見出し画像

【掌編小説】君を探して

 僕は、君を探して夢をみる。いつも、いつまででも。

 

 ――ふと、思った。気付いた、と言った方が正しいのかもしれない。何故、夢の中の君は僕と会う場所を高架線の下にするのだろう。

 日陰が良いから……だろうか。僕が君の元に行く時、空を見上げれば抜けるような青空で、真っ白で厚みのある雲が幾つも浮いている。蝉の鳴き声もしたような気もする。アスファルトが、じじじ、と焼ける音が聞こえそうな程に太陽の熱を受けていたかもしれない。

 君は暑い季節が苦手だったから、日陰――高架線下で僕が来るのを待っているのかもしれない。

 君は、身振り手振りで僕に色々な話を聞かせてくれた。僕の知らない、君のこと。それは、好きな色というささやかなことでさえ確かに僕の胸を打ち、鮮やかな記憶として脳を占めた。君は、まるで大輪の向日葵のような笑顔で、僕に話してくれた。そこには何の不思議もない。何の不思議もないはずなのに、何故、僕は違和感を覚えてしまうのだろう。

 ――待ち合わせは、いつも高架線の下で。いつもの君が、いつも通りに僕を待つ。身振り手振りで僕に語り掛ける君。変わる万華鏡のように尽きない会話。

 

 ある日、僕はいつものように高架線の下で待つ君に手を振り、歩みを寄せながら、意識的に高架線を見上げてみた。ちょうど、列車が軋みを上げて通過して行くのが見えた。真夏の青空と白い雲を背景に、騒々しい音を立てて列車があっという間に走り去って行く。

 そして、僕は目を戻した。いつもの君を見る。いつもの君――は、いつもの君ではなかった。遠目にも分かるくらい、君は僕を思い切りと言って良いだろう、睨み付けていた。

 君のいる場所は日陰。僕のいる場所は日向。まるで世界がふたつに分かれたかのように、相容れない者同士のように、僕達は立っていた。

 君のいる場所は暗がりなのに、目の鋭さはとても良く分かった。僕は君に近付くのを躊躇したが、いつものように歩いて君の正面に立った。すると、いつものように笑う君。だけど、その黒い瞳は必要以上に見開かれていて、三日月形に笑んだ唇だけが不自然に艶めいて見えた。

 僕が何かを言うより早く、君はこれまでのように身振り手振りで僕に話をし始めた。それは本当に他愛もない話で、けれども僕には大切な話で。君のことを知ることが出来るこの時間は、僕にはとても大切だった。それなのに、頭に話が入って来なかった。身振り手振りの君の声が良く聞こえないような気がする。相変わらず、真っ黒な瞳を僕に躊躇いなく、惜しむことなく向ける、君。

 ああ、そうか、高架線の下だから。きっとさっきのように、今頃、頭上を電車が走っているのだろう。そう思った。僕は列車の気配を窺うように、少し高架線下からその無機質なコンクリートの壁を見上げてみた。

 ああ、やっぱり。列車の走っている音がする。軋む線路の音がする。そうか、だから君の声が良く聞こえないんだ。そう結論付けて、君の声が良く聞こえないから、と告げようと僕が君に視線を戻した時。また、君が僕を睨み付けていた。真っ黒な瞳で。身振り手振りをしていた両手は、力をなくしたかのように自らの腰の辺りにだらんと垂れ下がっている。僕は、また何かを言い掛けて口を噤んだ。君の真っ黒な瞳の表面に、赤く細い何かが、舞うようにひゅるりと浮かんだのが見えたからだ。光の反射だろうか。そう考えると同時、ここは日の当たらない日陰だということを思い出す。はて、と思いながら、僕はもう一度、君の目を覗き込む。今度は、はっきりと見えた。黒い球体の上に、やはり細く赤い字で――。それを認識するより早く、僕は全てに整合が付いた。そして、逃げ出すように来た道へと走り出した。

 全て全て全て、分かってしまった。いつも待ち合わせが高架線の下の理由。君が日陰にいる理由。君が君である理由。日の光の下、僕は逃げ出した。

 

 ――随分、遠くまで来た。気付けば見覚えのない風景だった。僕は息を整え、君のことを考えた。

 君の声が聞こえづらいのは、高架線下に僕達がいるからで、ちょうど君が話す時を見計らうかのように列車が頭上を通過するからだと思っていた。実際、君が話している時、列車は走っていたのだから。

 だけど僕は気が付いてしまった。列車が遠く走り去っても、君の声は「聞こえなかった」。聞こえづらいのではない。全く「聞こえなかった」のだ。

 君の口は息継ぎを繰り返すかのように、ぱくぱくと開け閉めを繰り返し為すだけで。声など、かけらも、ただの一声も発せられてはいなかった。魅力的に見えたふたつの黒い瞳は、僕が見知った君のそれではなかった。常闇に住む、僕を狙う何か知らない生物の、僕を獲物として見ている目だった。そして、そこに浮かんだ――そこまで考えた時、とんとん、と僕の肩を指先でつつく者がいた。心臓が跳ねると同時、反射的に振り返ると――君がいた。先程よりも見開かれたふたつの目玉。歪んだ口。だらりと垂れ下がった両腕。そして――影のない君の姿。蝉の鳴く声がいやに耳について離れなかった。

 どれくらいの間、そうしていたのか。僕は地面に縫い付けられたようにして、そこにいた。佇む君を見ていた。君が不意に、殊更に、にいと笑みを作った。そして、ゆるゆると両方の腕を僕に伸ばす。

 駄目だ! 思いながら再び僕は逃げ出した。君のようで君ではない生き物。今度こそ、もっと遠くに逃げるんだ。決意して走り出した僕の後ろから、聞こえるはずのない君の声が大きく響いた。

 ――もう少しだったのに、と。


 そして、僕は君を探して夢をみる。いつも、いつまででも。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?