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鼻の再々手術を受けました [美容整形の影と影]

2020/8/8(土) 鼻のプロテーゼ入れ替え、鼻尖形成を受けました。
ただいまダウンタイム真っ最中で顔面がパンパンです。すれ違う人すべて殺して自分も死にたいくらいの精神状態ですが、殺意と希死念慮を指先に込めて、今この文章を打っています。キーボードは闇色に染まっています。



1.
元はといえば、あれは昨年の秋、「美容整形をしよう」と思い立ったのがすべてのはじまりだった。

物心ついた頃には自分の顔がコンプレックスだった。幼い頃から「わたしの悪いところと、お父さんの悪いところを取りあわせたような顔だね~」と母親に言われてきた。特に「鼻が残念ね~」とよく言われていた。確かに、わたしは元々鼻筋が無かった。顔を真横から見ると、鼻根が無いせいで向こう側の目が見えてしまう。類人猿のような顔だった。鼻先が上を向いていて真ん丸な穴がくっきり見えてしまうのも、なんとも不細工だった。
ただ、親が子どもの顔面のことを指摘するのは良くない。非常に良くない。顔面は、自由に形を整えることができる粘土細工じゃない。箸の持ち方を指摘するのとは訳が違う。自分の力ではどうにもできないことを「悪い」と言われる。これは子どもの自己肯定感を削る。ある程度成長すると子どもは親から貰った言葉で、自分自身を削りはじめる。「どうせわたしは不細工だから」と、シャッシャッと削っていく。成長とともに削り節の量が増えていく。これをお好み焼きにはらはらと乗せてソースとマヨネーズを掛ける。美味しい。

母親とお好み焼きのことは置いておくとして、客観的に見てもわたしの鼻はやっぱり不細工だったと思う。逆に、鼻さえなんとかなれば見れる顔になると思っていた。目は分厚い一重だが、目の大きさや配置は悪くないと思う。若干鼻の下は長いが、間延びした印象を与えるほどではない。唇は特記事項無し。顎はエラが張っていて先端が尖り気味ではあるが、わたしは昆虫の中でもカマキリがとりわけ好きなのでそれは問題では無かった。
やっぱり鼻だ、と思った。顔を変えて人生を変えようと思った。毎朝、鏡に映る自分の顔が今よりもっと素敵な顔だったら。どれほどストレスが減るだろうと思っていた。
化粧をしたところで「わたしみたいな不細工が……」
お洒落な服を試着すれば「わたしみたいな不細工が……」
彼氏ができても「わたしみたいな不細工が……」
こんな人生をもう終わりにしたかった。容姿に対するコンプレックスを捨てるより、容姿を変えてしまうほうが手っ取り早いと思った。中身を変えるのではなく、入れ物を変えてしまおうという魂胆である。中身がバヤリースのオレンジジュースでも、入れ物がスタバのプラ容器だったら、ほら、なんか、「スタバの新作かな?」となるだろう。
わたしはスタバの新作になりたかったのだ。「やーいバヤリース~」とからかわれるのが怖かった。たとえ中身がバヤリースのままでも、すれ違う人々の目から逃れられるだけで良かった。取り敢えずわたしは「不細工」から「普通」になりたかった。ただ、それだけだったのだ。

思い立ったら早かった。わたしは美容整形についてネットで調べ、鼻筋の高さはプロテーゼを入れれば解決することを知った。L型プロテーゼ、文字通りLの形をしたプロテーゼを入れれば、鼻先まで高さを出すことができる。ただ、L型はI型に比べてリスクが高い。鼻の先端の皮膚の薄いところからプロテーゼが飛び出てきてしまう症例があるのだ。「まず日本では行わない」と書かれているサイトもあった。しかし、ある大手美容整形クリニックのホームページにL型プロテーゼの術例が載っている。ということは、リスクはあるがなんだかんだL型も可能ということなのだろうか。とにかくこの界隈は初めてなので、話を聞いてみないことには始まらない。わたしはL型プロテーゼを使った術例をホームページに載せている、ある大手美容整形クリニックにカウンセリングの予約を入れた。



2.
某大手美容外科クリニックに足を踏み入れた。「いらっしゃいませー」と出迎えてくれた受付のお姉さんたちが軒並み美人なのはどういうわけだろう、というのが第一印象だった。美容クリニックの受付の募集条件には「美人であること」と書かれているのだろうか。それとも募集条件には明記しないが、面接で美人とブスを振り分けるのだろうか。やる気があって才気溢れるブスと、椅子の上であぐらかいて面接受けるような美人だったら、後者を採用するのだろうか、この界隈は。そう思うとなんだかグロテスクだが、当時はそこまで考えていなかった。ただ、軒並み美人なのにビックリした。「15時で予約していた鰆です」と告げると、「お待ちしておりました」と美しい笑顔を向けられた。光が飛び散っている錯覚さえ起こした。
問診票を渡され、待合室のソファに腰かけて書きはじめると、ギョッとする項目が見つかった。「本日の手術を希望されますか?」と書いてあったのだ。選択肢は「希望する・希望しない・相談次第」。今日は鼻の整形について詳しい話を聞くだけのつもりだった。今日カウンセリングして今日手術って、そんなことあるのだろうか。いや、こんな大手クリニックなのだから……美容整形とはそういうものなのかもしれない……そう思ってしまった。自分の常識に自信が無く、相手の常識にすぐ染まってしまいがちなのがわたしの良くないところである。わたしは「相談次第」に○を付けた。後から知ったことだが、当日の手術を勧めてくるところは悪徳クリニックと相場が決まっているそうだ。

