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小説「チェリーブロッサム」第9話

* 実家と母                          
                       
 2Kの小さなアパートの実家で二人きりで一緒に暮らしていた頃、母は僕が引っ越すことに反対だった。それは「寂しい」とか「僕のことが心配」などということではなく、母が僕を出したくない理由は明らかだった。それは毎月僕が入れる食費としての3万円がなくなる。ということ、ただそれだけだった。
 それは直接言われたので確かだった。「家を出てもお金は渡すから」と言う理由で母を説得し家を出た。実際食費と言いながらも、母は僕がいてもほとんどを声もかけずに1人で作って1人で食べていた。僕はいつも声をかけてほしいと思っていたが、声がかかるなんて、ごく稀だった。僕は子供の頃からいつだって一人だった。そんな母の対応は、僕の中では当たり前になっていた。

 僕は心の奥の感情に目を向けることもなく、これが当たり前だ。と蓋をした。こんな母親との日々が、僕の潜在意識というブラックボックスの中に、愛情飢餓という価値観を植え付けて狂わせた。「お金は渡すから」そう言うと母はそれ以上は何も言わなかった。今までも母に毎月お金を渡しても「ありがとう」などと言われることなどなく、むしろ少ない金額に不満な顔を見せた。機嫌が悪い時は「これだけ?」と露骨に言った。僕はそんな母のことを「ふーん」という程度にしか感じられなかった。悲しみ寂しさも、もう沸き起こってはこなかった。一体僕はいつからこんなにも親に対して感情がわかなくなったのだろう。それはおそらく父が消えてからだ。「父親」と思い浮かべ僕は少しだけ思考を動かそうとしたが、それ以上はやめておいた。何かが胸の奥で動いたがこの時の僕には到底気がつけないほどの奥深くにある感情の波だった。

 しかし僕は家を出てまでお金を渡さなければならないことよりも、単純に母と離れて暮らしたいだけだったのかもしれない。母と二人で暮らす家は、毎日母の無関心を見せつけられる場所だった。僕にはとてもきつい場所だったが、そんなことに気ずかずに苦しんでいた。すでに感情は動かなくなってはいたが、どこかでサインは出ていたはずだ。僕は自分の感情に蓋をし続けた。それが僕の唯一生きて行かれる方法だったし、無意識でそうして生きていた。

 僕には歳が4つ上の姉がいたが、姉は早くに家を出て結婚をした。だがその2年後に離婚をし、シングルマザーとして働きながら1人息子の育児をがんばっていた。たまに帰ると母と姉はよく喧嘩をした。しかしその反面、離婚や育児などを経験した姉は、母の気持ちが痛いほど分かるのだろうか、女同士よく交流をしていた。「母親を大事にしろ」それが姉の口癖だった。姉に直接そう言われると僕は自分の心を止めておけないほどに苦しんだ。そして母を大事にすることとはつまり「金」だった。僕は母にお金をあげなくてはならない。それは僕の心を縛る冷たい「鎖」だった。
 僕は心の奥で黒く恐ろしい何かが蠢き、そうしなければいけないんだ。姉に叱られる。強迫観念ともいえる「我慢」で毎月きっちり母親に、今度は仕送りとして金を渡した。

 久しぶりに実家に戻ると、僕の荷物は母にとっての「要らないもの」としてベランダに積み上げられていた。だが僕は当然のように何も感じなくなっていて、一体どれほどの心の蓋をしていたのだろう。ベランダの荷物を見た僕は「なにこれ?」とだけ母に言った記憶があるが、その先は全く覚えていない。ただ僕の荷物がベランダ出されていた。それだけだ。それを当たり前のこととして僕の心は処理をしていた。今思うと、母にはまるで感情がないかのようだったが、僕も危険なほどに自分の感情に気がつかず押し殺していた。
 
 僕はある日母にゆり子のことを伝えた。僕はそれでも自分に彼女ができたことを、親に報告するという「喜び」があった。しかし「今つき合ってる子がいるから」と言うと母は少しため息まじりに、「なんで? 結婚でもするの? お金なんか無いよ……」と面倒くさそうに僕のことも見ずに言った。母は僕にできた彼女のことを厄介なこと。として処理をしたようだった。けれど、一体今までいつ僕が母にお金を要求したか? 一度だってなかった。要求してきたのはいつだって母のほうだ。しかし僕はまた「ふーん」としか母に言えなかった。ここでも僕の心は泣き叫んで暴れていたが、僕はそれでも見ないようにした。見るわけにはいかなかったのだ。なぜなら1人で生きて行くには泣くことなどありえなかったからだ。泣いたら僕はもう立ち上がれない。終わりだ。泣いても誰も助けてなんてくれない、自分で生きなければ、自分で……。そう思えば思うほど僕は自分の涙に繋がる感情に何度も何度も釘を打ち込み、何があっても開かないように塞いでいった。

 胸の奥の小さな自分は大声を上げて苦しみ、助けを求めていた。僕が今まで暮らして育ってきたいくつものルーツ達は、僕の大事な声たちに、幾重もの頑丈な蓋をし、大きな鋼鉄の鎖を回し、鍵をかけた。その鍵をルーツ達は僕の手の届かない暗闇へと投げ捨てた。心の奥のその厳重な蓋の中で苦しむ小さな自分は、どんなに大きな声を張り上げたとしても、思考に操られて生きる今の僕には、その悲しい声は届かなかった。


   * 壊す                          
 
                           
 僕とゆり子は、相変わらずいつものコーヒーショップでおしゃべりをした。会社が終わったあとは、毎日のようにこの店で待ち合わせた。ゆり子が待つこともあったが、僕が待つことがほとんどだった。たまにはゆり子の仕事が終わらずに、1人でコーヒーを飲んで帰る日もあり、そんなときは胸がちくりと痛んだ。
 僕らはあれからも何度か僕の部屋で朝までを過ごした。部屋に来る度に「ご飯を作ろうか?」と言うゆり子に「一緒にいる時間の方が大事だから適当に買って食べようよ」と僕が言って「そうね」」とゆり子は笑顔で言った。そうして僕らはいつもお惣菜やらテイクアウトなんかを買いビールを飲んだ。僕はそれだけで満足だった。
 ある日二人で雑誌を読んでいると揚げ物の特集が大々的に特集されていた。和風から洋風、韓国風なんかも載っていた。見るからにさくさく感やふんわり感が伝わってきて、ぱかっと二つに切られた唐揚げからは、湯気まで写っていた。いわゆるしずるの利いた「さくふわの、ぱかふわ」というやつだ。
「サクッてるねえ、うまそー!」
 と僕が言うと、ゆり子は、
「作ってあげようか? ねえ?」
 とにじり寄って来た。
「ほんと?」
 と良いとも悪いともないようなトーンで返事をすると、彼女の目が一段と輝いた。僕は今までデリバリーで良いやと言っていたことを少し後悔したが、しかし貴重な二人の時間を、もっとベッドで過ごしたい気持ちも強かった……。

つづく

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