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【エッセイ】同じ列車で夢をみる

 みんながみんな、同じ列車に乗ってゆくとは限らない。だから私がこれまでに多くのひとが列車に乗って旅立ってゆくことを見送って来たことは、間違いではないのだろうと思う。正しくもないかもしれないけれど。私は本当はみんなと一緒の列車に乗り込み、楽しくお話をしながら目的地までの夢をみていたかったのかもしれない。今になって、そう思う。

 私が本当にしたいことは、本当に小説を書いて作家になることなのだろうか。いつかの時間に何者かになりたいという夢を叶えることが、本当に私のただひとつの生涯の夢なのだろうか。だんだん、分からなくなって来ている。

 二〇二一年、きっと私は幸せだったのだと認識した。パソコンを新しくし、そのパソコンでたくさんの物語を書いた。それは私の夢に向かって進んで行く行為であり、幸せそのものでもあった。だが、今になって思う。私は、私の大切なひとが選んでくれたパソコンが手元にあることで、きっと多くの力を貰っていたのだと。その機械で物語を綴れることが、幸福だったのだと。

 私は私の大切なひとに、拙い技術ながらもピアノを教えた。それはとても楽しかったし、そのひとが喜んでくれることがとても嬉しかった。やがて、大切なひとは目標としていたピアノ曲を一曲、弾けるようになった。綺麗なメロディー。その旋律に私は泣きそうになった。そして、思った。私の役目はここまでかもしれないと。私は大切なひとにそれを言った。もう私から旅立ってゆくんだね、ということを。そのひとは笑って返した。ここにいるよ、と。その言葉が、どれほどに私は嬉しかっただろう。今でも昨日のことのように思い出せる。

 私がここにいる理由は、いつかそのひとと歩いて行けると思っているからに他ならなかった。それは夢であり、現実でもあった。しかし、もしかしたらその希望と言うべき思いは断たれるのかもしれない。現実を真っ向から直視し思考すると、泣きたくなるから、私はここ最近、現状からの逃避ばかりおこなって来た。それは今も続いている。

 二〇二一年に感謝を。そして願わくば、二〇二二年に幸多からんことを。

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