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ただ小説のためだけに(佐藤正午さんの小説)

ああ、面白い小説を読んだなぁ、と必ず思わせてくれるので、佐藤正午さんの新刊が出たら飛びつくように買っています(ここ何年か遅れ気味で、『鳩の撃退法』は文庫になってから読みました…ああ、本当に面白かった…!)。でも、「新しい小説が読めなくなったらどうしよう!」と思って『永遠の1/2』(デビュー作)をまだ読まずに、読めずにいます。

最初は、江國香織さんが好きな本として『夏の情婦』をあげていたから読みだしたのです。既に『ジャンプ』はベストセラーになっていた頃かと思います。

そして読みだすと、『夏の情婦』の中の「傘を探す」の終盤、何もかも悲しくなる場面に持っていかれました。それから手に入る全ての本を買うようになったのです。当時はなかなか見つからないものもあって、古本屋で探したものです。

そんなことだから、一冊お勧めするのは難しいけれど。

連作短編とは何と面白いのだろう!と感じた『人参倶楽部』。

連作短編で私にとって印象深いものは、ティム・オブライエンの『本当の戦争の話をしよう』です。こちらは、ベトナム戦争で傷を負った人々について書くことで、読み終わった後、戦争とはどういうものか、ということが、建造物のように立ち現れた、ように私は感じました。

一方、『人参倶楽部』はさながら絵巻物です。

話は、バーのマスターの目線と客の目線と交互に語られます。客側の語り口は様々で、手紙だったり電話(一人語り)だったりします。

それぞれの人生、馬鹿馬鹿しかったり愉快だったり、でもみんな悲しみを持っている。

そして最後、マスターの奥さんの目線で語られるのですが、その語りからそれぞれの悲しみを持った客たちの受け手だったマスターの悲しみを初めて感じ、それによって物語全体が深みと広がりを持つのです。縦に積み上がるのではなく、あくまで水平に広がっていくのです。バーという場所を通じてのみ繋がっていたと思われた人たち、その家族たち、その人生。様々な人生が悲しみを通じて、もっと底の方でどこまでも繋がっているようなイメージ。それが絵巻物と感じた所以です。

どうしたらこんな小説が書けるんだろう?


絵にしたのは、トーストの上にリンゴの薄切りを載せたもの。これは、随筆集『豚を盗む』の中に出てくる食べ物です。なるべく薄く切った生のリンゴを、焼いた食パンの上に載せる、というあまり一般的とは言えないレシピ、その人のうちではそれが定番である、という話を聞いたときに、作者は思います。

リンゴのスライスをトーストに載せて食べる習慣。それを家庭の味として育った子供。その子供が大人になっていまはリンゴのスライスにチーズをあわせて食べる。素朴から洗練へ。この二種類のりんごの食べ方によって、時の流れを際立たせることはできないだろうか?

この食べ物は後に『アンダーリポート』という小説に出てくるのですが、『豚を盗む』には他にも後に『アンダーリポート』となるアイデアについて、もう1年以上どう活かすか考え続けている話があります。リンゴのトーストについてもそうで、一つの本を書くのにこれほどまでに見えない作業をしているのかと思うと苦しくなります。だって、今は形になってないけど、自分が形にすべきものを持ち続けて生きているということだから。

恐らく上記の『人参倶楽部』も、他の小説も、様々な方向から考えられ、練られ、書かれたのでしょう。捨てられたアイデアも、たくさんあったはずです。

ただ、自分が書くべき小説のためだけに。

今日もきっと書いているに違いありません。住まいが変わっても、季節が変わっても。

これからクリスマスも正月もない冬の生活に入っていく。同じ時刻に目覚め、小説書きに精を出し、眠る。書いては眠り、起きては書き、書いては眠る。そういう日付も曜日も定かではない毎日をとうぶんのあいだ繰り返すことになる。


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