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【掌編小説】今、此処にある雫

「今日が重たいんだ」

 吐き捨てるように君が言った。僕はそれを聞きながら中空に浮かぶラグビーボールのような月を見ていた。星は見えなかった。

「明日も重たいんだ。ずっと、昔からそう。このまま此処でうずくまっていたい。夢とか希望とかいらない」

 続けざまに君が言った。僕はそれを聞きながら月に懸かる紫煙を見ていた。

 どう、声を掛けたら良いのか分からなかった。どんな言葉を言えば良いのか分からなかった。この世界はそんなに悪いものじゃないとか、朝は必ず来るとか、夢も希望も探すものだとか。そのどれもの言葉は僕の本心のような気もしたし、そうでもない薄っぺらいもののような気もした。ただ分かるのは、きっとこれらを君に言ったところで君の心には届かないであろうことだった。僕は月に懸かる雲のような細い紫煙を見ながら、灰を落とした。

「ごめん」

 不意に君が謝る。僕はただ、謝ることじゃないと言った。すると、君が片手を伸ばして僕の手の指先を握った。小さな熱が灯った。僕と君はこうして世界の中で繋がっていた。

「もし。もし、私のことが迷惑なら」

 僕はその言葉の続きを聞かずに君の手を握った。真夜中に灯る明かりのように君の手は熱く、温かくもあった。その不思議な熱を享受しながら、僕は自分の視線の先に灯る赤い火を見ていた。

 ――どうしてだろう、いま、君の目が見られない。君の目に宿る熱が見られない。其処にあるものは希望の光ではないと分かっているからだろうか。その暗澹さに、僕が飲み込まれてしまうかもしれない恐怖、可能性を感じ取っているからだろうか。少なくとも今の僕では、君を、救い上げられないであろうことが、分かっているからだろうか。

 しかしながら、僕の思いは真夜中の夜に溶けて行くように緩やかに輪郭をなくし、僕は此処でようやく君の目を見た。君は泣いてはいなかった。其処にあるものが希望なのか絶望なのかも分からなかった。無表情とも違う、深夜の冷たい空気のように静かな表情をした君が僕の隣にいた。

「私は。ただ、今も明日も一緒にいたい」

 雨の雫よりも静かに落ちた君の声が、僕の心の奥底に滲んだ。

 僕が君といる理由は、ただそれだけで充分だった。君がいて、僕がいる。この現実が世界での真実だからだ。明日の君が一人で沈むことがないように、僕はずっと君といる。

 君の名前を呼ぶと、ほんの少しだけ君が笑顔を見せた。中天に浮かぶ月よりも美しく、儚く、君が笑うから。僕は君を抱き寄せずにはいられなかった。君から感じ取れる体温が、僕に伝わる。僕はずっと、君といる。そう言うと、君が声もなく頷いた。

 僕達は二人で完結していた。今は、これで良かった。いつか二人で、また夢をみられるように。そう願って僕は君を抱き締めた。


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