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労働と仕事は分けたほうが良いよねってはなし。

士農工商という言葉があります。
本来「民全体」「みんな」とかって意味です。
今で言うと士は政治家、農は一般人、工は職人、商は経営者。かなと僕は思います。

身分制度とかは置いておくとして、人間向き不向きはあると思うんですよ。
政治家が向いている人もいれば経営が向いている人もいる。経営者の元で働くのが向いている人もいる。自分には何が向いているのかという判断はなかなか難しいものだと思います。自分がなりたい理想像と実際に得意な分野は必ずしも同じとは限らない。ここが一致しているならラッキーですが、そう上手くはいかないことが多いです。僕も試行錯誤しながら理想と現実をすり合わせていく日々です。理想像って簡単には諦めることができない魅力的なものだから。

僕は表に立って仕事をしたいと思ってきました。
最近は少しずつ表に立つ仕事をするようになりましたが、自分には向いていなかった気がします。やはり人には適材適所があります。表舞台は僕には眩しすぎました。僕が今いる世界は向上心のある方々が多い、仕事に対して真摯に向き合っていてクリエイティビティ溢れる現場です。僕もクリエイティブな方だとは思うので自分には合うかと思ったのですが、これがそうでもなかった。僕が創造するのは僕の感情、思想信念主義主張であって人のものではありません。今の現場は会社の思想があってそれを土台とした創造です。僕のものではないです。人のものを創造するのは僕には苦しい作業です。創造するという行為はかなり力を消耗します。仕事として続けるにはすこし厳しい。

労働というのは労力の対価として報酬をもらうことです。お金を稼げればいいわけです。
僕は労働と仕事の区別ができていなかった。
仕事は自分の創造力を使って自己表現をする場。仕事でクリエイティビティを発揮すれば良い。わかりづらいのは仕事を労働にして生きていける人がいてそういう人たちが目立っている。労働と仕事は分けたほうが生きやすい気がします。

労働ばかりしていると自分が何者なのかという悩みが生まれる。ある程度食べれる分だけ稼いだらあとの時間は仕事にまわせば自分らしさも生まれてくると思うんですよね。
自分らしさが社会の役に立てばさらに素敵な生き方だと思います。
これは僕自身、労働があまり好きではないだけかもしれませんが、労働に縛られ過ぎるのもよくないと思います。僕はできないです。
とはいえ生きていくにはお金が必要です。どのくらい必要かは人によりますが僕は労働する時間を増やすのなら使うお金を減らす方に頭を働かせます。これが僕が生きていくための生存戦略です。
捨てるものも多いけど、様々なことを感じることができる時間は増えます。
僕はある時から諦めることが増えました。正確に言うと納得して受け入れることが増えました。ネガティブに聞こえるかもしれませんがそんなこともなく、足りていることを知りました。今の僕は欲しいものは全部持っています。全てが欲しかった10代のパワフルさは無いけれど今はとても穏やかで幸せに溢れています。この先のことはわからないけれど、いま起きていることはとても幸せです。高級なものはいらない。自然の音を聴いて風を感じて、美味しいものを食べる。それが今の僕にはとても幸せに感じる。
いろいろな生き方はあると思うけどそれぞれに合った生き方でみんな幸せに生きれれば良いんじゃないでしょうか。お前はお前でいいや、俺は俺だから。みんなそれぞれ楽しく生きよう。

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