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夏の方舟 #04-03

03

 翌朝おきて学校に行くと、一時間目からファックな展開が待っていた。

「はーい、今日はこないだのテストを返しますよ~はなまるの人が今回はふたりもいますよぉ~」

 そうテストの結果発表だ。それはおいといて、この若き女教師であるところのコナミ先生はテレビの子供番組の司会者と教師という職業を勘違いしているとおもう。彼女の振るまいは、むしろ見ているぼくらが恥ずかしいので、温かく見守ってやっている。おかげでこのクラスは学年でいちばん学級崩壊していない。大事なのは慈悲の心だとお釈迦様も言っているしたぶんゾロアスター教でも同じふうな雰囲気のことを言っているはずだ。

「じゃ、算数のテストからね。えーと、宇仁田くん! すごい! 満点です! 先生いじわるしてテイラー展開使うとけっこう簡単になる常微分方程式の数値解を求めよって問題を出したんだけど、見事に電卓なしで解答!」

 だめだ。こいつらの会話についていけてない。算数は得意じゃないんだ。

「おまえさっさと飛び級すれば?」

「無理だよ、だってうに子が得意なの算数だけだもん。それに……おーちゃんと離れるの嫌だし」

 困ったように眉を寄せた。かわいいなおい。

「はーい、それじゃ今日の音楽の時間は~みんなの夢についてでぇーす!」

 つーかさ、小学校六年生にもなって夢ってどうよ……まいったなあ。幼稚園のお遊戯くらいにしてくれよ勘弁だぜ。それより音楽の時間に他の教科のテストを返すのはどうなんだ。どう考えてもこの教師、計画性ゼロだろ。

「じゃあみんな自分の夢をテーマにした曲をたてぶえで作ってみよ~!」

 やたら高度な注文だなおい。いきなり作曲かよ。

「じゃあ、欧介くん」

「ぼくですか……」

 マジですか。そんな恥ずかしいことやるんですか。
 それよりふといま、大事なことに気づいた。
 昨日うに子にいわれたのに、ぼくはたてぶえを忘れていた。

「せんせい、ぼく、たてぶえ忘れました……」

「それじゃ、欧介くんは宇仁田くんにたてぶえをかしてもらってくださ~い」

「ま、まじかよ」

 教育的配慮とかちゃんとしろよこのバカ教師。そんなことしたら大変なことになるだろ。
 動揺するぼくの気も知らずにうに子は、たてぶえをぼくに差し出した。

「はい! おーちゃんがんばって! あ、うに子ヘンなウイルスとか持ってないから伝染病は気にしないで、ねっ! ね!」

 そういう意味ではない。
 どきどきした。クラスの注目が、目線が、冷笑が。胃が痛い。
 がんばって、口をつけないように吹こうとしたが、無駄だった。
 ああ。つけちゃった。
 がんばって無我の境地でゴッドファーザーのテーマを演奏しきった。悟りが見える。

「すごーい、かっこいー!」

 先生がパチパチとバカにするように手をたたく。アナーキーインザ自分、もはや思考は無政府状態だった。ギャング、ヒップホップ、ヒットマン、遠い。ここからは限りなく遠い。

「間接キスだ!」

 野球部のハゲどもがいっせいにはやしたてた。

「はーい静かにしてくださ~い!」

「子供が生まれるぞ!」

 凹んだ。マジ凹んだ。うに子は、着席したぼくの肩をぽんぽんとたたいて、顔を紅くしつつもぼくを励ました。

「大丈夫だよおーちゃん、せっくすしないと子供は生まれない……らしーよ」

 いや、知ってるし。当然だし。そういう問題じゃねえし。口の中に、うに子が朝使ったであろう、いちご味のハミガキ粉のほのかな甘みが、ずっと残っていた。

 帰り道のコンビニで発見したペットボトルのドリンクであるところの妖怪ウォッチングメロンソーダを飲みながら商店街を歩きつつ、ふと口をついて出たのはこんな言葉だ。

「ああ……父親が欲しい」

 はるか昔、想い出が化石になるくらいの過去、家族で一度だけファミレスに行った。そこで飲んだ飲み放題のメロンソーダの味が脳裏によみがえる。

「ええ……なにいきなりどうしたのおーちゃん!」

「ハードボイルドでアラブの石油王みたいな懐の深い父が欲しい……」

 なんか、空しい。
 なぜ死んだんだ親父(まあ死因は胃癌なんだけどさ)。
 くだらないヘボい売れない小説書きでも家庭内で男は親父とぼくだけだったのに。ことあるごとにいってた「センスオブワンダー!」っていう口癖がかっこいいのかどうかスゲエ微妙だったけど……あの母のヒステリックでライトなDVに対する防波堤的な役割でしかなかったけど、それでもあんたがいるだけでぼくはなんとなく救われていたのに。

「この無意味な世界──虚無感に充ちたセカイから抜け出したいセカイ系パンクスなぼくですよ」

 ふう。ちなみにセンスオブワンダー、ってのはSFファンがよく言うらしい言葉で、SFっぽい感覚みたいな、「びっくり!」みたいな感じらしい。

「ランドセルってなんか江戸時代の拷問道具みたいだよな──四角い石を足にのせられるやつ。政府の陰謀かもな、これは」
 お総菜とか焼鳥屋の煙とか新品の電化製品のにおいがいりまじった、なんかせつない気分になる商店街で、気づくと、うに子はいつもの熱帯魚屋の水槽にはりついていた。

「ネオンテトラってきれー」

「この頬に光る涙のほうがきれいじゃない?」

 突っ込みつつぼくも隣に並んで水槽のネオンテトラを眺めた。ネオンテトラっていう幻想的な名前で二割増しくらい美しく見えるから不思議だ。ネーミングって大事だな。もしこれがゲロリウンコとかいう名前だったらいくらキレイでも飼いたくなくなる。

「おーちゃんに今日の野球ふりかけのカードあげる」

「今日誰だよ」

「人間じゃないよ」

 手渡されたカードには擬人化された虎の絵。

「なんだこれ」

「トラッキー。タイガースのマスコットで、トゥーラッキーって意味なんだよ? 知ってる?」

 幸運。かつてけっこうあったのに、今はゲージ3ドット分くらいに減ってしまったもっともぼくに足りないものだ。

「うう……ありがとう、うに子」

 軽く感動した。

「がんばって、むきょじゃないよ」

「虚無、な」

 体に悪そうな合成着色料がいっぱいはいっていそうなメロンソーダを一気に飲み干すと、ぼくはちゃんとつぶして道の脇にある〈燃えないゴミ〉の箱につっこんだ。

(つづく)





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