私の決意、餃子の襲来
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わたしが最後にエッセイのようなものを書いたのは、昨年の12月中旬である。
怠っていたのではなく、平たく言えば長い冬眠をしていたようなものだ。いや、冬眠ではないのかもしれない。その間は空や雲の写真を隔週で投稿、そして自身のパニック障害と向き合っていた。
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◆私の決意
パニック障害の症状で単独での外出にはまだ制限がある。家族の支えもあり3年ぶりに隣の駅まで出かけることができ、近所への外食、最寄りのスーパーへの買い物、カラオケに行けるまで成長した。
「成長」と言うと大胆だが、日に日にじわじわと回復しているのは確かである。
だが、問題が起こった。
9月某日。いつものようにスーパーへ行き、ネギを購入して帰宅した。1人で、誰にも迷惑をかけず帰宅した。
その日は味噌汁に使用するためのネギを切らしてしまうと思い、散歩がてらスーパーに出向いた。
そしてまたいつもの帰り道。行きとは異なる道で家へ帰ろうとした時。胸からトクトク、ドクドクへと音が変わっていった。
愉快では無く、美しくもない奇妙な感覚。
夕方4時、まだ人気は少ない中1人で焦り、魂を吸い取ろうとする悪魔と戦うように「寄り道せず家へ帰ろう」「落ち着こう」と正気を取り戻そうと必死になった。
パニック障害1年目で、外出できないきっかけになってしまった時よりは対処法を勉強しているので、とりあえず落ち着かせようとカラオケなどが入るビルの1階へ逃げ込んだ。
クーラーは無いが、ほんのり冷えていて誰もいない1階。聴いていたラジオの音量を上げ、持参していた黒豆茶を飲み、バタフライハグをして落ち着かせた。イヤホンの向こうの演者たちは面白おかしく笑っていた。
バタフライハグとは?
自分の胸の前で肩に手をかけるように腕をクロスさせ、自分自身とハグすることである。誰かとハグしているような感覚を持つことができ、効果があるらしい。
あと2回信号を渡らないと家へ辿り着けないので、赤になるギリギリでダッシュ。次の信号が青くなるまで、肩痛いな〜という変な演技で誤魔化しつつバタフライハグ。青になったらダッシュして家に到着。
怪しい人に襲われているかのように前後左右を確認した。家に着いたらドクドクドク、トクトク、トクと落ち着き、安心したのか寝てしまった。
何十年も慣れ住んだ土地で外での2回目の動悸。
症状とコロナ禍が重なり、短期間の治療ができなくなってしまった時の屈辱さ。4年目であるこの症状との向き合い。愛犬の無駄吠えや日々のストレスや不安。
その夜、この呪縛を解いてくれと言わんばかりの涙が溢れ、1歩、10歩、50歩、100歩とできるようになったことが20歩までにだだ下がりしたような絶望的な感覚に陥った。
大好きな母、祖母がずっといるわけではない。
消えてしまう前にもう一度、一度でもいいから旅行へ行きたい。そして、尖らず、喧嘩せず、平穏に生きていきたい。
目標や夢、叶えたいことがたくさんあるだけに、私の心はいつも大きな振り子に動かされている。いや、誰にも見えない何か大きなものにコントロールされている。
「こんな症状さえなければ..」と。
餃子を食べ、猫と戯れ、好きなものに没頭しているだけでも幸せだが、幸せだけの人生では終わらせまいと、これまた日々思うのだ。
と、ここまで書いてみた。
人生は山あり谷あり。今は谷にいるようで、「頑張りすぎだから今は谷間の茶屋で一息つきなよ」と誰かに言われているような気がする。
暑い夏を無事乗り越えることができたので家にいようと決意し、「第二次わたしの餃子ブーム」の波に乗る準備を始める。
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◆餃子の襲来
これは、前述した症状が出る前から思いを馳せていたことである。
わたしは、チェーン店の中では満州餃子が一番好きである。これはいつしか書く予定である「餃子のレポート」の冒頭でも書くであろう一文だ。
小さい頃、家族と共に500円というワンコインで餃子定食が食べれていた頃から通っていた。値上げが発表された時は悲しかったし、それ以来通う頻度が減ってしまった。
現在はコロナ禍ということもあり、最もお得な業務用の冷凍餃子を持ち帰り、堪能している。焼いてもよし、水餃子にしても美味しいもっちりとした生地で野菜が多いのが特徴である。
さて、私は餃子に人生を捧げることにした。
LINEの餃子サークルに入り、サークルのない私の大学とは異なり充実した気持ちでいっぱいだ。
餃子が私を好きにさせた。
私が餃子を好きになった。
昔、テレビで「餃子ダイエット」なるものを見た時は目から鱗だったし、そんなものが存在していいのかと驚きを隠せなかった。
自分なりに調べてまとめ、それらを生かして1人でも多くの餃子好きを増やすこと、そして餃子皿を作り上げることが今の小さな夢である。
好きになるととことんソレに捧げる性格。
でも、熱しやすく冷めやすい性格でもある。
「好き」が有頂天になると、あとはジェットコースターのように落ちて元来た場所へ降車するだけ。
永遠にあるものだとしても、命のようにぷつんと糸が切れる。私の人生含め、人は大概それを繰り返す生き物であろう。
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大学のレポートや課題は手につくまで時間がかかるが、好きなものであればあり得ないほど早く進む。
' 好きこそ物の上手なれ '
私はその言葉にあやかることにした。
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※イラストはわたしが描いたものです
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