何人かを勧誘しようとしました。

結果、全然うまく行きませんでした。

それで余計に焦った私は、仲良くしてもらっていた音楽関係の人にも声をかけまくってしまったのです。

当然、その評判は広がっていき「あいつにかかわらない方がいい」と言われ危険人物のような扱いになりました。

もう、本当に私は何をやっているのか、わからなくなりました。

そんな状態が1、2年ほど続き、借金だけが膨らみ続けました。30万円あったものが50万円くらいになっていたのです。

「なんのために音楽の道を進んだのか、これじゃ意味がない!」と決心し、ネットワークビジネスからは完全に足を洗いました。

それで音楽がうまく行けばいいのですが、実際はダメダメでした。

20代前半までは、ただ若いというだけでライブハウスの人や、色んなイベントに呼ばれることがありましたが、
20代後半になってくると、全然声がかからなくなっていったのです。

当時はSNSが流行っていた時代ですので、音楽のライブに来てくれるお客さんの集客を、SNSを通じていました。

100人声をかけて、2、3人来てくれたらいい方です。

しかし彼らの目的は、ライブ終了後の「打ち上げ」が目的だったのです。

私は、自分のライブに来てもらう代わりに、「食事代」を全部おごっていたのです。

要するに

食事代で彼らを釣って、ライブの動員数を水増ししていたわけです。

当時チケットの売り上げが1万円に対し、飲み会代が6万円など、普通でした。

大赤字です。馬鹿丸出しです。今、自分で書いていても情けない話ですが、これが事実です。

私なりに、ミュージシャンという肩書にしがみつき、必死に頑張りました。

しかも観客動員数はどんどん減少していき、作ったCDもまだ800枚以上も残っていました。

これに関しても大赤字です。

私の年齢は増えていきました。28歳ごろの話です。

親には、「30歳までに音楽でうまくいかなかったら、やめろ」と言われ、結局そのまま30歳になってしまいました。

私は音楽の道を諦め、それからは、ハローワークに通う毎日になるのでした。

親に反対されてまで進んだ音楽の道が、あっけなく終わってしまったのでした。

最後まで読んでくださり、ありがとうございました。

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