医師のカウンセリングを受けることになった。医師はとても美人だったが、唇がアヒルのように捲れ上がっていた。鼻の穴は「それ、呼吸をする機能ちゃんとあります?」というくらい小さかった。断定はできないが、多分、唇も鼻も整形だと思う。ちなみにこのnoteを書くにあたって、いまいましき某美容外科クリニックのホームページを開いたら、医師一覧からアヒル先生が消えていた。辞めたのかもしれない。顧客からクレームがあがって問題になり、業界から追放されていればいいなと思う。二度と人の顔にメスを入れないでほしい。
アヒル先生は人当たりはとても良かった。相談しやすい雰囲気はあったと思う。問題のL型プロテーゼに関しては、「鼻の先から飛び出てしまう可能性があるので、今は殆ど行わない」との回答だった。「じゃあなんでホームページに載せているんですか?」と聞いてみればよかっただろうか。今も某美容外科クリニックにはL型プロテーゼの術例が載っているのだが、アヒル先生にしてみれば知らぬ存ぜぬところだっただろうか。
とりあえず、プロテーゼに関してはI型が良いだろうということになった。鼻の穴が見えてしまうことに関しては「耳介軟骨移植をしましょう」という話になった。耳介軟骨移植とは、耳の軟骨の一部をとり、鼻先に埋め込む手術である。I型プロテーゼだけだと鼻筋の高さは出るが、鼻先はそのままである。鼻筋に高さが出た分、鼻先が上を向いている印象が余計に強くなってしまう可能性もある。そこで、鼻先に軟骨を入れることによって鼻先に高さを出しつつ、上を向いている印象も改善しましょうとのことだった。
L型プロテーゼで手術できるならそうしたいと思っていたから、耳介軟骨移植のことはちらっとしか知らなかったが、医師がそう言うならそうしたほうがいいんだろうと思った。プロテーゼが40万、耳介軟骨移植が35万、そこに麻酔代など諸々加わってくることになる。そしてアヒル先生が切り出した。
「今日手術していきます?」
きた、その質問。問診票にあったから身構えていたが、実際尋ねられると肩を震わせてしまった。
「いや、今日は話を聞くだけのつもりだったので……」
「まあ後日でも全然構いませんが、今日丁度空いてますから、受けていったらどうですか?本日中の手術なら10%割引しておきますよ」
「え?」
そんなスーパーの特売みたいな感じで割引されるの?と思ったが、よく考えると10%はでかい。スーパーのお惣菜の10%割引とは訳が違う。
「見積書出しておきましょうか。本日中の手術も可能ですからね」
「……はい、お願いします」
わたしは"本日中の手術なら10%割引"という文言にまんまとつられてしまった。とりあえず見積書を見るだけ、そう思いつつも、手術に向けた覚悟が少しずつ固まっていった。

アヒル先生に代わり、受付のお姉さんが料金の説明をしてくれた。見積書を見ると、色々しめて100万だった。そこにお姉さんが赤いボールペンで訂正を加えてくれる。100万の10%割引なので、90万円。
わたしには90万円の貯金は無かったので、医療ローンの説明もしてくれた。しかし当たり前のことだが、分割すればするほど手数料がかかる。わたしは極力手数料を抑えるために、まずその場で10万弱支払って残りをローンにすることにした。生活できるギリギリの額を設定した。月3万、ボーナス月は13万円余計にとられる。1年半を見据えた完済計画だった。手数料は10万円。10%割引された分がプラスマイナスゼロだが、今日手術しようがしまいが、結局手数料がかかる。
どうせわたしはこの見積書の内容で手術を受ける。一旦持ち帰って考えても、結局これ以上の手術は無いだろうと思いこんでいた。当時のわたしは「美容外科はクリニックの看板ではなく、医師の資格や専門性で選ぶ」という基本的な知識を知らなかった。これだけ大手のクリニックなら、思い通りにいかないということはあっても、「失敗」は無いだろうと決めつけてしまっていた。
わたしは、その日のうちに手術を受けることを決意した。
受付のお姉さんは「わかりました」と、例の光の飛び散る笑顔だった。手術後、鼻の組織が安定するまで一か月かかるため、眼鏡をかけることができないということを聞かされた。あちゃ、と思ったが視力0.2はあるので、かけなければ日常生活が送れないというほどではない。運転もしないし、もし支障があればコンタクトにすればいいかと考えていた。また、一週間後に抜糸となるが、抜糸が済むまではメイクも洗顔も禁止と言われた。一週間顔が洗えないのはなかなか不愉快になる予感がしたが、このくらいの我慢は必要だと自分に言い聞かせて、同意書にサインした。

