自分の常識は他人の非常識
今日は、僕が社会に出て気付いた「自分の常識は他人の非常識」について書きます。
僕は割と人に恵まれた環境で育ってきました。
大学まで通わせてもらい、一応それなりの教育は受けてきたつもりです。
特に礼儀や挨拶については、いろいろな人からその大切さを教わりました。
「人に会ったら『おはよう』『こんばんは』と挨拶をしましょう」
「食べるときは『いただきます』を言いましょう」
「人から何かをもらったら『ありがとう』と言いましょう」
これらは全て、誰もが当たり前に習う常識だと思って生きてきました。
しかし、しかし。
僕は社会に出てから思いました。
「あれ? 挨拶できない人、多くね?」
僕が入った会社にたまたまそういう人が集まっていただけかもしれませんが、たぶん錯覚ではないです。
例えば、
「おはようございます」「こんばんは」と言うと、目を見ず生返事で返される。
「お疲れ様です」と言っても、なぜかスルーされる。
何かをしたとき、「ありがとう」と言われず、さも当たり前かのように流される。
特に僕が覚えているのは、上司の書類作成を手伝ったときのことです。
完成した書類を渡したら「ふん」と言われて書類を横取りされました。
殴ってやろうかと思いました(笑)
このように、こちらが何かアクションを起こしても何事もなかったかのように流されることが多々あり、そのたびに少し傷つきました。
大げさに言うなら、自分の存在が否定されているようにすら感じられました。
そのような体験をしていくうちに気付いたのです。
「自分の常識は他人の非常識」なのだと。
育った環境は人によって異なります。
そのため、挨拶の大切さや言葉の温かみに触れてこなかった人がいても、何も不思議ではありません。
逆に、僕に挨拶されたその人たちは、「うわ、なんじゃこいつ、めっちゃ挨拶してくる……」と思ったことでしょう。
いわゆる、「育ちの違い」ってやつですね。
僕は
「自分が言ったこと・したことに対して、見返りがあるのは当たり前だ」
と思っていたことに気付かされました。
どうやら世間は、それほど優しいものではないみたいです。
多分、みんな疲れているんでしょうね。
とは言え、挨拶を無視されたり、ありがとうを言われなかったりするのは、やはり少し傷つきます。
そこで僕は、こう思うようにしました。
・挨拶を無視されたとき
→ 「あー、僕はジャガイモに挨拶してたのか」
・ありがとうと言われなかったとき
→ 「なんだ、ありがとうが言えないくらい照れてるのか。まったく、可愛いジャガイモだなあ」
心の中でそう思うと、少しだけ気持ちが楽になることに気が付きました。
もし同じような悩みを抱えている方がいらっしゃったら、この記事を読んで気持ちが軽くなってもらえたらいいなーと思います。
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