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【エッセイ】植木鉢の土が減ることと心の余裕について

 植木鉢の土が減っていた。水遣りをすると土が鉢の下に流れて行っているのかもしれない。今度、土を買って入れておこう。そうすればきっと、植木鉢に植わっているポトスも喜ぶ。そんなことを思う、自分の心。その心を少し嬉しく思う。

 今日、そんなことをメモした。単に植木鉢の土が減っていただけで、そこに土を入れてあげなくちゃと思っただけかもしれない。事実、そうなのだろう。けれども、そうしなくちゃと思った自分の心が嬉しく思った瞬間であった。

 自分勝手な話かもしれないが、自分の心の中に余裕の住処がないと、自室で息をしているポトスの水遣りも忘れてしまうことがある。ポトスに限った話ではない。大好きな紅茶も、お湯を沸かすのすら面倒に感じて飲まなくなるし、大好きな音楽も、うるさく感じて聴かなくなる。心の余裕とは、日常生活の至る所で必要になって来るものだと私は考えている。

 そんなに難しい話ではない。単に、自分の心に余裕があれば良し、という話だと思う。しかし、そこに至る道のりには割と複雑さが見え隠れしている。長い間、人間生活を過ごして来て、私はこの簡単なことに気が付くまでに随分と時間が掛かった。友だちに心ない言葉を言ってしまったこともある。人生に後悔が付き纏う。

 誰しもに生活というものがあり、環境がある。仕事や家庭、学校や趣味、色々な生活の中で人は存在し、現実を生きている。その中で、大切な友だちや恋人や家族などに連絡をし、繋がっている。その繋がりも、自らの心に余裕がないとなかなか難しいことになってしまいがちだと私は思っている。

 今日は、ポトスの植木鉢の土が減っていることから、そんな風に思った。どんな土がポトスにとって喜ばしいのかは分からないので、調べてから土を買いに行きたいと思う。

 雨が降った。慈雨という言葉を思い出す日でもあった。雨が降ると私は眠くなってしまいがちだが、静かな雨の日も良いものだ。そんな本日を過ごした。


 

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