笑う肉【小説】

10月後半くらい。

カーテンは閉めっぱなし。

2年前に録画したテレビを意味もなくつけている。

騙し騙し続けているこの生活も、そろそろ限界かもしれない。

またテレビに目を配る。あのタレントが次に何を言うのか、次は誰が話すのか、CMはいつ入るのか、あと何分で番組は終わるのか、手に取るようにわかる。


全てを書記することだってできる。
何も見ないで。

あと30秒でおわる、20.19.....11..10.
3.2.1.0。

終わった。

そして多分そろそろ12時頃だ。

どうしたって昼になるとお腹は空いてしまう。体内時計はこうも正確なのか。

戸棚を開ける。何故か残っている鰹節と、
賞味期限が切れたインスタントコーヒー、以上。

やむなし、外へ出よう。

着替えは積もった洗濯予備軍の中から選ぶ。
比較的匂いがしないもの、そして人間臭くないものを選ぶ。
もうそれを20周もしてる、おそらくこの思考はほぼ意味をなさない。

積りに積もった山々を見つめる。

水が勿体無いし、別に誰かと一緒に住むわけでもないという不摂生極まりない理由からこの呆れたルーティンは生まれている。

55回目くらいの自問自答が無事終了したところで
お気に入りのジーパン、いつだか見に行ったライブで買ったTシャツ、クロックスのパチモンをはく。


大きめのバッグと念のためビニール袋も二、三個持つ。そして、ほんの少しだけの勇気と恐怖をもつ。
この段階を忘れると、きっと、もう元には戻れなくなると直感している。
慣れてしまったらダメだ。慣れてしまったら始まりだ。

外界の事の流れに飲まれず、あくまでも自分のペースを取り持っておかなければ。
マイペースに。いつもの生活。いつもの呼吸、いつもの思考。恐れるな。恐れるな。恐るな。
恐るな。よし。恐るな。まだか、きつい、
恐るな。マイペース。俺はマイペース。
マイペースで何が悪い、嫌なことを思い出しそうです。小学校の頃を思い出しそうです。15年前のことです。

思えばマイペースは時代的に九割五分ネガティブな意味を持つ言葉となった。
30人31脚よろしくせーので横並び
足元をつなぎ合わせ肩をくみ同じ服装をし、
クソでかい銃声を気に一斉に全身する。
1人でも足がもつれようものなら1秒前まで保たれていた平等は崩さり全員の健康に傷がつく
数少ない平等と平和を保てたものだけが勝利となり、、、、と悪い癖である物事の曲解ならびに自問自答が続いてしまう。
サンダルを履いたまま玄関の壁に手を当てキャンバス地の模様を眺めながら現実と内部思考のその丁度境目の心地よさに溺れかける。

このまま一生この自己会議を続けたほうが気は楽だが溢れる三大欲求とそれの道連れとして外に飛び出ようとする糞尿への必死の抵抗が目に見える。

すごすごと引き下がり、まずはドアノブに手をかける。

外からは異常なほど大きな笑い声が聞こえる。
楽しそう。その笑い声は空気を読んで、相手を気遣って、そんな類のものではない。
心の底から楽しんでいる。ようにも聞こえる。



無数、いる。
全員、笑っている。
空を見ながら、地面を見ながら、歩きながら、
ぶっ倒れながら、形を変えながら、形を保つことを諦めながら、気にせずに笑い続けている。

3年前よくすれ違ったが一切の言語を交わさなかった、二個となりの部屋の、女性も笑っている。


笑いすぎて喉が掠れ声帯がいかれ肺に穴が空いてる奴もいる。笑いたてのものもいる。まだ声が高く若々しく、たった今面白いことが目の前で繰り広げられた瞬間のようだ。羨ましい。

それでもなお飽きんばかりの大きな大きな笑い声を響かせながら彼らは道を歩いて、交差して、いる。

いるんだよ

ずっと

居続けている。






いつからかそれは始まった。

最初はちょっとイカれたおじさんか、酔っ払いすぎたサラリーマン、あるいは阿保ほど飲みすぎた大学生の類だと思っていた。

少し引きこもっている間に、その笑い声は少しずつ増殖していた。
酔っ払いが増えたわけではないということはすぐわかった。
朝、昼、晩、またその次の朝まで永遠にその笑い声は続いていたのだ。

