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底を覗いて水面

 鱗太郎が外出する際にいつも鞄代わりにバケツを使うのは、釣り好きだった父親の影響だ。
 父親は釣りのために生きているような男で、日中はサラリーマンとしてスーツを暇ができればすぐに水辺へと向かった。大抵は少し歩けば辿り着く湖に足を向けるが、車を走らせて山奥の川で鮎釣りに勤しむこともあれば、船を借りて沖に出ることもある。しかし仕事として漁業を営んでいるわけではなく、あくまで趣味として楽しみ、喜びを覚えていた。
 父親はよく鱗太郎をつれて釣りに出かけた。砂場で使うおもちゃのバケツを持って、鱗太郎は歩いたものだった。だから鱗太郎のバケツはいつも潮の香りを纏っていた。鱗太郎は水辺に向かうと、まずバケツの中に水をためて、手が届く範囲で魚がやってくるのを待った。時折それは虫だったり、藻だったり、小石だったり、ゴミだったりした。拾えそうなものを、手当たり次第鱗太郎は水面へと放り込んだ。バケツの中には小さな世界ができあがる。水に溺れ藻にからみとられた虫の死骸、無言で底に敷き詰められている小石たち、誰かの破片となった飴玉の袋、そうした頼りのなく意味もない物が重なり合ってバケツの中で世界を作り上げた。魚がやってくることはほとんどなかった。魚は水中では無敵で、たとえ目に映ったとしても、鱗太郎の手で掬うことはできなかった。そして父親が釣り上げるような魚は、少なくとも鱗太郎のバケツに入りきるようなものではなかった。
 鱗太郎は父親の隣に座って、時折父親の視線を追いかけた。引き締められた静寂に、釣り糸が目にうまく見えない弧を描き、やがて鱗太郎には想像もできなかった遠い地点で水の弾ける音が、まるで耳許で聞こえたみたいにやってくる。鱗太郎は凪をするりと抜けてくるその音が好きだった。真似をするように、手元のバケツに、小石を落とす。バケツの底に石が辿り着いて、間抜けで空っぽな音がする。違う、と鱗太郎は思う。もっと冴え渡った音であるはずだった。
 眼前に広がる水面を鱗太郎は見やる。水面は時に青く、時に黒く、時に赤く、時間帯によって姿を変える。光の角度、影の濃さ、空気の密度、風の強度で変容し、親子を包む。親子以外に同じ目的の人は水辺で点在していたけれども、釣り人は皆孤独のようだと鱗太郎は感じていた。釣り糸を垂らして魚が食い付く瞬間を待って、みな手元や水の奥に意識を向けている。その奥に潜んでいる生き物の呼吸と一体化するように。その水面を揺らす、あの音。鱗太郎は釣り人たちのいくつもの音を聞いた。いつだって、ルアーが水面を波打つ僅かな音、あの音こそが最も孤独だった。ただ水を揺らすだけではあの音にはならない。雨樋から水が滴る音も、水溜まりを踏み抜いた音も、手を洗う音も、猛暑の打ち水の音も、母が淹れてくれるお茶が湯呑みに渡って水面の満たされていく音も、凪いだ水面を小石が駆ける水切りの音も、水に関する様々な音色を聞き分けるたびに、鱗太郎は耳を澄ませては、釣りの景色に引き戻されていった。
 あの音をずっと追い続けている。
 おもちゃのバケツは、鱗太郎の背丈と共に大きくなっていく。
 鱗太郎の部屋には、図工で絵を描くのに使っていた黄色く丸いバケツ、ポリエチレン製のバケツに、銀色に輝く可愛らしいブリキ製のバケツ、折りたたみのできる便利なバケツ、様々なバケツが揃っている。色は様々で、青や銀といった誰もが見慣れたものから、白や緑、イエローオーカーやショッキングピンク、テーマパークのように豊かな色彩を放っていた。無地が多いが、チェック柄にボーダー柄に迷彩柄と実に多彩な模様があり、押し入れに入りきらずに部屋を日々浸蝕して、やがてこの部屋とバケツが逆転して、部屋がバケツの内部となるだろう、と鱗太郎はぼんやりと思う。そうなれば、バケツの中の世界に眠ることになる自分は果たして魚になるのだろうか。
 鱗太郎はそのバケツを生活の一部として、手提げ鞄の代わりに用いる。いつからそうしていたのか辿ってみると、父親と過ごした釣りの光景に辿り着く。片手は父親と繋いで、もう片方はバケツを握っていた。そうした場面から始まる。そして肝心の魚の記憶よりも、そして沸き立つ父親の声よりも、バケツの内部に広がるほの暗い世界で遊んでいた記憶や、水面に落とされるルアーの寄る辺ない音が蘇るのである。
 バケツは、鞄としては不便だった。中身が全て丸見えだから雨が振ったら中身が全て濡れてしまうし、誰からも中が見えた。けれど鱗太郎はあまり気にしなかった。バケツの中が虫の死骸から教科書に、藻から社員証に、小石から財布に、ゴミは時にゴミのままで、中身が変わろうとも、意味のなかったものに意味がもたされていこうと意味のないままであろうと、枠組みは頑なにバケツであり続ける。
 中でも鱗太郎が特別気に入っていたのは、小学校で雑巾を洗うのに使うようなスチール製のバケツだった。鱗太郎の家でも、水拭き掃除をするのに使用していた。ぼろぼろになっていたせいか、やがて底に罅が入り、あっという間に穴が抜けてしまった。ゴミとして捨てられるところを、鱗太郎がこっそりと拾って部屋の片隅に置いている。
 鞄としては意味をなさないその大きな無骨な穴が開いたバケツは、内部に水を溜めておくことも、物を入れておくこともできない。
 鱗太郎は時々そのバケツを持ち上げて、水底を通して外を見る。
 黒く歪に切り取られた空間の奥で、青い湖面や薄い雲がたなびく。時に紅色の夕陽が湖を照らし、罅の隙間からも赤い光が暗闇を破ろうとするようにちらちらと光る。時に雨風が穴を通り抜けてやってくる。潮の香りを伴ってやってくる。鱗太郎はバケツを通じて現実を見つめる。年月を経て周囲は急速に変化し、水辺が土砂やコンクリートで埋め立てられていこうとも、内部から覗けばまるで変わらない水面が遠くに佇んでいる。切り取られた穴の奥で照らし出される太陽の光や波の飛沫を感じ、耳の奥に、かつて父親が水の奥に落としていった美しい音が響く。あの音をもう一度聴きたいと願う時、鱗太郎はバケツを覗く。そうして見つめた先のどこかで、父親は釣り竿を振っている。空洞の遙か向こうで、水面は揺らぐ。