メイクを落とし、程無くして手術室に案内された。こじんまりとした部屋だった。中学生の勉強部屋くらいのスペースだった。
手術台に横たわると、口に管を咥えさせられて笑気麻酔が送られた。笑気麻酔というのは、亜酸化窒素と高濃度の酸素を吸入する麻酔法で、鎮静作用と鎮痛作用がある。局所麻酔と合わせて使うことにより、麻酔針が刺さる痛みを軽減したり、手術自体に対する恐怖を和らげる効果がある。お酒を飲んだことのある方なら、酔っぱらった感じをイメージしてもらえればいい。やがて笑気麻酔が回ってきて、思考がぼんやりし始めた。
わたしに麻酔が回るのを待つ間、アヒル先生が「この間の患者さん、笑気麻酔で5時間寝てたんだよ」と言って、助手が「えーそうなんですか」と笑っていた。おい、患者を前にしてなに雑談してんだよと思った。この時点で一抹の不安が生じたが、時既に遅し。
やがて鼻と耳に局所麻酔が打たれ、手術が始まった。ちなみに、局所麻酔は普通に痛い。皮膚の薄いところに針がぐいっと入ってくる感じで、ちょっと涙が出た。あと、皮膚を切られる痛みは勿論ないが、耳の軟骨を取るときゴリゴリされる痛みがあった。アヒル先生が「耳の軟骨小さいね。もう少しとろうか」と呟いた。いやそんな「紅ショウガちょっと足りないね」みたいなノリでとれるモノなのかい、と全力でツッコミたくなったが黙っていた。ちなみに、このときの軟骨のとり方が良くなかったのか、あれから1年近く経ってもまだ耳に若干の痛みが残っている。つくづく恨めしい。
そして鼻にプロテーゼと耳介軟骨が移植された。プロテーゼを入れるときに鼻をゴリゴリされるのもなかなか痛かった。助手が何をしたのかしらんが、アヒル先生が「左じゃないよ、右だよ」と指摘して、「あ、はい」と何かゴソゴソしていた。おい、大丈夫かよと凄く不安になった。
手術自体は1時間くらいだったと記憶している。「はい、終わりましたよー」と告げられ、笑気麻酔の管を抜かれた。笑気麻酔はお酒のような作用があるが、お酒とは違って抜けるのが一瞬である。ぼんやりしていた思考はものの数分でスッキリした。手鏡を渡され、自分の鼻を確認する。確かに高さは出た。でも、鼻の穴の印象は何にも変わらないな、と思って小鼻を触っていたら、アヒル先生に「鼻の穴は何にもいじってないですからねー」と言われた。その後、テープで鼻を固定された。
アヒル先生が手術室を去ったあと、助手から薬の説明を受け、その場で夕の薬を飲んだ。抗生物質と痛み止め。最後に「細胞の修復を早めるサプリです」といって2粒のカプセルが手の平に乗せられた。サプリ?と思ったがとりあえず飲み干した。家に帰ってから(これ、あれか、見積書のこれか……!)と愕然とした。1万5000円とられていた。どう考えてもただのサプリである。サプリという表記もなく、何の説明もなく、当然のように見積書に組み込まれていたから、術後に必要な薬かなんかだと思ってスルーしてしまっていた。
取りあえず夕の薬を飲み終えて、はたと気づいた。耳に傷がある。ということは。
「あの、洗髪って……」
「ええ、4日間禁止です」
当たり前のように告げられたもんだから、愕然とした。そんなの事前に説明してくれなかったじゃないか。
「それ、事前に聞いて無かったんですけど……」
「あーでも、気になるようでしたらドライシャンプーとか薬局に売ってますから、そういうので対処してみてください」
と笑顔で言われた。何の邪気もないその笑顔に、悔しくて涙が零れそうになったが「わかりました。ありがとうございます」と鼻水を飲み込んだ。
帰り際、手術について説明をしてくれた受付のお姉さんに「4日間洗髪禁止って聞いて無かったんですよねー」とヘラッと告げたら、「大変申し訳ありませんでした」と眉根を下げて謝ってくれた。それで溜飲は下がったが、わたしは4日間洗髪が出来ないことがショックだったんじゃない。手術中の雑談で不安になり、「左じゃないよ、右だよ」で更に不安になり、そこに追い打ちをかけたのが「洗髪禁止」だったのだ。このクリニックを信用していいのか、事後に不安になってからじゃ遅かったのに。
こうして人生初の整形手術が終わった。



3.
美容整形には「ダウンタイム」というものが存在する。術後の腫れ、むくみ、アザなどが出る期間だ。特にプロテーゼは、鼻に異物を入れるわけだからダウンタイムも強く出る。次の日の朝起きると、目が開かなくなっていた。顔全体が腫れていて、顔の形にしようとして失敗したパンのような見た目になっていた。

その状態は数日続いた。瞼に赤い内出血が出来て、クマのあたりに黄色いアザができた。有休はとっていないから、マスクをつけて普通に出勤した。皆に心配された。事情を隠しておいて、後で「なんかあの人顔変わったよね。整形かな?」って陰で言われるのが嫌だから、女性職員には躊躇いなく整形を打ち明けた。ある職員から「そういうの、黙っておいたほうがいいよ」と言われた。そうかな?と思った。ピンとこなかった。