隣の住人も笑う。
上の階のうるさい若人どもも笑う。いや、これに関しては元からか。

隣の建物の老人も笑う。

笑う、笑う、笑う。

流れる生活はものの一瞬で終わる。

もうとっくに秩序なんてない。

高笑いしながら、歯を剥き出しながら、足を引きづりながら、歩き続けている。
彼らは。

行き止まりにも気づかず壁に体を押し続ける者もいる。皮膚や体毛は少しずつ削れているにも関わらずただ笑い続けている。
大きな声で笑い続けている。

ベランダに3、4人。

角部屋特有の窓からは2人

ドアの前には15...16...いや、数える気もない。

ちなみに押入れにも1人いた。あえて過去形にさせてもらうが、まあ、いた。もう気にしないことにはしている。

笑うことが楽しくなくなったのはいつからだろう

まあずっと部屋に1人だったからもうそんなことも気にしたことなかったが。

うん、久々に声を出すな。

一発、大きい声を出す。

あたりは静寂に包まれる。

10メートル先のほうから、笑い声がきこえる

ベランダの方にいつもいる中年男性も、笑い始めた。

ダムが決壊するように、また、笑いに包まれる。

街が包まれる。

今だ!


ノブを下げ、ぐっ、と力を込める。

人々の圧に負けないよう、前に前に、力を込める。

同時に、腹に力を入れる。

精一杯、笑う。

全のうちの一つにならなければ。

必死に笑いながら、人々の合間を、潜り抜ける

なお外に出る時はマスクが必要だ

生きている呼吸を少しでも防ぐため、最低3枚は重ねる。

笑い声を出すだけ、生の呼吸を嗅がれると、まずい。

彼らは、泣き始める。

しくしくと、時に絶望の最中のように。

そして、抱きしめてくる。

涙を流しながら。

慰めるように。

その涙に触れると、本当の意味で彼らのうちの
ひとつとなる。

絶対に、ふれてはならない。
同情してはいけない。
飲み込まれてはいけない。

ただただ笑い続ける。
同じものであるとアピールし続ける。

笑うことは苦痛でしかない。







なんとか人々を撒き、目当てのコンビニに辿り着く。

ここまでずっと笑い続けるなんて人生で体験したことない。正直しんどい。

コンビニ(だったもの)に入店する。

店員だった人たちも客も笑い続けている。

気を紛らわすためにイヤホンを耳にさす。



サブスク中心で生活してた俺は、今の環境において音楽弱者である。更新元の会社も機能などしていないのだから。

そんなこんなで箪笥の奥から引っ張り出したウォークマンを使用している。ある時期を持って更新が止まってしまったウォークマンを手に取り、気分は乗らないがただあの笑い声から逃れるため、とびきり激しい音楽を流す。大音量で流す。

さて食糧を調達する。
できるだけ賞味期限が長い缶詰類、水をバッグに詰める。

コーラやファンタは好きだったがまともに管理されてない今の状態ではおよそ口につけられるものではない。



小さい頃よく「飲むと骨が溶ける」と言う理由から炭酸類を飲めなかった私は大人になり反動の如く炭酸飲料を飲むことを続けた。
とはいえ飽きと老いがくると結局水が一番美味しいことにも気づく。

ついでだ、と普段買いもしないグラビアアイドルが表紙の雑誌を手に取る。

ふうん、これが袋とじね、、、とその場でピリ、と破いてみる。





しまった、笑いを止めてしまっていた。

背後に1人、左手に2人ほど、泣いている人がいる。

足取りは重く、しかし確実にこちらへ向かう。

しまったイヤホンなどするのではなかったと舌打ちをしながら、思いましだかのようにけたたましく笑う。

ぴた、と足を止めたその2、3人は

はて

と言うように無表情になる。
この瞬間が酷く嫌いだ。
恐ろしく、無が体現される。
笑う彼らは人間である!となんとか騙し騙し過ごして来たものだが、飽くまでも物質であったことをマジマジと見せつけられるからだ。

3秒ほど虚無が続く。
永遠か。
急いでる時の信号待ちのように、心臓が張り裂けそうになる。

はは
ははは

よし、笑え。笑い続けてくれ。

伽藍堂のコンビニにまた、笑いが満ち溢れた。

俺もまた、笑い続けた。


危うくレジを通そうとするも今はもうそんなこと言ってる場合ではないため、そそくさと自動ドアを手動で開く。店員は大きな笑い声で見送ってくれた。



道を戻る途中、また笑う人がいた。
2人並んで仲良しこよしかとおもったが、いや、見間違いであると願いたいが、その2人の境界線が重なっている。なんというか、細胞が、繋がっている?

聞いたことがある、笑っていると体内の細胞が活性化すると。体調崩した時、精神的に参ってる時、笑っている時が一番活性化し、回復につながると。


いやいや、無関係だろう、笑い続ければ他人との境界線はなくなるのか、、?一つになることなんてあるのか。


もう限界が近いんだろう、そりゃ幻覚でも見るさと鼻で笑いながら家路に着く。


玄関近く、やはり多くの人たちが群がっている。
努めて笑い声を大きくし、人をかき分ける。
数年前東京へいき、渋谷の交差点を急ぎながらかき分けて行った時をふと思い出した。
おいおいおい、危うくまた回想しかけそうになりながら、ドアへ向かう。。。。

いや、おかしい。

またここでも、人と人との境界線が曖昧になっている。二人三脚が如く、ぴったり、同じ動きをしている。足は紐で括ったが如く、同じ方向へ歩かんとする。右腕と左腕が酷く癒着し、手を上げようとするとまるで2人がシンクロしているかのように同じ動きをする。
1人(と言うのが正しいか)だけではない、少なくとも3組ほど同じような癒着が始まっている!!

