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夏の方舟 #04-04

04


「お、おおう」

 家に帰って部屋に入ると女がいた。

「どど、どうも……どうもです」

 マッジッで何勝手に部屋はいってんだよこのボゲェ! とか言いたくならなかったのは、女がベッドに腰掛けて本を読んでいる姿がけっこうかっこよかったからだ。ぼくはランドセルを椅子の背中にかけて、ポケットに手を突っ込んだままSの前に立つ。

「な……なによんでるんですか」

「これ、読みたかった小説。すごい趣味してるね小学生なのに」
 おいおい、小学生だからってナメんじゃねえぞ、謝罪の言葉もなしかよ。アアン!? 本は『ジュリアとバズーカ』という題名だった。作者の女の人はジャンキーで鬱になってヘロイン中毒の果てに謎の死を遂げた。パンクだ。かっこいい。

「ぼくのじゃなくて、死んだ父のです。売れない作家のまま病死したんです。おかげで保険金入って助かったんですけど、家のローン返してもう財産とかないんで」

「へえ」

 部屋はかつて親父の書斎だったので書棚や机はそのままのかたちで残っていて、そこにぼくのベッドを運び入れただけ。
 書架に並ぶ無数の銀色の背の本とか、火星人マークのついた本とか、一冊もぼくが自分で買った本なんかない。バケツで空気を運ぶ話とか、博士が宇宙をつくる話とか、そんな変わった話ばかりだけどそれなりにおもしろい。サイバーなやつは文章がかっこいいだけであんまおもしろくない。
 親父の書いた本は、書店にはあるのに家には一冊もない。
 貧乏だったので親父は自分で自分の本にサインをいれてネットオークションにかけたり、あるいはたまに友人の作家に頼んで古本屋で買った本にダブルネームでサインをいれたり(サイテーだ……)してせこせこと生活費を稼いでいた。そのくらい親父の小説は売れてなかった。
 親父はいつもここに座って、机に家族の写真を飾って小説を書いてた。
 母に「この穀潰し!」とかいって殴られたりしてもじっと耐えて、胃を痛めても病院に行くのを我慢して、姉ちゃんに小遣いをこっそりあげたりして、ぼくにアキバ裏で売ってたマジコン買ってきてマジ母にキレられたりして。
 もう一つの親父の口癖は、「レボリューション!」。なにを革命するつもりだったのかはわからない。たぶん人間を革命したかったんだと思う。そのうち母がマイナーなタウン誌のパートをはじめて正社員になって、それから友達のツテとやらで、大手の雑誌編集に引き抜かれてなんとか家計が安定したとおもったらいきなり親父は死んだ。

「だから、なにか盗もうと思ってもたいしたもんないですよ」

「そのようだね。燃やしたくなるようなゴミばかりだ」

 本気か冗談かわからないようなことを言って彼女(彼?)は本の続きを読む。

「おーちゃーん、あーそーぼ」

 そとでぼくを呼ぶ声が聞こえた。
 部屋の窓から下を見ると、さっき別れたばっかのうに子がこちらを見上げていた。

「なんだよ。あがってこいよ」

 めずらしい。

「うん」

 階段をのぼって部屋に入ってくるなりうに子はショックを受けたように固まった。

「だれ……この人」

 あきらかに浮気を咎める目つきでこっちを見た。

「や、このヒト男だから」

「男? どういうこと……?」

「姉ちゃんが拾ってきた人でさ……えと。あの、すいません……ちょっと部屋戻ってもらえますか」

「読書を中断させられるのは不愉快だ。気にするな。僕も気にしない」

 なに言ってんのこの人?

「子供は嫌いじゃない。おまえらの頭の悪い囀りは笑えるからな」

 どう考えても子供好きの態度じゃねえ……!

「ちょっと黙っててください……。なあ、どうしたんだよ、うに子」

「まてよ。おまえ、どこかで見たことがあるな」

「あなたはいいですから……あっちの部屋で本読んでてください」

 体当たりしてSを部屋のそとに押し出し、ぴしゃりとドアを閉める。

「ふう……。で、なんだ?」

「あのね……家に帰ったらMIBの謎の外人がいたの」

「まじかよ!」

 MIB、すなわちメンインブラック。UFOとか国家機密の陰に暗躍する主にアメリカで目撃される謎の男たち。人間かどうかすら怪しく、宇宙人説とかもある。ついに日本までやって来たのか。

「なんか前からやってきてたんだけど、うに子どうしたらいいのかわからなくて……」

 そりゃ確かにどうすりゃいいのかわからんだろう。ぼくだってそんなのが来たら動揺する。あるいはションベンを垂れ流す可能性は限りなく高い。確変入ってフィーバーする可能性もある。
 でも、さすがにそれは、よっぽどバカじゃない限り信じない荒唐無稽な話だ。
 けれど、本当かどうかなんて問題じゃない。そんな話をこのぼくにわざわざしたという事実こそが大切なのだ。
 つまりどういうことかというと、ぼくは、うに子に男だと認められている。

「安心しろ! 机の中に親父の残したスタンガンがあるんだ。これでやっつけにいこうぜ!」

 俄然張り切って勇気づけるように黒いそれを見せる。
 うに子はベッドのはしっこに三角座りして小さく頭を横にふった。

「ううん、いいよ。なんとなく一緒にいたいだけだから。……べつに誰でもいいんだけど」

「だ、誰でもいいのか……」

 気勢をそがれて腰砕けになった。
 うに子のそういうぞんざいな態度と口調ははじめてだったので、ちょっとだけ動揺してしまった。

「女の子にはそういうときがあるんだよ」

 その声はどこまでも暗い。

「そ、そうか」

 憂鬱そうな、気怠げな、うに子の態度がなんかとても大人っぽかった。

「おーちゃん……せっくすしようか」

「ななななにをいうかいきなり……」

 どうしたんだ。どうしてしまったんだ。

「なんとなく……せっくすしたい」

 なんとなく……なんとなくセックス……うに子がシブヤの女子高生になった。

「おまえ、やりかた知ってるのか」

 問い詰められて、あう、う、うー、と頭をかかえるうに子。

「しらない……」

 ほっとしたのもつかの間、

「夢ってなんだろうなあ……持ってなきゃいけないのかなあ……どうすればいいのかな」

 いきなり泣き出した。
 なにがなんだかわからなかった。MIBはどうなったんだ。
 ぽろぽろと涙を流すうに子の前で立ち尽くすぼくはどうしようもなく無力で、無意味で虚無的な存在だった。

「逃げよう……旅に出よう」

 おもわず口をついて出た言葉に自分で失笑しそうになった。
 旅って。
 でもうに子はこくりとうなずいてくれた。

「いいよ」

「よし、MIBの手の届かない遠いところ……大阪にいこう」

「大阪かあ。いいね、うに子たこやきすき! で、いってどうするの」

 ちょっとだけ元気になったうに子を勇気づけるためにさらに続ける。

「大阪といえば阪神だ。トラッキーを探そう」

「いいね」


(つづく)








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