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過不足のない文章


小学生の頃、40日間ほどある夏休みは偉大だった。漢字ドリルとか計算ドリルは計画的に進めて、お盆前に終わらせていた気がする。我ながら優秀だ。一方で読書感想文や感想画、自由研究などちょっと重めの宿題はダラダラ最後の土日ぐらいまで時間がかかっていた。夏休みのラスボスのような存在だった。

なかでも読書感想文がすごく嫌だった。絵が苦手だったから感想画も苦手だったと思うんだけど、感想文のほうが嫌だった印象がある。原稿用紙3枚分、文字数にすると1,200字。ものによるけれど、パソコンで1時間ほどで書ける文章を何時間もかけていた気がする。書くことがすごく労力のあることだった。今285文字、あの頃に比べたら書くことへのハードルは低くなった。それでもやっぱり文章を書くのは、ちょっと怖い。

自分の本棚を見せるのは、自分の心を見せているような気持ちになったことはないだろうか。文章はあの感覚に近いと思う。長く書けば書くほど、自分の本音が露になっているような気がしてきて、どこまでが伝えるべき情報でどこまでがみんなが興味深いと感じてくれる内容なのか、個人の見解なのかどうなのか、境界線が曖昧になる。心配症な私は少なくては困ると思って、情報を詰め込みすぎてしまう。ここが削れるようになるのが、今後の課題のひとつだ。

先週、田中康延さんの「読みたいことを、書けばいい。」をやっと読み終えた。最初に読んだときは「ん?」と自分のなかで引っかかってしまった部分があったものの、8月に入って読んだらストンと腑に落ちた。誰かの話を受け入れるには、気持ちに余裕が必要だ。

書くことに関する田中さんの考え、思考の過程が書かれているのだが、すごく好きな一文を紹介したい。

うまく書けたもよく書けたもない。ただ「過不足がない」 と自分で思えたとき、それは他人が読んでも理解できるものになるのだ。引用:田中康延「読みたいことを、書けばいい。」 


「書く」ことについて、たくさんの情報が詰まっているので飲み込むまでに時間がかかるけれど、すごくおもしろかった。何度でも読み返したい。

8月は想像以上に書いていない。5月から走り出して、毎月どこかで体か心にガタが出ている。ちょっと見直すべき、とも思ったんだけど、頭の片隅に「書く」という存在が消えることはなく、居座り続けるようになった。良くも悪くも3カ月の間に変化したことだ。

連休が明け、明日からいつもの日常が始まる。明日からも更新を続けられるように、今夜は少し早く眠りにつきたい。

読んでいただきありがとうございました◎ いただいたサポートは、自分の「好き」を見つけるために使いたいと思います。