この酷暑で細胞すら溶けたのか、いやそんなはずは、、。

ドアノブを一気に下げ、隙を与えずドアを開き、締める。

おつかれさま

声が聞こえたような気がするが、かつてのルーティンを脳が覚えておりそれをこなそうとする脳のプログラムミスであるということは明らかであった。

一息つく。

飯を食う。冷えた缶詰を口に詰め、ぬるい水で一気に流し込む。食事への楽しみはとうの昔に諦めた。

もう寝ることとする。



聡明な夢を見た。


難しいことがすべて解決し、戦争がなくなり、いじめがすべてなくなり、未解決事件がすべて解決して、人を殺すなんて意識はなくなり、怒りがなくなり、悲しみもなくなり、諦めも、やる気もなくなり、ひたすらに笑っていた。
親と、祖父母と、幼稚園の同級生、小学校の友達、中学の部活の仲間、高校の時の彼女、大学の時の悪友、(あまりよくは思ってない)会社の同僚、おそらくこれから未来で出会うであろう人たち。覚えてないがほんの一瞬繋がっていた人々。その全てと、円を作り、心の底から笑っていた。
なあんにも、不安はない。
心を脅かす一切は消え去る。
ただ笑っていた。
それは、今までの人生の経験上、そして今まで習ってきた言葉や知識では言い表せないくらい、至高の、幸せであったのだ。


よし、もう終わりだ。ここが終着点。
マスクを外し、高笑いしながら、ドアに手をかける。
思いっきりドアを開けたその先は、肌色だった。筆舌しがたいが、強いて言うなら、皮膚の塊、であった。吸い込まれそうだった。飲み込んでくれ、とも思った。蠢く皮膚に身を任せ、その皮膚の一部になろうと思った。奥からはまた声が聞こえた。





ださすぎるんだよ





息を吹き返した蛙の如く飛び跳ねて、目を覚ました。

しまった、鍵をかけてない。

人の圧によりドアノブがひっかかり、
あろうことがドアが開こうとしていたその瞬間の出来事であった


死に物狂いで這いつくばり、玄関へ向かう


ドアは開き、そっと腕を伸ばしてくる。


閉めなければ、閉めなければ、閉めなければ


焦りで足を滑らせながら、獣の如く四つん這いで進む。なんとか手を伸ばしドアノブを掴む。


悲しいかな腕は彼らの腕や手はドアに挟まる。

閉める。

挟まる。

閉める。


挟まる。

繰り返す。

彼らに痛みと言う概念があるかわからん。

ものともせず、挟まれた腕は上下にうごき、
手は開いたり閉じたりを繰り返す。、

いくらドアに挟まれようと、聞こえてくるのは
笑い声だけだった。
強まることも弱まることもない。
笑い声だけが聞こえてくる。

ははははは
ははははは
ははははは
ははははは
ははははは
ははははは
ははははは
ははははは
ははははは
ははははは


無理だ、ドアが弾かれてしまう。


開いたドアから見えたものは、塊だった。

細胞分裂が二次関数的に増えていくように、
彼らの癒着もまた急速な進化を遂げていた。

どこまでが彼で、どこまでが彼女で、あの子で、彼の方で、いやもうどうでも良くなる。

思わず笑ってしまった。

あまりにも大きな恐怖に面すると、人は笑うらしい。

かつて聞いたことがある、あまりにも大きな地震が来た時、机の下に隠れながら、その場にいた人たちはみな笑っていた。
キャパシティを超える恐怖が超えた時、人は笑ってしまう。

ある意味ではここ数年で心から笑えた瞬間でもあった。


奇妙奇天烈なその空間に、笑いを投げかける。
彼らも、笑う。

本性が、お互いの本性が顕になる。


ひとしきり笑ったあと、残っていた感情は、なぜか知らんが、怒りであった。

無性にムカつく。腹立たしい。解せぬ。
笑い続ける人に対して、抱いていたが、気付かぬふりをしていた、怒りに対面している。

彼らの明確な意図があり笑っているわけではないのだろう、もうそんなこともどうだっていい。

白昼夢を思い出す。あの時の声。

一言で言うと、今の現状にうんざりである。

ただ笑い続ける奴らに迎合するのはうんざりだ。
なんだかもうここで死んでもいい。
いや、死にたくないかも。
どこまでも曖昧な人間である自分だが腹を括ることにした。

手元にあった傘を掴む。

怒りをぶちまける。

小学校の時外見を執拗にいじられ続けたこと
中学の時やりたくもないことをやらされ続けたこと
高校の時人間不信になるほどひどく傷ついたこと
働き始め、他者が望むものが自己のリスク回避のみであり決して自分への気遣いや、思いやりもなく、ひたすらに保身に走り続けるような奴ばかりだったこと
きっとこれから起こり続ける理不尽でくだらない事象

