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【小説】最後の聖夜

街中に、クリスマスソングが流れていた。

百貨店のショーウィンドウにも、ショッピングモールの広場にも、金銀に輝く大きなツリーが飾られていて、色とりどりの光を放っていた。

いつものターミナル駅が、ひときわ華やいだ空気に包まれている。行き交う人々は皆、大きな荷物を抱え、誰かを想って急ぎ足に過ぎて行く。

家族や恋人と体を寄せ合い、笑顔で見つめ合う人々と逆行するように、私たち二人は電車へと急いだ。

街の喧騒を背にして滑り込んだ車内は、思ったよりも空いていた。私たちは、横長のシートに並んで腰かけた。

私は、心臓が口から飛び出すんじゃないかと思うほど動悸がしている。座っているのに酷い目眩を感じて、今にも吐きそうなほどに気分が悪い。


彼の降りる駅が、段々と近付いてくる。

今すぐ次の約束をしなければ、このまま彼が電車を降りてしまえば、たぶんもう、二度と会うことはできないだろう。

さっき、問い詰める私に向かって彼は、
「⋯⋯もう会わない」と、絞り出すような声で告げた。

流れていた店のBGMが一瞬、止んだような気がした。グラスを持つ手が、少し震えた。

向かい合って座っているのに、彼は私を見ていない。いや、それは今夜に限ったことではない。彼はいつだって、私を見てなどいなかった。いつも私の向こうに誰か、違う人の面影を探していた。

「⋯⋯もう会わない」

そんな言葉を口にしなければならないところまで、彼を問い詰めて、追い込んだのは私だ。気付かない振りをして、これまで通り、恋人ごっこをしていれば良かったのかも知れない。

彼は、私が思うほどには、私のことを大切だと思っていない。

そしてそのことを、私は最初から知っていた。

ちゃんと、わかっていたはずだった。


彼の左胸には、古い傷跡があった。

心臓の斜め下の辺り。そこだけ皮膚が盛り上がって、引きつれたような2センチほどの傷跡。

「手術したの?」と私が問うと、彼は、「いや、刺された」と簡単に言った。

私は驚いて、半身を起こして顔を近づける。言われてみればちょうど、ナイフくらいの幅のようにも見える。

「いつ?」

「⋯⋯ずっと前」

「誰に?」

「⋯⋯忘れた」

彼は面倒そうに答える。きっと、話すつもりはないのだろう。

無意識に私は、その傷跡を、そっと指で触れていた。それは、彼の心臓のすぐ近くで、指先にトクントクンと鼓動が伝わった。

とてもとても古い傷に見えた。

私は、彼と、彼のこの古い傷痕が好きだった。


一つ目の駅に着いた。

ドアの近くに立っていた、二人連れの女子高生が降りて行った。色違いのマフラーをして、通学カバンには、お揃いのキャラクターが揺れている。きっと、とても仲良しなのだろう。

