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「パレスチナ・ガザは今」 岡真理さん講演会@沖縄 レポート

岡真理さんを沖縄に招いての講演会「パレスチナ・ガザは今」が1210日、沖縄県立博物館・美術館にて開催された。この投稿はその講演の概略と感想を私的にまとめたものです。講演の流れに合わせて所々言葉を補っていることにご留意願います。


🍉講演内容。


 もしも、占領がなかったならば、

 海はほんとうの海になり、
 空はほんとうの空になる。
 そして、生きるということは、ほんとうに生きるということになる。
 
 イブラーヒーム・ナスラッラー『アーミナの婚礼』


現在、日本の主流メディアにおけるパレスチナ・ガザの報道において、報道を見れば見るほど間違った認識が植え付けられる状態になっている。「複雑だ」と何も説明をしない説明、「イスラム原理主義組織ハマース」といった曖昧かつ現実を歪曲する表現によって、今起きていることが見えないようにされている
(Covering Islam)。歴史的な文脈について理解しなければならない。


19世紀末、近代ヨーロッパ社会における反ユダヤ主義を受けて、シオニズム運動が起こった。(ヨーロッパの)ユダヤ人国家を建設しようという運動であり、ナチス・ドイツによるホロコースト以前から続いているものである。1948年、パレスチナの地にてユダヤ国家(イスラエル)の建国が宣言された。パレスチナに住むアラブ人の土地が略奪され、生命が奪われ(民族浄化)、パレスチナ人の多くは難民とならざるを得なかった。ガザ地区それ自体もが大きな難民キャンプとなった。パレスチナではこの悲劇をナクバNakba(大いなる災厄)と呼ばれている。国連のパレスチナ分割決議案など、国際社会の承認によって災厄が助長されたことは踏まえなければならない。


1967年以降、ガザは軍事的に封鎖され、西岸が占領された。それによってガザの人々の地場産業は破壊され、恒常的な貧困状態がうまれた。本来であれば、難民として自分たちの土地に帰還したいが、実際にはイスラエルに出稼ぎをせざるを得ず、レイシズムを受けながらも労働力が搾取された。ガザの労働者たちが疲れ果てて帰ってきた時に、イスラエルの軍用車両が突っ込んで、パレスチナ人が死亡した。パレスチナの人々は抵抗運動を開始する。いわゆる1987年の第一次インティファーダである。フル装備のイスラエルの戦車に、子供たちが石を投げる。だが、イスラエルは石を投げることさえもテロとみなし、テロリストは即射殺してよいこととした。イスラエルによる軍事占領に声を上げることすら、殺戮の対象となった。


2007年には、ガザ地区が完全封鎖された。人種隔離、アパルトヘイトである。イスラエルの封鎖によって、人道危機状態はずっと人為的に作られている。だが、封鎖の暴力性を伝えるのは難しい。ジェノサイドは写真一枚でわかるが、封鎖による暴力はいろんな要素が絡まり合うことによって、致命的にパレスチナ人の命を蝕み続けている。具体例として挙げられたものだけでも、オレンジやオリーブなどの出荷に関する経済的な収奪、イスラエル経済の底流を支える労働力搾取、水産業の弾圧、水質汚染、失業率47%、約六割の人口における食糧難など、あらゆる生活インフラにおける破壊がある。だが何より、封鎖をし、壁の中に閉じ込めることによって大量殺戮が可能になっていることは言うまでもない。


今年の
10月7日以降、パレスチナ人の大虐殺、ジェノサイドが続いており、1210日現在判明している数だけでも、死者は17487人、そのうち子供は7729人、負傷者は46480人となっている。 瓦礫の下に眠る身体や、集中的な病院の破壊など、実情は計り知れない。だがすでに、核兵器を超える被害が起きている。75年前の今日に採択された世界人権宣言で規定された帰還権(すべての人は、自国そのほかいずれの国をも立ち去り、および自国に帰る権利)は、パレスチナ人には適用されていない。パレスチナの人びとの闘いは、なんとか人間の側に留まり続けようとする闘い(Stay human)であり、現在においては実存的な闘いになっているのではないか。


