首都編の推敲で何度も読み返した本のこと
これは自分のためというか備忘録的なものでもあります。
未だに首都編を掘り返すんですか、という気がしなくもないのですけれども、本ばかり読んでいる最近なので普段の日記でもだいたい読書のことを書き連ねていてその余波がついに「余白」まで来ました。
そういえばこういう話あんまりしていなかったような気がしなくもないので、本に限らず映画や音楽やたくさんの作品に影響を受けた首都編がどういった本に影響を受けたっけというのを、自分でも忘れそうになるというか実をいうと恐らく一部忘れているんですが、はっきりとこれは推敲の際に何度も開いたなあ(辞書以外)と覚えている本を書き連ねておこうと思います。
ネバーランド/恩田陸
男子高校生四人が古き良き学生寮で年を越す話。負けたらなにか秘密を明かすというゲームをしながら互いの懐を探るように進んでいく話なんですが、そもそもこの物語自体がとても好きなのでそれで単に何度も読み返している作品ではありますが、恩田陸のさりげなくシンプルにぞっとする気持ち悪さを掬い取ってくる描写だとか演出だとかに惹き付けられて影響多大でした。
光/三浦しをん
この本が無かったら首都編は今の形にならなかった二つの巨頭本の片割れ。首都編は終盤からすごく加速していくというか暴力的な部分があってその理不尽な暴力を書くために描写自体を参考にした部分もあるし、自分の心をそういう方向に整えるために読み返した本でした。それから、すべてが崩れ落ちたその後についてを書く時にも。今も確かな地層となっているように思います。
暴力はやってくるのではなく、帰ってくるのだ。自らを生み出した場所――日常のなかへ。
なにくわぬ顔をして故郷に帰ってきたそれは、南海子のそばで息をひそめている。息をひそめて、待っている。再び首をもたげ、飲みつくし、すべてを薙ぎ払うときを。
ヘヴン/川上未映子
この本が無かったら首都編は今の形にならなかった二つの巨頭本のもうひとつの片割れ。これもまた暴力的な側面でけっこう参考にしていたんですが、理不尽な話というか最終的にどこにもいきどころのない感情が膨れ上がって虚無になる本で、すごく傷だらけの子たちが出てくるんですが、いじめのシーンが読んでいてこちらもつらくなってくるような容赦のなさなので容赦なくやろうと思った時にその部分を読み返したしそこを読んだら「ああ」と腑に落ちるというかまるきりそれ、といったことが分かると思います。
あこがれ/川上未映子
川上未映子にはまっている時期でもありました。あこがれを読んだ最初は勿論好きだったんですがどちらかというとふーんという感じだったんですが、その後NHKで川上未映子とアニメ映画監督の新海誠の対談を見てそこであこがれが取り上げられていてその内容がとても良くて、あこがれに籠められていた思い、イノセンスに関する話だとか、走る部分のことだとか、新海誠の着眼点もすごく良くてそれで改めて読み返して一読した時より深まってすごく好きになった本でした。終盤でヘガティーが走る部分の疾走感のすごさをどうして最初理解できなかったんだろうという感じですが何度読み返してもやっぱりすごいとなります。川上未映子の独特のリズムというか流れというか、言葉選びといった様々なことに多大なあこがれを抱きます。未だに夏物語は読んでいないけれど。タイミングを失っています。
きみはポラリス/三浦しをん
短編集ではありますが、繊細な描写をする際にけっこう読み返しました。順当な恋愛小説ではないのですが、誰かに向けた愛しさというのは総じてどこか繊細になる部分があって、それは相手に対するこころでもあり、自分にとってのこころでもある。その心理描写がすごく好きで上手で、疾走する場面というよりは立ち止まって相手のことを想ったりするときなどに読み返した本です。
ミニチュアガーデン・イン・ブルー/キリチヒロさん
同人誌ですが。ボーイズラブ小説で、外界を拒んで閉じこもっていくふたりの、けれど決してひとつにはなれないその魂の揺れだとか、死んでゆくものとの絡み合いだとかが魅力だと感じていて、これも繊細な場面で何度か読み返してはけっこうな影響を受けたなあと感じていて、今久しぶりに開いてみるとなんというか、書かなきゃなあという気分にさせられます。
二十三世紀本丸花丸譜・彼/玖階さん
Twitterの二次創作垢で繋がっている方でマジカルバケーションの繋がりはあるけれども普段は全然関わらないもののこの方の文章が私はめちゃくちゃに好きで、これは刀剣乱舞のたぬ歌再録集なんですが、なんというかほんとう玖階さんの良さが刀剣乱舞でばしばしに発揮されておられるように感じていて刀剣乱舞から離れていてもこっそりと本を買ったりしているわけですが当時この本読んでそしてウワーッとのめりこんで、どこか尖った描写だとか多くのことばを知っておられてそれをひとつひとつ選んでいるような感覚で、それが心地よくて読み返しながら恐れ入りながら読んで、そして書いていました。刀剣乱舞なので斬り合いのシーンがあるんですがそうした場面を書く際とかによく読み返したりもしました。
明確にとにかく読んだなあと覚えている本はこんな感じです。今となっては、ものすごく偏ってるなあ。作家的に。今より全然読書量が少ないんですよね。
これが次の続キリ編になると、同じ本を何度も読むというよりは、さまざまな本の集積というか、もっと自分の中のなにかから生まれたように思っていて、だからこういう本を集めるのならば首都編が適しているし、首都編の前に至ってはあまりに昔でほとんど覚えていないので、だからこそこうしてその場でどんなものを食しどんなものを読みどんなものを観てどんなものを聴いてその物語が育ったのかを残しておくことは、自分にとっても面白くて重要なことなんじゃないかと思い書き記したわけでした。「余白」の序盤で、続キリ編に影響を与えた音楽を語っていたのもそういうことです。そういったことを、これからもやっていってもいいかもしれません。
たいへん喜びます!本を読んで文にします。