神様はわたしに休養期間を与えすぎている
まとまりの無い文章と大きな呟きの始まり。
わたしはパニック障害であり、軽度のPMSである。
やりたい事はたくさんあるが、どうやら2019年の5月頃から神様から何かを告げられたようだ。
それは、
「休養」
である。
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「夜明けのすべて」という瀬尾まいこさんの小説を読んだ。これは2024年に映画化するらしいので、是非映画館に足を運びたい。
パニック障害を抱える男性とPMSに悩む女性のストーリーであるが、この主要人物の症状をどちらも患っているからである。
野球の大谷選手とは全く正反対の悪い意味での「二刀流」と説明した方が早いだろう。
読書は好きだが、やりたいことが多く、でも全てに手をつけることができないそんな私が二日間で読了してしまうほど引き込まれたこの小説。ティザー映像を観たわけでもないのに、頭に映像から仕草、情景が自然と浮かんでくるのだ。
先に、個人的に印象的で好きな一文を紹介する。理由は秘密にしておこう。
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男性。ある日突然、これまで経験したことがない不調に見舞われ、(中略)パニック障害になり人生が激変してしまう。これは私と同じ経験であった。
女性。女性特有の生理、悩みなどからPMSになり、月経の数日前から怒りが沸々と湧き周りの人間に当たってしまったりと後に後悔してしまう行動ばかり取るような症状に悩まされていた。
私の場合、HSP(Highly Sensitive Personの略)も持ち合わせているため、月経前になると父親の愛犬の吠えが普段以上にうるさく聞こえ耳が痛く敏感になり、怒鳴ってしまう。
いつからこんな性格なのかと言われたら、小説の中の女性同様はっきりとは分からない。だが、ストレスを感じるようになったら音楽やラジオを聴いたりと「吠え」や「嫌な音(人間の声も含める)」から避けるよう耳を塞ぎつつ、耳で楽しめるエンタメと触れ合うようにしている。酷い時は布団に潜り昼寝をすることもあるのだけれど。パニック障害など無ければ遠出ができたのに、と思うと苦痛である。
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世の中の人々はパニック障害やPMSに限らず、他の病気や症状にランクづけしてしまうことが多いと感じる。
例えが最悪になるが、末期ガンや全身ガンは死が確定していると言っても過言ではないと思うので最低ランクの第一位だと言う人がいれば、他の症状はどうってことはない、、など。
パニック障害の中にも軽度から重度まで、併発している病気、個体差により症状は様々で同じ人など一人もいない。この症状についてもまだ明確なデータは無く、おおまかなデータばかりであるので難しい問題である。
病気に関わらず、ランクづけで何もかもが決められてしまうこの世界が憎いとも感じたことがあるが、総理大臣らのように決まり事を決められないので嫌なことには背けて無視し続けるしかないのだ。
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【私のやりたい、叶えたいこと】
・趣味でも何でも、友達をつくる
・日常会話程度でいいので英会話を習得
・大好きな餃子で何か仕事をする
・オリジナルキャラクターのグッズの販売
(ちいかわの勢いが止まらず挫折しかけている)
・2024年に公開される映画を観ること
・2024年2月、#オードリーANN東京ドーム へ行く
・一人で以前のように電車に乗ったり、
自由な生活をすること
(=自立して、好きな事を存分に楽しむ)
・通信制大学を卒業して、勉強面で親を安心させる
・家族と旅行をする
..etc.
他にもたくさんあるが、一番大きな目標はパニック障害を寛解させること。PMSはコントロールして、亡くなるその日まで付き合ってもいいだろうと考えた。
直近の夢から後先の夢まで。夢を持つことはいいことであるし、いくつ持っていても荷物ではない。
やりたいことを増やしていって、その項目にチェックできた日はどんな喜びが待っているだろうか。その時の自分は過去の自分と抱きしめ合うことができるだろうか。
まだ23歳、もう23歳。もうすぐで24歳。年齢なんて関係ないと言ってしまえば言葉がないが、同じ歳で既に結婚して出産している女性、バリバリ働いている人、その他諸々素晴らしい方はたくさんいる。
比較しないようにと思っていても、同じ年代の人はどうだろうと考えることが多々あるので難題でもある。
このストーリーの男性のように、交通手段や行動範囲が狭まることで大好きだったモノやコトが自然に束縛されていき、どん底に落ちたこともあった。
男性の名は「山添」というが、私と似すぎている部分が多すぎるのだ。これは自意識過剰ではないが、私のことを二分割にして書いているのでは?とも感じたし、照らし合わせすぎて私自身が透過しそうであった。
バスや車、電車で行けない場所に家族と共に自転車で行ってみたり。目的地に着き散策などすれば大きな発作は出ないのだ。ただ、道中の坂などで運動不足の私が慣れない動きをすれば息切れしかける時もあった。
だが、車などから自転車にシフトチェンジし、行きたいところへ行けた時は達成感と高揚感が半端では無かった。勿論、その夜はぐっすり眠ることができ、翌日には筋肉痛となった。
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夢を叶えるために、親や家族以外で力になってくれる友達を作りたいがリセットと再スタートを繰り返してきた人間の私は友達の作り方など忘れてしまっているのだ。
趣味が似ていて、症状に理解がある人〜など条件をあげるとキリがない。SNSで友達を作ること(ネッ友含め)が主流となったこの時代でどう生きていけばいいのだろうか。
誰か、教えて欲しい。
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「気の持ちよう」もわかる。でも、これは私の胸の内だけに秘めておけばいいもので、同じ症状の人に言いふらすことは絶対にしない。
この症状になってから分かったこと、今までしてきたこと、今まで以上に感謝をするようになったこと、出会えなかったモノ。それらはたくさんあるが、この症状とは出会いたくなかった。
普通の人には分からないこの症状。「大丈夫だから」と言われても脳と身体が勝手に拒むのだ。心と気持ちは「◯◯したい」という気持ちでいっぱいだと言うのに、神様に「まだ早い」と言われているように。いつになったらこの縛りは解かれるのだろうか。
「普通の人」とは「健康な人」である。子供のように何も考えずただはしゃいで、JKのように流行に乗ったり乗らなかったりしてキラキラした(してなくてもいい)毎日を送って。好きな場所へ行き、好きなことをして。
コロナ禍で学生生活が潰されたあまりにも虚しい学生たちの気持ちが痛いほど分かる。2年ほど自宅から出られなかった私が、祖母の協力のおかげで出られた時はどれだけ嬉しかったことか。
「久しぶりに外出して、美味しい空気を吸っているあなた(私)を見たらこっちまで嬉しくなったよ。」
2年ぶりに外へ出た時に放った祖母の言葉が忘れられない。ずっと一緒に生きていきたいのに、60以上も歳が離れているなんて信じたくもない話だ。
普通の生活をしていたあの頃に戻りたい。戻らせて欲しい。蜘蛛の糸のように、どこかに垂れている糸を当てもなく探しているような感覚だ。
この調子だと治りそう、と思っていたら数日後には症状の波のせいで出られなくなったり、今まで行けた場所が怖くなってしまったり。何度も繰り返していることが多い。
可能であれば、山添くんと干渉し合わない程度の友達になりたいし、アットホームな栗田金属で仕事をしたい。山添くんはINFJ、つまり提唱者ではないだろうか。私がそうなのだが、照らし合わせすぎだろうか。この話はさておき。
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今という過去を思い出として変えることができるまで、私は闘い続ける。パニック障害は死ぬ病気ではないのだ。
__10年後、どんな顔をして、誰と生きていますか?
※わたしが描いたイラストです
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