マスクを外し、唾を吐き、目を血走らせ、
慣れてない暴力をふるった。

意思を固めるが如く、止めどない怒りともいえない言葉にもならない叫びを浴びせる。

鍛えてもない体だ、ほぼ傷すら与えられてない。

傘はもう折れかけている。


疲れが頂点に達し、あろうことかその手を止めてしまう。

そっと目線をくれてやる。

彼らは、笑うのをやめ、こちらをじっと見ていた。

慰めるでもなく、怒り返すわけでもなく、
ただ、見ていた。

そして、泣いていた。
あの時の、慰めの涙ではない。
悲しい、哀しい涙だった。
抱きしめようともせず、ただそこで泣いていた。
泣き喚く、と言うのが正しいか。
謎に湧き出る罪悪感。
相手は言わば動く肉塊であるのに。

何に怒り狂っていたのか忘れ、正気に戻った俺は何故か一言「すいませんでした、」とボソリ呟く。それと同時に静かにドアを閉め、鍵をかけた。

ここ数年でいちばんの運動だ、ただ茫然と座り込み天井を見上げた。
皮肉なことに、ここ数年でいちばん清々しい気持ちであることも事実である。

気づけば二、三時間ほど眠りについていた。

ドアの覗き窓を覗くと、さっきまで数多もの人間(と言えるかわからない物体)がいたにもかかわらずもぬけの殻だ。
ベランダに住み着いた人も、窓の近くを生息地としていた人もいない。

歪で、それでいて落ち着く静けさだ。

笑い声一つない。

虫の声も電車の音もない。

静かだ。
もう一眠りつくことにした。












朝が来た。

硬い床で寝落ちてしまったことを後悔しながら、ぶつくさ文句垂れ流しながら起き上がる。
曇りか、と思いカーテンを久々にあけそれを見ると、大きな雲のような物体が空に浮いていた。

雲が近すぎる、、、わけでもない、

ああ、あれは肉体だ。


よくよく見てみるとそれは数時間前死闘を(勝手にこちらから仕掛けたものではあるが)繰り広げた人、だったもの?である。

もう何故とも思わないことにした。
理由を探るのはやめにする。

こちらの怒りをぶちまけたことが原因なのか、
あらかじめ定められた仕組みなのかは知る由もない。

かつて笑い続けていた人たちは、お互いとつながり合い、一となっていた。

安心したのだろう、彼らは笑うことすらしていない。


静かに、ゆっくりと、空を漂う。
後悔はなさそうだった。
俺も後悔はなさそうだった。





また缶詰と水を遅すぎる晩飯として食し
ぼうっと天井を見つめ、
かつて録画した番組をみた。
覚えすぎているセリフを出演者と同時に発言する。ウケるために彼が用意した間も、勢い余って高速でツッコミを入れてしまった彼女の一言も、すべて。

一通り食事も録画鑑賞も終えて満足した俺はまた空を見上げた。

どうやら、歪な雲のような集合体は少しずつ球体に近づいている。彼らは平等に、どこか一つが秀でるわけでもなく、飛び出ているわけでもなく、満遍ないものとなろうとしている。
完璧な球体まであと1歩、いや2歩くらいかな、などと呑気に考えていると、どこか遠くにも同じような球体が見えていた。

一連の騒動は自分の身の回りだけじゃなく、想像以上に範囲が広い事件なんだろうと察した。
ただこれ以上は追い求めることはしない。
自分以外のことを考えるのはやめ。


あれから2週間


ゆっくりと、ゆっくりと球体たちは登り、
複数の球体は一つになり、混ざり合っていた。

そしてまたどこからか球体が生まれ、浮かび、また混ざり合う。

この間の暴動を少し後悔している。けど認めたくない自分がいる。
これでいい。はず、

さて改めてテレビをみる。

張り詰めていたものが吹っ切れたのか、
くだらないバラエティすら何もかも面白くみえる。何回も何回も何回もみたあのドラマが酷くツボにハマる。
付き物が取れた感覚。全てが楽だ。
何も考えなくていい。
久々に腹から笑う。

何も無くなった街に嫌というほど笑い声が響き渡った。肺がちぎれるほど笑い続けた。

球体は今もなお、つながり続けていた。

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