一週間後、抜糸となった。アヒル先生の都合がつかないということで、手術を受けた院とは違う院まで足を運ぶことになった。手術台に横たわった後、てっきりアヒル先生が抜糸するのかと思ってたら、助手が糸を抜きはじめた。糸が引っ張られて痛かった。糸を抜き終わった後、アヒル先生が登場して抜糸の確認をした。医師がしげしげとわたしの鼻の穴の中を覗きながら「カルテがまだ届いてないんだよね、何針だったっけ?」と呟いたので、心の中で「えーーーーーーーーーーー!」と2020年恐らく最初で最後になるだろう最大出力の声を上げた。「恐らく糸は全て取れたでしょう」ということでわたしは帰された。鼻の中で糸がチクチクするのが気になっていたからスッキリしたが、「まだ一針くらい残ってんじゃないのか」という不安に暫く苛まれた。

問題はその後だった。腫れが引いてくるにつれて違和感がでてきた。まず、鼻の先が丸い。元の鼻に比べて明らかに丸い。鼻の先だけペチョッと潰したような見た目だった。手術直後はもっと尖った印象だったのに、鼻の中で耳介軟骨が歪んだのか?とにかく、元の鼻のほうが明らかにマシだと思うくらいに酷かった。
更に腫れが引いてくると、プロテーゼが曲がっているのがわかった。気のせいとかいうレベルではない。100人中100人が「曲がっている」と回答するレベルで曲がっていた。
わたしは、不安のあまりクリニックに電話をかけた。鼻先が丸いこと、プロテーゼが曲がっていることを告げたら、「とにかく一度ご来院いただいて状態を見せていただかないことには……」という話になったが、それどころじゃなかった。ご来院いただくまでにわたしの情緒が崩壊しそうだった。
これは俗に言う「整形失敗」?
こんな大手クリニックで「整形失敗」?
100万円をかけたのに「整形失敗」?
わたしは予約を入れた土曜日になるまで、毎日ネットで「鼻 プロテーゼ 曲がり」「耳介軟骨移植 変形」などと検索をかけまくり、毎日のようにクリニックに電話をかけた。プロテーゼは骨膜という膜の下に入れて固定するため、普通はぐらつくことはないが、わたしのプロテーゼはつまめば易々と左右に動いた。まず、プロテーゼはちゃんと骨膜の下に入っているのか医師に確認してくれと受付に申し付けた。回答は「骨膜の上に入っている」というものだった。「Why?」と思わずネイティブな英語が出てしまったが、受付のお姉さん曰く「骨膜の上に入れるメリットを考えてのことでしょうから、とりあえずご来院いただいて医師に直接話を聞いてみてください」とのことだった。骨膜の上に入れるメリット?触ればぐらつくWonderfulなNoseが手に入ることかい?HA-HA-HA!と言ってやりたかった。
きっと駄目だろうと思いつつ「医師の診察を受けてみて、誰の目にも明らかな失敗でも、返金ってされないんですよね?」と聞いてみたら、案の定「原則返金はできません」とのことだった。その日から毎日ネットで「美容整形 裁判」と検索をかけまくった。美容整形は一般の医療ミスに比べて裁判が難しいことがわかった。外貌醜状(外見が醜くなった状態)と認められるにはかなり大きなキズやアザが必要になる。また、仮に勝訴したとしても賠償額が少なく、弁護費用などを払っていると赤字になってしまうというケースが多い。呆然とした。毎朝鏡を見ては、ぶつけどころの無い怒りが心の中で暴れるので苦しんだ。

そして土曜日、アヒル先生の診察を受けた。「確かに曲がってますね」と、曲がってること自体を否認しなかっただけ、アヒル先生には人間としての尊厳が残っていて良かったと思った。
「どうして骨膜の上に入れたんですか?」と聞いてみたら、「いえ、骨膜の下に入っています」と言われた。
「いや、こないだ受付の人が電話で、上って……それに、こんなにぐらつくし」
「いえ、下には入っています。これは、ぐらついていないほうです」
というのがアヒル先生の言い分だった。上下のことは受付のお姉さんの勘違いだったとしても、これが「ぐらついていないほう」とはとても信じられなかった。
「再手術になりますね」
「あの、料金ってまさか……」
「明らかな曲がりなので、勿論無料でさせていだきます。麻酔代などは別途かかりますが……」
アヒル先生の言葉を聞いて、椅子から崩れ落ちそうになった。その日までに溜め込んでいた行き場の無い怒りたちが、ようやく暴れるのをやめて、お茶を汲みはじめた。良かった。無料で直してもらえる。
今度は「オープン法でやりましょう」ということになった。鼻にプロテーゼを挿入する際には、クローズ法とオープン法の2種類がある。クローズ法は、左右どちらかの鼻の穴の中を切開して挿入する方法だ。外から傷が見えないのはメリットだが、しっかり骨膜の下にプロテーゼを入れるのが難しく、また、挿入の際に左右どちらかに傾く可能性が高い。オープン法は、鼻の穴の間にある鼻中隔を切開して、左右の鼻の穴の上側を切開する。鼻の皮がべろーんと捲れる状態にして挿入する方法だ。鼻中隔に傷は残るが、骨膜の下にしっかり入れることができるので、曲がるリスクが少ない。わたしは、もう二度と曲がるのは嫌だったので「オープン法でお願いします」と決意を固めた。
なんでも当日が好きな某大手美容クリニックは、やはりその日中に再手術をすることになった。再手術に当たって、わたしは一つお願いをした。
「プロテーゼを挿入して、皮膚を縫い合わせる前に鏡を見せてください」
「大丈夫ですか?血とか結構出ちゃってると思いますけど」
「構いません」
「わかりました……」
そして再手術を受けた。縫合前に鏡を見せてもらうと、しっかり真っ直ぐ入っているのがわかった。「大丈夫ですね、曲がってませんね」と念押ししてくるアヒル先生に少しイラッとしたが、「はい、大丈夫です」と言って、縫合してもらった。

