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【エッセイ】今日はスパゲティにしよう

 世界の底で朝焼けを待つ振りをしながら、本当は世界の終わりが来るまで此処でじっとしていたいという思いが勝る。もう本当に私の心には一滴の水すら染み込まない。別段、自分が不幸だと感じたことはなかった。幸せとは、その人の心の在り様だと私はとうに分かっていたからだ。欲しいものが手に入らなくて泣いている子供ではない。私は私を生かすことで人生というものを幸福に歩いて行ける。そう、信じていた。

 だけど、幸せにも不幸せにも訪れるタイミングというものがあって、それはスパゲティを茹で上げる時間のようだ。正確ではない。キッチンタイマーさえあれば正しい茹で時間が計れるが、結局のところ面倒になって自分の感覚で時間を把握しようとするのが料理に慣れて来た者の心だ。私は最初こそタイマーなり砂時計なりを使うものの、どうでも良くなって適当なタイミングでスパゲティを鍋からザルに上げる。その時々によって、スパゲティは固かったり柔らかかったりする。私に不都合はない。しかし、人生はこうも行かない。やって来る幸や不幸の時間を――タイミングを自分で決めることは出来ないのだ。

 ふと、思う。私は「何者か」になろうとしたことがあるのだろうか、と。学生の頃の夢は夢のままで終わり、成人し、社会に出た時に私は、ただお金の為に仕事をする人間になっていた。それが大人になるということだと思った。本当に夢を叶える人間なんて、ほんの一握りに過ぎないのだからと。だから別に私は悪くない。悪くないのだと、思った。

 私は「悪くない」と誰に対して思ったのだろう。自分にだろうか、友人にだろうか。それとも多くの他者にだろうか。一体、誰に対して言い訳をしているのだろうか。私が本当にしたいことは生活費の為に仕事をして、いつか出来る好きな人の為に料理を作ることだろうか。分からない。これ以上、私は何を望むのだろうか。

 一本のピアノの弦のように、ギターの弦のように、しなやかに在れたなら良かった。私は紆余曲折の中できっと歪んでしまったのだろう。叶えるべき夢をなくし、自分を見失い。世界の隅で座り込んでいたいのだと、そんな叫びを持ってしまった。雨が降れば当たり前に私は出掛けず、晴れたとしても私はうまく歩く方法を忘れてしまった。それを靴のせいに、洋服のせいにした。歩きやすい靴があれば、可愛い洋服があれば、何処へだって行けるのにと。本当に必要なのは靴や洋服ではない。そんなことは分かっていた。誰より私が分かっている。立ち上がれないのも、幸福と不幸のタイミングについての持論も、何もかも。私は自分に、誰かに、常に言い訳をしているに過ぎないのだ。

 明日は晴れたら散歩に行こうかと私は考える。新しい靴も、新しい洋服もないけれど。私は自分自身の心に「うん」と頷き、夕食を作ることにした。今日はスパゲティにしよう。

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