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【エッセイ】帰りたい思い

 別れこそ美しい。誰かがそう言っていたのを思い出す。それは真理のような気がする一方、とても寂しい。私は好きな人とはずっと一緒にいたいと願う。太陽のように月のように、その人が私とずっと一緒にいてほしいと思う。

 寂しさから人を好きになったこともある。不意に触れた体温と心を永遠のものにしたいと思ったこともある。けれど、不意に近付いた心は不意に離れて行く。そのたびごと私は傷付く。それでも私は人を求め続けた。

 夢さえ追い掛けていれば私は幸せだと思っていた。遠いほうき星を追うようにして日々を過ごし、いつかその夢を叶えるのだと。夢が叶えば私はとても幸福になれると。何の根拠も無く私はそう信じていた。それも間違ってはいないと思う。この瞬間を迎える為にこそ私は生きて来たと思える時をきっと得たいと思う。だが、と同時に思う。夢叶えば私は揺らぎなく幸せになれるのだろうか。そもそも幸せとは何だろうかという愚問も浮かんだ。私の書いた物語を沢山の人が読んでくれるようになった時、私は芯から満たされるのだろうか。

 本当に私が望んでいることは、私は誰か愛する人の傍で物語を書くことではないだろうかと最近は思う。そんな条件付きの夢などと笑う人もいるかもしれない。だが、きっと私は大袈裟などではなく一人きりという思いが強いのだと思う。人は皆、極論を言えば孤独な生き物かもしれない。だからこそ人は人を求めて歩いて行くのではないだろうか。

 この世界に愛を謳った歌や物語が溢れるのは、皆が一様に愛を求めているからかもしれない。私は今まで、誰かに寄り添うことがあまり出来なかった。勇気がなかったのかもしれないし、人を求める自分のことを弱い生き物だと否定的に見ていたのかもしれない。今でも勇気はない。しかし、この人にこそ自分のことを認め、愛して貰いたいと思うようになった。

 私は人の中に自分の姿を見出す時、安堵と幸福を覚える。私の思い、私の言葉。それらが誰かの中に息づいているのを感じた時、とても嬉しい気持ちになるのだ。私は人の中に帰りたいのだと思う。そして共有したいのだと思う。私の好きな歌、好きな小説。そういったものを私の好きな人に伝えて、一緒に笑いたいのだと思う。それは孤独を薄める行動であるようにも思うし、幸福を分け合う行動のようにも思う。もっと単純に言えば、ただ好きな人と一緒にいたいという思いに尽きるのだろう。

 たとえば、もう二度と帰れないであろう実家、戻らない学生の時間、すれ違っただけでもう出会えない人達。そこに覚える感傷を私はもしかしたらずっと抱えて行くのかもしれない。その悲しみを一人で持って生きて行くことに少しだけ私は疲れたのかもしれない。もっと先のこと、もっと未来を見ようとは思う。私は夢を叶える時間に生きて行きたいと思う。だが、そこまでの道のりを一人で行くことに寂しさを覚えているのかもしれない。出来ることなら愛する人の傍にいたいと思っているのかもしれない。そんな自分自身を肯定的にはまだ見られないけれど。一人で立って歩いて行かなければと思うけれど。

 人を求めれば傷付くこともあるだろう。伝わらない思い、すれ違う思いに悩むこともあるだろうとは思う。それでも私はこれからも人を求めて日々を過ごして行くだろう。私の思いがいつか誰かに伝わると良いと思う。晴れの日も雨の日も、その人の傍にいたいと思う。そんな時間が訪れることを願う。

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