再手術後、一週間たってギプスを除去し、抜糸することになった。アヒル先生がどうしても都合がつかないということで、別の先生が診てくれることになった。案の定、ギプス除去と抜糸は助手が行い、終わったところで医師が診に来た。
「うん、大丈夫じゃないですか」
この先生の登場時間は約30秒、セリフはこの一言のみである。以降このnoteには一切出てこない。覚えときな。

今度こそ上手くいったと思った。ギプス除去と抜糸を終えた後、軽やかな気持で近くのデパートをブラブラしていた。ところが30分程して、尿意を催してデパートのトイレに入ると、鏡に映る自分の鼻が曲がっていることに気づいた。ガッカリ、怒り、諦め、悲しみ、虚しさ、すべてを通り越して悟りの極地だった。
わたしはその日から、寝る前に自分で絆創膏を使って曲がった方向とは逆に皮膚を引っ張るようにした。すると翌朝、絆創膏を剥がして30分程度は真っ直ぐな状態になる。これを続ければ、だんだん真っ直ぐになりはしないかと淡い期待を抱いていた。ところが、絆創膏の魔法は必ず30分で解けた。そのうち諦めがついて絆創膏を貼らなくなった。

定期診察の日になって「また曲がってしまいました」と顔を見せると、アヒル先生は首を捻った。「オープン法でしっかり骨膜の下に入れたんですけどねー、ほら、この通り動かないし」と言ってわたしの鼻を触った。先生、前回同様に結構ぐらぐらしますよとは言えなかった。言うだけ無駄かなと思った。
「こちらとしては再手術しかできかねますね」とアヒル先生は言った。再手術するなら、今度こそ曲がらない保証がほしい。わたしは、なぜ手術直後は真っ直ぐだったのに、ギプスを除去したら曲がってしまったのか問い詰めたが、アヒル先生の答えは不明瞭だった。考えられることとしては、前の手術で曲がって入ってしまったことで、今回もそっちに流れてしまったのか、あるいは元々の骨格が曲がっているのかもしれないとのことだった。元々の骨格が曲がっているかどうかを知る術はないのか尋ねたが、レントゲンを撮ったところで、骨格の曲がりまではわからないとの回答だった。
するとアヒル先生から驚きの提案が出た。
「今度は術後一か月間、糸で外から縫い止めてみましょうか」
「外から?」と思わず裏返った声で聞き返すと、「ええ、眉間のあたりのプロテーゼと、眉の辺りを糸で結ぶんです。外から糸が見えちゃうのが難点ですけど」と事もなげに言った。
「それで、曲がらない保証はあるんですか」
「いえ、やってみないことにはわかりませんね」
アヒル先生は、その捲れ上がった唇をツンと尖らせて言うのだった。

アヒル先生の定期診察をその後、2、3回ほど受けたが、言うことは毎回同じだった。この人は、人の顔を粘土細工だと思っているんだと思った。2回も失敗したのに、自分の腕をまるで疑わない開き直った態度には、ある種尊敬の念さえ覚えた。確かに元の骨格が曲がっていると、どうしてもプロテーゼが曲がってしまうことはある。それは確かに難しいケースのようだ。ただ、アヒル先生の何に腹が立つって、「原因がわからない。でも、まあとりあえず再手術してみようか」という態度を首尾一貫しているところだった。
2回も顔を預けて、それでも失敗されて、またお試しで再手術されるなんてたまったもんじゃない。
わたしは定期診察に行くのをやめた。クリニックから電話はかかってこなかった。こうしてわたしとクリニックの関係は自然消滅した。お金だけは毎月平然と掠めとられているのだが。お金に関しては、仕方ない、高い勉強代だった、と思って割り切ることにしている。



