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【エッセイ】帰りたい思い 2

 最善の一手というものがゲームにおいてあることを知った。人間生活にもそれはあるのだろうかと私は考え込んだ。

 ゲームには向き不向きなどの適性はあるだろうし、慣れて来れば上達もあるだろう。しかし、私の人間生活においてそういったことはあるのだろうかと私は考え込む。取捨選択、優先順位、判断、行動、結果。これらが複雑に可視化出来ない所で絡み合い、個というものを作り出す。私はいつまでもこのままで良いのだろうかと、自分という個を振り返って思う。雰囲気で判断、行動し、結果を見て悔やむ。これの繰り返しではないだろうかと私は足元から不安になった。

 私は何処に居を構えても、お客様感が否めない。自分の家にいるのに映画のセットの中で暮らしているような違和感がある。私の買った家具、私の配置した雑貨。それらは確かな事実であり現実なのに、私にとってそれらは他者足り得るのだ。お気に入りの物を増やしてみても、その感覚は付いて回った。購入し、部屋に置いた時は確かに私自身が選んだお気に入りの物でも、時間経過と共にそれも私にとっての他者、異物になってしまう。こうして自宅は他者で埋め尽くされてしまい、その中心で無機質に呼吸している有機物が私という個人という結果になってしまう。何を買ってみても、集めてみても。迎える結果は同じだった。

 新しい夢を見付けても、上手く行くことはなかった。否、これから良くなって行くのかもしれない、私の未来を私に差し出せるのは私自身だけなのだ。そう思って、ずっと長い間、私は歩いたり走ったり休んだりして来たように思う。此処で挫けては駄目だから、これからきっと、いつか。そう思って。

 まだ作家になっていない――まだ……と、自分の中で繰り返し機を織るようにして思いを引き留めて来た。

 幾度、引っ越しをし、幾度、思い悩みを繰り返しても答えは見付からなかった。自分を救うのは自分だけだと信じて、此処で投げては駄目だと思って、今まで日常を繰り返して来た。夜を越えて朝を迎えてを何度も何度も繰り返して来た。この長い作業に意味はあるのだろうかと考え込む日もあった。それでも、まだ作家になっていない、まだ……と思って人間をやって来た。

 ――本当に自分を救うのは自分だけなのだろうか?

 ふと、私はそんなことを思う日があった。私はずっと何処かに帰りたいと思って来た。それは実家なのか、父の家なのか、以前の私の家なのか。或いは何処かもっと違う場所なのだろうか。今でもそれは明確には分からない。だが、私と今も連絡を取り、親しくしてくれている人と向き合うようになって私は思った。私は誰かの――人の中に、帰りたいのだと。

 何処に居を構えても落ち着けず、どんなに可愛い物を買ってもいつしかそれは私にとっての他者になった。いつも映画のセットの中にいるような感覚で自室にいた。それは私にとってそれらが突き詰めれば無であるからだろうと思った。私は私にとっての有であると気が付いた、人の中に帰りたい。そう気が付いてしまったのだ。

 私は、人と共にいたい。そして、これから先の時間を過ごして行く上で、人に優しくありたいと思う。


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