お題箱よりいただいたお題から:紅、雲、ほの暗い、湯呑み、バケツ



 簡単なあとがきとお礼

 こちらの小説は、「どこかの汽水域」を買ってくださった方におまけとしてつけていた掌編です。買ってくださった方々のもとでだけ、というのも乙なものですが、これはTwitterの「お題箱」を使って、様々な方々からいただいたお題=言葉を使って書いた三題噺もとい五題噺ですので、ウェブでも公開したいという思いがありました。上記の五つが、そのお題です。
 noteを始めたばかりの頃、書いては出して書いては出してを三題噺で繰り返していました。なかなか大変なことでしたが、お題のセンスが良かったこともあり、楽しいひとときでした。また似たようなことをしたいと考えていて、随分昔にも創作仲間にお題を募って一つ小説を書いたことを思い出し、同じようなことをお題箱でやってみました。

 言葉をくださった方々、改めてありがとうございました。
 いただいた言葉たちをもとに、こうした物語が生まれました。なんとも不思議なものになりましたがいかがでしょうか。断片でしかなかった言葉たちが、組み合わさって、共鳴しました。使用頻度に明らかな差があったり、無理やりな使い方をしているのはご愛敬と思っていただければ幸いです。そういうものです。
 でも少なくとも言えることがあります。
 紅、雲、ほの暗い、湯呑み、バケツ 。
 これらの言葉がなければ、一緒にならなければ、生まれなかった物語ということです。
 面白いですね。私はすごく面白いと思っていて、誰かにとってもこれは面白いことが起こったなあと思ってくれたら、それはすごく、楽しいことです。

 引き続き、言葉をお題箱では募集しています。あなたの好きな言葉、思いついた何気ない言葉、目に飛び込んできた言葉、ご自由にどうぞ。もう送ってくださった方も、ゆるい気持ちでまた送ってください。その言葉たちから連想して、またきっと物語をつくれたら良くて、楽しいことだなと、思っています。

たいへん喜びます!本を読んで文にします。