4.
暫くは「手術はもうコリゴリだ」という気持ちから、自分の鼻のことをあまり気にしていなかったのだが、数か月経つと鼻の曲がりがまた気になりだした。思いだしては怒りが湧いてくる。でも、もうアヒル先生に顔を任せる気になどならない。別の院で再手術を受けようと決意した。
今度は徹底的に調べた。美容外科クリニックは看板で選んではいけない、医師の資格や専門性で決めなければならないという基本的なことを知った。また、美容外科専門医ではなく形成外科専門医の資格を持っている医師は信頼できるということを知った。要は、美容外科の畑ではなく、形成外科の畑で育った医師は、医療としての確かな技術を持っているという話である。改めてアヒル先生の経歴を調べてみたら、案の定美容外科専門医しか持っていないことを知った。大手クリニックでも、形成外科専門医の資格を持っているのは院長くらいだった。そこで、クリニックではなく医師を調べられるサイトで、「形成外科専門医 美容外科」で検索を掛けた。そこでヒットした医師が形成外科専門医で、経歴も確かな人物だった。子どもの先天性奇形の治療をしていたこともあり、鼻の整形や骨格形成術を得意としているとのことだった。彼が務めているクリニックを調べてみたところ、美容外科の執刀を担当する医師は全員、形成外科専門医の資格を持っていた。持っていないのは美容皮膚科を担当する医師だけだった。
ここなら信頼できるかもしれない。わたしはクリニックに予約を取りつけた。

クリニックはホテルのように綺麗で、受付の対応がビックリするほど丁寧だった。よほど「よっ、接客のプロ」と呼びたくなった。2回失敗された某大手美容外科クリニックと比較してビックリした。向こうは、歳下だからってタメ口で話しかけてきたし、電話を掛ければ電話の向こうでけたたましい笑い声が聞こえたりすることもあったが、このクリニックではそういうことが一切無かった。ちなみに美容外科に限らないが、クリニックを選ぶ基準として、「受付の対応が丁寧かどうか」も意外と大事である。医師がロクでもないと受付もロクでもない。逆もまた然りである。
髭や毛髪が銀色で綺麗だったから、銀先生とでも呼ぶことにしよう。わたしは銀先生の診察を受けた。どっしり構えていて落ち着きがあり、それでいて傲慢さは感じられない、誠実な雰囲気があった。
「プロテーゼがかなりぐらつきますね。普通は骨膜の下にしっかり固定するので、こんなに動くことはありません。これは医師の腕が良くない」
と銀先生はバッサリ言ってのけた。やっぱりしっかり固定されてなかったんだ、とわたしは自分の感覚が間違っていなかったことに酷く安心した。どうして手術直後は真っ直ぐだったのにギプスを除去したら曲がってしまったのか、というところについては、明確な回答は得られなかった。固定が甘いというのが一番の原因だと思うが、元々の骨格が曲がっている可能性も十分に考えられる。それは手術してみないことにはわからないという回答だった。肩を落としたわたしだったが「プロテーゼの中間あたりを、糸で縫い止めてみましょうか」と提案された。勿論皮膚の中で、の話である。それなら、曲がらない可能性もあがるのではないか。希望の光が見えた気がした。
わたしは銀先生に徹底的に質問した。2回も失敗されているのだから、慎重になるのも当然である。また失敗して、再手術となった場合の費用についても聞いた。手術する前から「失敗したら」という前提を聞かされる銀先生もたまったもんじゃなかったと思うが、全く不満に思う様子も無く丁寧に回答してくれた。無料ということは無いが、少なくとも30万円以上かかることは無い。こちらの不手際とあらば真摯に対応するという話を聞いて、ようやく銀先生に顔を任せる決心がついた。

鼻の穴が目立つ印象について、耳介軟骨移植じゃ改善されなかったので、わたしは鼻中隔延長手術を検討していた。鼻中隔と呼ばれる部分をなんやかんやして説明は省くが、鼻の先の向きを変えられる手術である。ただ、銀先生の見立てとしては、鼻翼が左右に大きく出ていることが鼻の穴を大きく見せている要因なので、鼻翼縮小も行ったほうがいいということだった。プロテーゼの入れ替え、鼻中隔延長、鼻翼縮小、しめて230万円。凄い額だった。ただ、このクリニックは決して「どう?ついでに今日、手術していかない?」とは言わなかった。次回、検査と2回目のカウンセリングを行うことになった。

お金を工面しなければならなかった。でも、既にローンで毎月3万円とられている。これ以上のローンは組めない。
「親に借りる」という選択肢が頭に浮かんだ。それは、親に対して色々思うところがあるわたしにとっては、屈辱的な選択だったし、申し訳ないという感情も勿論大きかった。それでも「鼻が曲がっている」という状態が、毎日死にたくなるほどのストレスだったので、わたしは母に電話をかけた。
結論から言うと、母は反対しなかった。母自身も何度か整形をしてきたということもあり、整形したい気持ちは受け入れてもらえた。しかし、プロテーゼを直すついでに他の手術もやりたいということについては、「親の金を借りてまでやることだろうか。そんなに焦って決めることじゃない」という回答だった。わたしは泣きながら「でも、プロテーゼの修正は絶対にするから」と告げると、「うん、わかった。慎重に決めてね」と言われた。