これらのパレスチナの置かれてきた歴史と現在のジェノサイドを引き起こしている責任は、国際社会にも大きく問われなければならない。国際社会と語る時、それはイスラエルによるジェノサイドを全面的に肯定し支援すらし続けている、いわゆるグローバル・ノースと言われる「西側」の民主主義国家のことを指している。いまや、近代社会というものが積み重ねてきた普遍的人権といったものが、全く意味をなさない世界になっている。その通底にはやはりレイシズムや植民地主義が克服されていないことがあるだろう。「国際社会は、ヨーロッパ・キリスト教社会における歴史的ユダヤ人差別と近代の反ユダヤ主義、ホロコーストを、パレスチナ人を犠牲にすることで贖った」現在起きているジェノサイドは国際社会が注視している中で、起きている。だがこれは今にはじまったことではない。


講演の最後、質疑応答を交えながら、「沖縄とパレスチナについては、歴史的な文脈で重なる部分がある。土地を奪われ、帰還を求めるものの声が否定され続けていること。日本や沖縄において闘うことが、同じ闘いをしている人をエンパワーすること、パレスチナと連帯することになる。わたしたちがわたしたちの社会で植民地主義社会の源に闘っていき、勝利をおさめることも重要。」と話し幕を閉じた。



🍉うみの感想。

全体の印象として、19世紀のシオニズム運動以降について、丁寧かつわかりやすく、パレスチナの置かれ続けた歴史的な文脈が共有された。イスラエルとパレスチナの二者間の歴史的文脈をほどくだけでは不十分だろう。「ただ儲かればいい」「自分たちが安全であればいい」というだけでジェノサイドを放置し、稼働させ続けているのは国際社会である。わたし/たちがたどり続けてきている歴史的文脈をこそ、わたし/たちの足元から問い直さなければならない。わたしはなんとか人間の側に留まり続けられているのだろうか。


また、パレスチナへの植民地主義の文脈と、沖縄への植民地主義の文脈は、確かに理論的にも身体的にも、重なりあう部分はあるだろう。だが日本から沖縄への植民地主義、いまのいままで継続する植民地主義について、安易に重ね合わせるだけではいられない。それこそ、沖縄の現状やそれを作り出している構造を覆い隠してしまったり(Covering okinawa)、人種差別や構造的差別をおこなっている主体への問いかけそのものを形骸化しないかと、安易な重ね合わせには軽率さや危うさも感じている。どうだろうか。


とはいえ、パレスチナと沖縄のそれぞれ異なる文脈において、行き来を試み、ほどきなおすということは、手放さずにいたいとおもう。この2ヶ月、土地が奪われることや、日常が蝕まれつづけられていること、その時間的な重みや痛み、沖縄戦の凄惨さなど、パレスチナの歴史や現状だけでなく、沖縄の歴史と現在について、より重く深く感じている。なにより、ほどきなおすこと。重ね合わせ以前の話だ。


最後に、いま、なんのために歴史を知るのかということをあくまで踏まえておきたい。残虐に殺される幼い子供たち、銃撃音や破壊音の響き続けている日常、固まった血液や砂塵に塗れた遺体、人々の悲嘆が充満する空気
...。構造を理論的に辿りなおすためではなく、奈落のような状況、いままさに歴史すらも土地や生命と共に抹消されようとしている現状を、なんとしてでも止めたいからだ。歴史のための歴史ではない。いままさに、いのちが殺されるのを止めるためだ。いますぐにでも、必ず終わらせないといけない。





・今回の講演会の様子は、後日、映像がyoutubeにて共有されます。
・今回の講演内容は10/2010/23に京都と東京でそれぞれ開催された緊急学習会の内容と重複することが講演の冒頭でアナウンスされました。これら2つの講演については、12/22に『ガザとは何か パレスチナを知るための緊急講義』として書籍化が予定されています。


投稿する前に読んでくださった方、また講演会を準備してくださったみなさまに感謝申し上げます。

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