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静香のこと 〈消極的な死への願望〉


庭の手入れは
あえて していない。

初めてこの家を見たとき
長年放ったらかしだった庭に
自由に生い繁る植物の生命力が
とても気に入ったのだ。

庭は小さなジャングルのようで
季節ごとに様々な姿を見せてくれる。
飾らない ありのままの姿は 力強く 美しい。



雨が降り出しそうな匂いがして
身体の奥に風が吹く。

いつからか
ものすごく消極的な 死への願望があるのだ。

決して 自分から命を絶つようなことはないし
闘病の果てに苦しみながら死んでゆくのも
見知らぬ通り魔に
何かの腹いせに ぐさり と刺されるのも嫌だ。

だけど
痛みや苦しみとは無縁に
ぱっ と 明日消えてしまえるのだとしたら
どんなに楽だろうと 思ってしまうときがある。

ただ それだけなのだけれど。



結婚前の わたしは 疲れ果てていた。
浮き沈みの激しい恋愛。
常に がんばり続けなければならない仕事。
いつ どこから来るかわからない波と
闘い続ける日々。
「生きる」ということは なんて大変なんだろう。
もがき続けなければ 沈んでしまう。
がんばらなきゃ。がんばらなきゃ。
穏やかな 終わりの日は 果てしなく遠くにあるようで
わたしは  途方に暮れた。

そんなときに
「明日で終わりだよ。おつかれさま。」
って 誰かが言ってくれたのならば
それが 悪魔の囁きだったとしても
きっと ホッとしてしまうに違いない。

たまに 過ぎる思いだった。


結婚後の「生きる」は 全然違うものだった。
がんばらなくてもいい。
食べて 寝て 排泄して 交わって。
シンプルな欲望に沿う生活。
人間も また「生かされている」存在なのだと知る。

だけど
この穏やかな生活は
子どもが生まれることによって
いい意味で 壊されるのだと思っていた。

子どもを育てる という大仕事に
必死に取り組むうちに 多くの年月が過ぎる。
また この穏やかな生活に戻るのは 老後なのだろう。


それなのに 子どもはできなかった。
健康診断で訪れた婦人科で
ぽろりと漏らしたら 検査をすることになって
子どもが出来ないと知った。



変わるきっかけを失った 
穏やかな生活を眺める。

何も変わらない。

交わっても交わっても
子どもができることはない。
それでも わたしは 夫に跨り続ける。
毎日毎日 繰り返す。

食べる、眠る、そして 老いてゆく。


繰り返す営みが 徐々に膿んでゆく。

難しいことは考えずに
庭の植物と同じように
1日1日を ただ 生きられればいいのに。

どうして こんなに 
頼りのない気持ちになるのだろう。

身体の奥に風が吹く。

わたしは 
また 途方に暮れていた。




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