そして次のカウンセリングで、わたしは考えに考えて「鼻中隔延長と鼻翼縮小をやめる」ということを医師に告げた。失敗したものを直す、マイナスをゼロにする手術はやはり親の金を借りてでも今すぐにやりたいが、その他の余計な手術は自分のお金で受ける。母が感情的にならず正論で窘めてくれたお蔭で、冷静な判断を取り戻すことができた。
そして、手術の内容はプロテーゼの修正と鼻尖形成に決まった。鼻尖形成とは、鼻の先の形を整える手術である。耳介軟骨を移植する。某大手クリニックは「移植するだけ」だったが、このクリニックでは、鼻の穴を繋ぐ骨を少し切り取って縫い合わせた上で耳介軟骨を埋め込むという話だった。多少鼻の穴が真ん丸な形をしているのも改善されるということだった。鼻中隔延長と鼻翼縮小をやめて最低限の手術にして、それでも130万だった。
母に電話で事の経緯を説明すると、「130万円振り込んどくね」と事もなげに言われた。申し訳なさでわたしはその場で死んでしまいたくなった。
「返すの、時間かかるかもしれない」
「わかったよ。ゆっくりでいいから」
電話を切った後、わたしはひとしきり泣いた。



5.
そして、先日手術を受けた。局所麻酔と笑気麻酔でも可能っちゃ可能だが、より確実な手術を行うために全身麻酔で手術することになった。
生まれてはじめての全身麻酔、とても不安だった。同意書には、稀にアナフィラキシーショック、意識障害などを引き起こすこともあり、緊急の際は救命措置をとらせていただくという旨が書かれていた。超ビビった。
前日の夜からナーバスで、仕事が終わってから3時間近所を歩き回った。動いていないと、何かよからぬ感情に突き動かされてしまいそうだった。

手術当日、銀先生の最終カウンセリングと麻酔担当医からの説明を受けた。そして手術室へ案内された。ドラマで見るような、いかにもな手術室だった。
手術台の上に仰向けになると、まず左足の指先を何かで挟まれた。その後、手の甲の小指側の静脈から点滴を流し込まれた。そしていよいよ麻酔が注入された。点滴と一緒に流し込まれたのだと思うが、手の甲が熱く焼けるような痛みに襲われて顔を顰めた。
「我慢してくださいねー、すぐに眠くなりますから」
麻酔医の言葉を聞いた次の瞬間から、わたしは6時間の眠りについた。



6.
何か夢を見ていた気がする。起きた瞬間、苦しみのあまり右手を振り上げた。すぐに喉の管を取られ、わたしはガタゴトと病室に運ばれた。「せーの」と医師たちが声を掛けあうと身体が持ち上がり、病室のベッドに移された。
「大丈夫ですか、気持ち悪さなどありませんか」と尋ねられて、「大丈夫です」と答えようと思ったのだが、声が出ない。息遣いで「声が出ないです」と伝えると、「声枯れだね。じきに収まってくると思います」と言われた。喉に管を差しこむので声枯れが起こる可能性があるとは聞いていたが、全く声が出なくなるとは想定外だった。

「大丈夫そうなので、一時間後くらいに水を少し飲んでみましょう」という話になった。一時間このままかよ、とわたしは絶望した。ドライヤーをかけている時間すら耐えられないほど、「生産的な活動を何もしない」ことが耐えられないわたしである。息遣いで看護師に「あと、どれくらい寝てればいいんですか」と尋ねると、察しがいいこの看護師は「ああ、携帯でも見ますか?」とわたしの荷物から携帯を取り出して手渡してくれた。
看護師から改めて、「一時間後に水を飲んでみましょう。それで大丈夫そうだったら、そのまま食事を摂っていただいて、それから点滴と尿の管を抜きますね」と説明があった。説明を受けてはじめて気づいたが、尿道カテーテルが刺さっていた。6時間に及ぶ手術の間、尿を排出しなくてはいけないのだから、医療関係者からすれば当たり前のことなのだろうが、事前の説明が無かったのでギョッとした。膀胱に管が刺さっているなんて怖かった。

そして一時間後に水分補給をし、更に一時間後、食事を摂った。約2時間安静状態を耐えることが出来たのは、最近ハマっているラーメンズのコントのお蔭であった。
おかゆ、スープ、ハムサラダ、ハンバーグ、揚げだし豆腐、絹豆腐、煮物、ゼリー、ジュース。和洋折衷なメニューで患者の好き嫌いに配慮していることは一目瞭然だったが、鼻にはチューブ、手の甲には点滴、膀胱には尿導カテーテルが刺さった状態で食う飯は美味いはずが無かった。ベッドから起き上がって座位になるときに、尿導カテーテルが変なところに刺さらないかめちゃくちゃ怖かった。膀胱の心配をしながら飲むスープは奇妙な味だった。

