過去のこと

 辛かったこと。と聞いて私にとって最初に思い浮かぶのは、小学校で起きた出来事だ。当時、私は親友だと思い合っていたはずの子に、分かりやすく言えばいじめられていた。こんな言い方をしているわけは、私には感情というものがなかった、そして親友を超えた嫌がらせだったからだ。

  私の感情は、喜怒哀楽はおろか、欲さえなかった。全て他人の真似事のように、空っぽだった。だから、いじめられているという自覚も、それを避けようとする感情もなかった。

 余りにも当時は自我というものがなかった。どんなに酷いことを言われても、「私たちは親友だよね」なんていう言葉を信じていた。
 けれど、自我がなくても、心はあった。でもそれは小さくて、自分では気づくのに時間がかかった。

 気づき、悩み抜いた答え

 はじめは違和感だった。「あなたは暗いから、服装は黒の方が似合う」とか、そんなことを言われて、小さくても心は傷ついていた。私は自衛するように、次第に彼女の言葉を疑うようになっていった。そして、考えた。この違和感は何なのか。友達とは何か。親友とは何か。私たちの関係は本当に親友と呼べるのか。と

 考える中で結論付けたのは、私は嫌な思いをしていること。ただそれだけだった。それを何度も彼女に伝えようとした。けれど、口頭で伝えるだけでは、彼女の強気な態度に勝てなかった。それでも彼女は、気を付けると言って、一時の安息を得られた。幾度となくそんなやり取りをして4年が過ぎた。

その間、私は考え続けた。この状況を脱するためにはどうすればいいのか。他人に相談するという選択肢はなかった。私は、自分が彼女に勝てない不甲斐なさを知って、誰にも知られたくなかった。親に相談しても、3度目には「自分でやめてって言いなさい」と言われるようになった。

 小学6年生になったときだった。その間ずっと我慢して、考え続けた結果、私はこのままただ時が経つのを待つ行動が最適だと結論付けた。そう、ただの現状維持だった。悪くなることはあっても、決して良くはならない。
けれど、もう少しで卒業。卒業すれば何か変わる。(地元の中学は、小学校の倍近くの生徒が、200人ほど入学するため、環境が変わる可能性は十分にあった。)
そう思ったときに、今まで考えてきたことに晴れ間が差した。

 自分の中の答えが出てから

 そうして、卒業間近、心の余裕ができたことが理由なのか、何を思ったのか少し覚えていないが、学校にあったカウンセラーに相談した。今まで人に話せなかった分が一気にあふれ出し、泣いた記憶しか残らないくらいに泣いたように思う。けれど、曖昧な記憶の中で「彼女に何かを伝えたいなら手紙に書いてみるといい」というアドバイスを受けたことを覚えている。

 アドバイス通り、手紙を綴ることにしたのだが、余りにも書くことが多すぎることに気が付いて、諦めた。詳細は語れないが、彼女は確かに私の親友だったのだ。いじめに近いこともされていたが、確かに楽しかった記憶もあって、私のことを一番よく知っていた。
 その逆もしかり。彼女は私が嫌な思いをしていることにも気づいていたし、彼女が家庭でよく叱られていたことも知っていた。私はそんな彼女に何にもできなかった。そんなことを考えていたら、あっという間に中学の入学式。私は手紙を書き上げられず、渡すタイミングを逃した。

 何かが変わるだろうと予想したが、しかしまあ、同じ中学に通うのである。変わらない可能性もある。でも、それは杞憂だった。彼女は変わった。いつもなら反応に対して怒ることも無くなり、次第に私との距離も離れていった。

 我慢に代わる私の選択肢

 私はというと、自分の思いをひたすら文章にして書くということが増えた。未だに自分の思いを面と向かって言えることは少ない。辛いことがあっても、きっと時が解決してくれると思ってただ待つ。
 けれど、その間ずっと私は考え続ける。その問題を解決するためにどうすればいいか。私はどこが辛いと思っているのか。嫌な部分はどこか。それを克服するためにはどうすればいいのか。それを余すことなく書き留める。

 我慢をしていることに代わりはないと思う。けれど、考えることで一歩づつ、確かに解決に向かっているはずだ。時が止まらずに進み続けるように、考えることは止められない。これが私にとっての我慢に代わる選択肢であり、過去から脱却するための手段。


追記
 コンテスト終わってることに気づかないままここまで書いてしまったので、供養させて下さい。