神様の水を飲んだ猫②

娘と一緒に家の近くの公園に行く。無邪気に、純粋にブランコや、滑り台を心から楽しんでいる。ここは、自分が育った公園だ。住宅地の真ん中に位置する盆踊り会場でもあった。子供の頃、この公園で近所の人が演奏するベンチャーズを見た。思えばあれが、野外ライブ初体験だった。

砂場にも思い出がある。子供の頃、真ん中の兄貴と二人で砂場の砂を夢中で掘った。ここから地球の裏側に行けるトンネル掘ろうとしていた。どうしてそんな事をしたのか、もう思い出せないけど俺と兄貴は本気だった。結局真っ暗になるまで掘り続け、近所のおっさんに怒られて穴は埋められた。今年の正月は兄貴のバンドのロシアツアーのお土産を沢山貰った。兄貴はハードコアパンクというトンネルを通って、本当に地球の裏側まで行ってしまった。

東京にいる時は、思い出さない様に削除し、小さく丸めた故郷の景色。その景色の中で、暮らすのが何か不思議なパラレルワールドに迷いこんでしまった様で、初めはどんな顔して過ごしていいのかもわからなかった。ここに居ても良いのだろうか?クエスチョンが消えない。日常なんだけど非日常。知ってる景色だけど知らない景色。登場人物もしっかり25年経っている。スーパーの刺身コーナーで、突然同級生に再会したりする。お互いの25年間を、ものの2分くらいに纏めて話してまたゆっくりねと別れる。次はどこで再会するだろうか。

移住してバンドの活動の仕方も根本的に変わった。まずメンバーが近くに住んでいない。静岡沼津でのスタジオに4時間かけていく。スタジオを3時間入り、また4時間かけて高速で帰る。それでもスタジオは、月一回とても大切な時間だった。東京から移住しても遠距離になっても、バンドを続け発信するスタイルを早く確立させたくてそこに賭けていた。

台湾ライブは俺はセントレアから、他のメンバーは羽田から飛び、現地合流でなんとか上手くいった。北海道、福島、東京、静岡、豊田、名古屋、大阪、ライブは続く。新東名を今年何往復してるか、数えたりして、何キロ走ったか、動いている現実が嬉しかった。新作アルバムレコーディングも東京で開始。

よし。このまま突き進む。

心の中でハードコアの熱いリズムが鳴り続けている。ネバーチェンジや。何処に居ても変わらない熱い想いを放出し、囚われているものを解放する為に叫ぶんや。ライブをやり、終わったら勇んでハンドルを握り、闇の道をかっ飛ばした。

信号は常に青。黄色でも無理やりかっ飛ばした。

突然、赤信号になったのは、移住2年目の秋だった。静岡のライブ中に肺気胸で、片肺が破れてしまった。始めは何が起きたか分からない。とにかく声が出ない。汗が止まらない。胸も痛いけどなんとかして、それでも歌おうとしたが、虫の声しか出ない。そのうちにメンバーも、お客も何か変だな?嫌な空気が漂ってきた。演奏中に、歌わないでステージセンターで立っていると、立っている意味が無い恐怖に、足下が竦んでいく。敵に追い詰められたが、唯一戦う武器である刀は折れ、ただ周りを見渡している手負いの野武士。最後は丸々一曲インストになって終了。ステージを降りた。

駐車場で身体を休めるが、震えと、呼吸の乱れが全く治らない。息を吸う時、胸に不吉な痛みあり。静岡で入院になるのは避けたかったから、休み休み自走で三重県まで戻って病院に向かった。

夜の総合病院で、保険証を出し、紫色なった唇で受付の人に自分の分かる範囲の現在の症状を話した。これから始まるゾッとする現実に、ただ恐怖し、下向いてスリッパを見つめてた。返ってきた答えは

「ケン!」

再会は本当に突然やってくる。受付の人が中学の同級生だった。誰も知らない病院の中で心強い味方になってくれた。まずレントゲンを撮ると、片肺が完全に潰れているので機械で膨らます作業をするという。しばらく横になって目を瞑って休んだ。

「脇腹から管を通しますからね」

優しい声に、目を開けると、ベッドの周りは肌つや良く、大学を出たばかりの男女若い医師達が5.6人集まってた。皆、俺の脇腹を凝視している。

「ちょうど良いタイミングで肺気胸の方が来たので、よく見てるように」

「下から数えて、この肋骨とこの肋骨の間に、麻酔を打ちます」

「はい、刺して、はい、もっと強く」

悶絶の甲斐あって無事に脇腹から管が通り、肺まで届き機械が俺の身体に通った。

つづく


遠距離バンド存続のため、移動費、交通費に当てます。旅は続くよどこまでも