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『うみかじ』1号について

「私は個人的に、うみさんの辺野古滞在中の日記を読んでみたい」というLINEをもらったのは、2022年10月27日。このメッセージがなかったら『うみかじ』という名のZINEは世に出されていなかった。もともと秘めていた一遍の詩と、すでに配布したビラ、それから寄稿や論考を作り、日記をまとめ、バタバタと編集した。時間をかけて磨き抜かれたものをつくるというよりも、言葉がすべり落ちてしまわないような空間を紙面でつくる必要を感じていた。現状をなんとかしないといけないという気持ちが先行した結果、製作期間は1週間になった。敬愛しながらも畏敬している沖縄の二つの雑誌、「けーし風」と「越境広場」が両方4文字のタイトルであることも意識して「うみかじ」という名前をつけた。


詩 うみべ⑴の初期草稿


2022年11月3日発行
・詩 うみべ⑴
・ビラ 「ここにすわりこもうとおもう。」
・うみの辺野古日記。 20220928-20221031
・寄稿コーナー テントの下で。
・論考 「安保三文書改定への走り書き」


最初モノクロ印刷された『うみかじ』1号


11月3日の刊行日、かねひで(沖縄にあるスーパー)で印刷できたのはたったの20冊。翌日、名護市役所にある輪転機で500冊モノクロ印刷。両手に紙の束を抱えて辺野古までバスで帰り、近くにいたひとたちが製本を手伝ってくれたのを覚えている。必死に製本したにもかかわらず、翌々日のうちには手元に残ったのは30冊。閲覧用としてデータを友人に渡した途端、勝手にデータを流布されそうになったため、自分たちで管理して印刷しないといけないな、ということになった。印刷会社にカラー印刷を頼むことになり、増刷を2度行い、1号は合計5000冊になった。


手縫された『うみかじ』



ただ折り畳まれていただけのモノクロ版を糸で縫ってくれたこと。どこの骨かもしれないZINEを置いてくださった各地の書店・カフェ。発送や各種の連絡などはじめてのことを手探りに行いながら、まばゆいばかりのやさしさに支えられていた。


読谷村、チビチリガマ周辺の植生


10月5日の日記の中に「わたしの内なる植民地主義とはなにか」(8頁)という一文がある。植民地主義という言葉をためらいながら用いたのを覚えている。日々のひとびととの熱を持った関わりのなかでは、その用語ひとつでは取りこぼすものもおおいから。だがどのように表現が変容しようとも、現在までの『うみかじ』を織るための主な糸として、切ることができないものだとおもっている。


印象深い参考文献
・新城郁夫さんの著作、『沖縄の傷という回路』『沖縄に連なる』など
・大野光明『沖縄闘争の時代1960/70』
・アミダヴ・ゴーシュ「大いなる引き抜き the great uprooting」
・G・C・スピヴァク『スピヴァク、日本で語る』
・2022年の関西クィア映画祭が出したZINE『性別二元論に抗う私たち』

辺野古松田ヌ浜から望む夕暮れ。


つづく

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