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夏の方舟 #04-06

06

 三〇分ほど歩いてコンビニを見つけたのでそこでジュースを買って二人で飲んだ。
 駐車場には誰もいなくて、ぼくとうに子だけが疲れた足を伸ばしてそこへ座っている。

「あ」
 ケータイに着信が入った。着信名は家。ぼくはすぐに電源を切った。

「どうしたの?」
 うに子はミネラルウォーターのキャップを開けながら小首をかしげる。

「なんでもねーよ」
 家のことなんか考えたくない。
 カルピスソーダを一気にあおると渇いた口の中で炭酸がはじけて痛い。
 駐車場のすみで、なにかがうす暗く発光していた。今どき麻薬売買にしか使われなさそうな電話ボックスだ。

「そうだこれ。Sにもらった神様の電話番号を試してみようぜ」

 ぼくらはふたりで、きゅうくつな電話ボックスにはいる。電話ボックスの電話にはテレホンカードを差し込むところがあって、まるで昭和にタイムスリップしたみたいな気分になった。
 Sにもらった紙片を広げてみると、そこには「10565」という数字が書かれている。

「これ桁少なくね?」

「かけてみようよ」

 10円玉を入れてボタンを押してみる。

「なにお願いする?」

 つながる前に、うに子がぼくから受話器をひったくって叫んだ。

「いきろー!」

「……え?」

「いきろー!」

 そう言うと、

「はい。終わり」

 と、受話器をおいた。ぽかんとしているぼくに、うに子が言う。

「神様っていうのはね、お願いごとをするものじゃないんだよ」

「じゃあ、どういうもんなんだよ」

「祈るものだよ。祈りっていうのはね。時間も空間もこえてつたわるんだよ」

「なにを祈った?」

「いきろって祈ったよ」

 長渕かよ!

「そういうもんか……で、この番号、結局なんだったんだろう」

「なんだろうね……素数……じゃないし」

 きゅうくつな電話ボックスから出ると、ふとひらめいた。

「あ」

「どうしたの?」

「いやぼく、すごいことに気づいた。井川って背番号29だよな」

「そうだよ」

「で、生年月日は1979年7月13日」

「すごい、おーちゃんよく覚えてるね!」

 聴覚記憶はかなり自信がある。

「これ! 全部素数なんだよ。スゲくねえ? なんかものすげー秘密が隠されてる気がしねえ?」

 どうだ、知らなかっただろうっつー鬼の首を取って皮を?いで酒盛りするくらいの勢いで胸を張った。
 だが、うに子は照れたように、

「知ってる。おーちゃんの誕生日も」

「なに、なんだそれ」

「確かめてみて」

 自分の誕生日を確かめてみた。
 えーとえーと。
 3月23日。
 そっか。もしかしてこれ。
 ああ、そういうことか。
 素数。ぜんぶ素数だった。ぼくの生年月日、139㎝の身長と31㎏の体重も、出席番号13も、家の番地や、家族構成も、携帯の番号も。

「すごいね」

 夜の中でコンビニのあかりがぼくたちの影を海岸までのばす。
 ふりかえって見ると背後にある海辺のコンビニは水槽で青く光っていたネオンテトラみたいだった。

「ジャンプ!」

 うに子が走って道路脇にある白いパイプのガードレールにとびついた。校庭の鉄棒と同じように、それにつかまってぐるぐるとまわる。
 服がめくれ、真っ白なお腹とスカートからのびたふとももが光をあびて、なめらかに、やわらかく光って見えた。それがとんでもなく心臓をどきどきさせた。
 ぼくは気づくとケータイのカメラでうに子を撮っていた。
 とびきりドキドキする〈ヤバイ〉もの。
 うに子がぼくにいった。

「おかあさんに聞いたんだけど、おとなになったらできるらしいんだ……だからおっきくなったら、せっすくしようね」

 ため息が出た。
 がんばれうに子の言語中枢。

「ならねーよ、大人になんか」

「えー!」

 ぼくもジャンプして隣のパイプにつかまった。

「うそだけどな」

 ふたりでぐるぐるまわった。パイプに塗られたペンキで手が真っ白になっても、ひかる透明なクラゲみたいに、湾岸線に続くオレンジの灯みたいに、きらきらとまわった。

 産業道路を引き返して、やっとのことで町へたどりついたときはもうかなり夜も深かった。街灯の下でうに子が別れぎわにふり返り、手をふりながらいった。

「おーちゃん。明日はたてぶえ忘れちゃだめだよ!」

「うん」

「ゼッタイだよ!」

「おう!」

「ゼッタイのゼッタイだよ!」

「しつけーよ! わかってるって! おまえもMIBにきをつけろよ」

「もう大丈夫だよ!」

 角を曲がって見えなくなるまでずっと手を振って、それからぼくはちょっと憂鬱になって家路についた。
 家の前で、一度立ち止まって入るか否か迷った末、なにもなかったかのように振る舞うことにして玄関をあけた瞬間、姉ちゃんと母がそこにいてぎょっとした顔を見せた。

「た、ただいま……」

「あんた!」

 母が仁王立ちになって叫んだ。
 殴られる。そう思って身体を硬くして目をぎゅっと閉じた。
 だけどいつまでたってもなにも起こらないので、不思議におもいながら目を開くと、ぼくがいままで見たことないような泣きそうな顔をしていて、

「おかえり……」

 叱られた小学生みたいな声でそういってとぼとぼと部屋に戻っていった。
 拍子抜けした。
 姉ちゃんは化粧がグズグズになった顔で「心配なんかしてないからね!」って叫びながら二階の自分の部屋に走っていった。
 ぜんぜんわけがわからない。
 残されたぼくは居間に用意された冷えたご飯を食べた。そのうち電話が鳴ったので取ってみると警察からだった。酒焼けしたようなガラガラ声のその警官の話からすると、どうもぼくは捜索されていたようだ。家族に心配されていたという事実がどうにもしっくり来なくて、ぼくはわけがわからないまま受話器の向こうの、会ったこともない警官にいった。

「お騒がせしてすいません。もういいです」

〈もういいって……?〉

「帰ってきましたから」

〈え? 帰ってきたってキミ欧介くん?〉

「そうです。すいません母と姉がご迷惑をおかけして」

〈いや……まあ、そうなんだ……無事なら良かったねぇ〉

「はい」

〈いやに落ち着いてるなぁ〉

「ええ、まあ。一応小学生ですから」

〈今どきの小学生はすごいなぁ……お父さんがいないからかなぁ〉

 えらく無神経な警官だ。

〈まあ、がんばってお姉さんとお母さんを守ってあげるんだぞ。男の子だからな〉

 男だからとか女だからとかって、おまえは昭和生まれかよ! と思ったけどたぶん昭和生まれだから、言っても無駄な気がした。

「はい」

〈じゃあね〉

 受話器を置こうとした警官に、ぼくは最後にひとつ質問をした。

「お巡りさん、大人とか男ってどうやったらなれるんですか」

 警官はうなって、電話の向こうでタンを吐いた。おえー。
 そしていった。

〈ああ、うーん……女の子とセックスしたらなれるんじゃないかなぁ……あははは〉

 ぶち。
 笑い声が終わらぬうちに受話器を置いた。
 セックスっていうのは、大人にならないと出来ないんだよバカ。
 フロに入って寝た。

(つづく)






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