私は一人で、一生懸命喋っている。

彼が好きだと言っていた俳優の、新しい映画について。

共演者がイマイチだよね。でも脚本がいいから、きっとヒットするんだろうな。そう言えば主題歌もいいよね。

⋯⋯だけど、一緒に見に行こうとは言い出せない。

学生時代の、クリスマスパーティーの思い出について。

前に話した友達のこと、覚えてる? あの娘と一緒にコスプレしてさ。雪がちらついてるのに半袖でね。

⋯⋯だけど、わざわざ話題にするほどの興味深いエピソードでもない。

話しながら私は、どんどん混乱して、気持ちだけが焦っていく。

何か、何か、何でもいいから、彼が興味を持ちそうな話題はないのか。お願い、助けて。


二つ目の駅に着いた。

隣に座っていた年配のご婦人が降りて行く。手にはたくさんの買い物袋。誰かのための、温かい贈り物が詰まっているのだろうか。

次から次へと話し過ぎて、途中からもう何を言っているのか、自分でもまとまりがつかなくなってしまった。

それでも、話が途切れたらその途端、きっと地獄に落ちてしまう。私は一人、喋ることを止められない。

以前、彼が薦めてくれた作家の最新作について。

今度は珍しく、ラブストーリーなんだってね。ハッピーエンドなのかなぁ。らしくないよね。

⋯⋯だけど私は正直、前の作品の方が好きだったな。

さっきショ―ウィンドウで見かけた、流行りのデザインのコートについて。

襟の形が今年っぽいよね。袖の切り替えも、かわいかったな。他の色も見てみたいな。

⋯⋯だけど、きっと私には似合わない。

もう、息が止まりそうだ。お願い、誰か助けて。

頬が上気して、真冬だというのに変な汗が滲み出す。並んで座っている彼の表情が、どうにか視界に入らないように、私は注意深く正面を向いている。

彼はきっと、うんざりしている。こいつ、うるせーな、て顔に出ている。

見えなくても、そんなことくらい、私にはよくわかっていた。


三つ目の駅に着いた。

もう、さすがに、話題は見つからない。

私の真っ白になった頭の中に、不意に、彼の左胸の傷跡にちょうどいいサイズのナイフが思い浮かんだ。

一瞬、目を閉じると、頭の片隅で、ナイフがきらっと光る。

次に会う約束なんて、私には、どうしたって言い出せない。

「もう会わない」と言っている彼に向かって、何食わぬ顔で「じゃ、次は来週の⋯⋯」なんて、切り出す勇気が出ない。

勇気を出したところで、彼を困らせるだけなのだ。


二度と彼には会えないのだ、と思った。

彼の顔も、髪も、手も、何もかも、この目で見ることは、もう叶わない。声を聞くこともできない。手で触れることも、ふざけて無理やり腕を組んで歩くことも、もうできないのだ。

私は、去年死んだおじいちゃんを、ふと思い出した。目で見ることも、声を聞くことも、触れることもできない。⋯⋯同じじゃないか!

会えない彼と、死んだおじいちゃん。
何が違うというのだろう。
消えてなくなるのだ。
完全に。
永久に。
私を残して。
私だけを置き去りにして!

もう、世界なんて、今すぐ終わってしまえ! 私は咄嗟に、そう思った。

彼にはもう会えない。左胸の傷跡を指でなぞることもできない。

私一人が、この車両に、この世界に、取り残されていく。

終わってしまえばいい。

全部、全部、終わってしまえ!!!


頭の中に、アヴェマリアが響き渡った。

聖なる夜。

そうだ! 聖夜の今、この瞬間に、この車両が爆発してしまえばいい。

ドッカーン! と物凄い衝撃で、彼も私も皆、一瞬で、吹っ飛んでしまえばいい。

粉々に砕け散って、彼の傷跡も、私の心臓も全部、バラバラに吹っ飛んでしまえ!

私の手には、きらっと光るナイフがある。

その刃先は、彼の傷跡にぴったりだ。

私はたった一度だけ、そのナイフを彼の左胸の傷跡目がけて突き刺す。

それを合図に、

ドッカーン!!!



電車はあっけなく、彼の降りる駅に着いた。

駅に着いた途端、「じゃあな」と、一度も私を見ずに、彼は降りて行った。小走りにホームを進んで、階段を駆け上がって行く後ろ姿を、私はバカみたいにぼんやりと眺めていた。

私はただ放心して、電車のシートに小さくなって座っていた。

後から後から、訳のわからない感情が押し寄せてくる。

私は一人、俯いたまま、クククとこみ上げる笑いを、必死で嚙み殺した。大声でアハハと、笑い出したい気分だった。お腹を抱えて、転げまわって、大笑いしたかった。

⋯⋯自分が泣いていることに気付いたのは、電車を降りて、ホームの鏡とすれ違った時だった。

#創作大賞2022

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