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発達の軌跡

はじめまして。uminoと申します。自己紹介も兼ねて、自身の生い立ちの一部を語ろうと思います。

なぜこの記事を書こうと思ったかというと、この@fukusanityさんのポストに深く共感したからです。過去に全く同じ考えを持ったことがあるのです。

昨年の夏季休業中のことです。卒業した高校に顔を出す機会がありました。アポ無しの訪問にもかかわらず、いざ職員室に顔を出すと、皆さんにこやかに歓迎してくれました。そうして、先生方としばらく雑談することになりました。

ぼくの話す姿を見て、彼らは口々に「別人のよう」と評しました。具体的にいえば、返答が鋭くなった、表情が明るい、会話の進め方がいい、目を合わせるようになった、声が大きくなった、など...。

高校生のとき、ぼくは問題児で、不登校ぎみで、コミュ障でした。友達はいるにせよ、学校生活には致命的な問題を抱えていました。授業中に抜け出して廊下をフラフラしていたり、夕方になってから登校したり、出席数がギリギリすぎて、先生に家まで迎えに来てもらったり。その時期を知る先生方からすれば、ぼくの変貌ぶりはかなりの衝撃だっただろうと思います。単位取得も順調だと伝えると、それだけでみんな大喜びしていました。先生方の優しさに胸が満たされました。

15時に登校して、自習しているときのようす


その数日後、高一のときの担任であった女性の先生から、実家に電話がかかってきました。先生はたいへん厳格で、正直なところ、高校生のころのぼくは「ほっといてくれ」とよく感じたものでした。

最初はぼくが電話口に出たのですが、彼女は「祖父母に代わってくれ」の一点張りで、不思議に思いながらも、祖母の部屋の子機に繋ぎました。当時、祖父母はぼくのことを誰よりも心配してくれていて、学校への送り迎えや連絡、食事の準備など、身の回りの世話(恥ずかしいかぎりです)を行なってくれていました。学校生活の状況については、その先生から祖父母へと頻繁に連絡がなされていました。

しばらくすると、祖母のすすり泣きが聞こえてきました。何を話していたのかは覚えていません。ただ、祖母が「ありがとうございます、ありがとうございます」と何度も繰り返していたことだけは覚えています。ぼくは、それを聞いて、「ああ、おれ成長したんだな」と心の底から思いました。同時に、先生方や両親、祖父母から費やされた愛情の大きさを改めて知り、その大半を無下にしたことを思い返して悔やみました。「今ならもうちょっと上手くやれるんだけどなあ」そう思いました。そして、「若さってこういうものなのかなあ」とも。

だから、本当に共感しました。投稿を見た時、自分以外にも同じ思いを共有している人がいるということに嬉しくなりました。



「私は、時々、自分を育ててくれた人たちと、その人たちをどれくらい裏切ってきたかを思って、一人嗚咽することがありますよ。あなたもきっとそうでしょう。」

ぼくもそうです。

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