そして食事終了後、点滴と尿道カテーテルを引き抜かれた。看護師は「ちょっと気持ち悪い感じしますよー」と言いながらカテーテルに手をかけたが、尿道から管が出ていくというのは想像以上の気持ち悪さだった。ちょっと痛かった。
入院にあたっての説明を一通り受けた。そして看護師が退室した後、わたしはスリッパを履いた。足に力を込める。立つってこんな感じ?と思いながら膝を伸ばすと、前につんのめりそうになって焦った。我々人間は、寝て起きた後、よほど寝ぼけていない限り普通に歩きだすことが出来ると思うが、麻酔から覚めたあとの最初の一歩は酷く覚束なかった。何故だろう。不思議である。
尿意はそれほど無かったが、「トイレに行く」という目的を果たしたかった。自分の力で何かを成し遂げたかった。よろよろしながらトイレに行き、ちょびっと排尿した。生理も丁度来ていたので、膣内に溜まっていた血が塊になって出てきた。ちょっと気分が良かった。
そして、トイレの鏡で自分の顔を見た。眉間までぎっちりテープで固定されている。耳には綿が詰まっている。鼻にはチューブが刺さっていて、断面から血が垂れている。あまりのグロテスクさに笑ってしまった。自分の姿に笑えるのだから、大丈夫、わたしはまだまだ生きられる。そう思えた。

6時間も麻酔で眠っていたのだから、そう易々と眠れるはずもなく、0時頃にいつもの入眠剤を飲んだが、それから1時間、2時間が経過してしまった。寝るのを諦めて病室の椅子に座り、ノートに自分の思考を書き綴っていた。
第一に(自分の体を好き勝手いじられるのは、とっても気分が悪い)と思って、それを書き留めた。わたしは今、障害者支援の仕事をしているが、利用者の排泄介助をすることもある。他人に好き勝手お尻を拭われるのはどんな気持ちだろう、と今更考えた。尿道カテーテルを引き抜かれた瞬間を思い出すと、全く無神経にお尻を拭っていた自分は、支援員失格であると思った。「お尻拭きますよー」と最低限の声掛けはしていたが、そんなんじゃ足りないことに気付いた。
そういえば、麻酔を打たれる瞬間「我慢してくださいねー、すぐに眠くなりますから」としか言われなかった。例えば「今、左手の甲に点滴の針が刺さっていますが、ここに麻酔を注入します。少し痛みが伴いますが、すぐに眠くなりますので安心してください」と、このくらいの詳しい説明があったら、わたしは安心して6時間の眠りにつけただろう。今度から排泄介助に限らず、利用者の身体に触れる時は最新の注意を払い、利用者の不安感や嫌悪感に配慮しなければならないと固く決意した。勿論、重度の知的障害の方ばかりなので言語で説明するには限界がある。それぞれの利用者に適した方法で配慮しなければならない。ああ、支援員としての心構えが変わった。鼻の再々手術を受けるのも悪くない経験である。

そして、6時間分の思考を取り戻すように、A4のノート一面に思考を書き殴った。オリジナルのTシャツの案も出来た。胸元に「わたしは昨夜○時に入眠しました」とプリントしてあるのだ。21時~3時までバリエーション展開できる。いや、誰が買うか。
書くことも尽きてわたしはベッドに横になった。眠くはないが、目を閉じて呼吸をしていた。そのうち薄っすら眠りについたが、看護師の巡回に気付くくらい、とても浅い眠りだった。明け方になっていよいよ眠りが深くなってきたと思ったら、ノックの音で起こされた。いつの間にか朝食の時間だった。パンがメインの洋食メニューだった。普段あまりパンは好まないが、お腹が空いていたのですべて平らげた。食べ終わって食器を下げてもらった後、うとうと眠っていた。
10時頃、看護師が入ってきた。「昨夜はよく眠れましたか」と聞かれて、「あんまり眠れなくて……それで今眠いです」と寝ぼけた思考で正直に答えた。今後の通院に関して説明を受けた。3日後に消毒、5日後にギプス除去、7日後に抜糸となる。3日後にサービスで洗髪してくれるというのがありがたかった。

そして退院し、家でこのnoteを書き殴っている。
今、わたしが美容整形に対して思うこと。ありすぎてまだ纏められないが、これから整形をしようと思っている人たちへ、とりあえずこのメッセージを送りたい。
慎重になれ。当日の手術を勧めてくる院は問題外だ。
100万円の高ーい勉強代を払う可能性も含めた上で決断しろ。
失敗した時に取り返しがつかない手術はするな。(わたしの場合、取り返しがつく手術だったからまだ良かったのだ)
そして、お前はスタバの新作じゃない。バヤリースなんだ。
バヤリースのままで愛してくれる人はたくさんいる。

最初の手術を受けてから、今の彼氏に出会って、わたしは自分の中身を少しずつ曝け出せるようになった。友達にも本心を打ち明けられるようになり、友達を心の底から「友達」と思えるようになった。整形に失敗したことも、ある友達に話した。冷静な判断ができなかった自分の馬鹿さを嘆いていたら、「当時のうみこちゃんにとって、それが最善の判断だったんだと思う。失敗して初めてわかることもたくさんある。わたしがうみこちゃんの立場でも、やっぱり手術を受けたと思うんだ。だからうみこちゃんは馬鹿じゃないし、後悔しなくていいよ」と言ってくれた。
バヤリースのままで愛してくれる人はたくさんいる。それを踏まえた上で、容器だけでもスタバの新作になりたいなら、それでもいいと思う。

でも「整形しなきゃ愛されない」なんていうのは幻だよ。
どうあがいても、あなたは最終的に愛されるのだから。

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