前世紀ボーイミーツガール

 とある田舎の海辺の寺に、貧しい家から養子に出された少年が僧として修業の日々を送っている。才覚に恵まれた少年は将来寺を継ぐように育てられるが、いざそのときが訪れると別の候補が持ち上がり、結局寺を出る羽目になる。生家を訪ねても病身の兄に「何もしてやれず申し訳ない」と泣かれるばかり。頼るあてもなくK市で金を稼ぎながら、できた友達の下宿を転々としていたある日、青年となった少年は生涯を共にする女性と出会う――。

 というわけで、今日は母方の祖父母のなれそめについて書きたい。そもそも私がこの記録を始めたのは祖父母の話をいつまでも覚えていたかったからである。私と違って波乱万丈な人生を歩んできている二人なので、普段より面白い話題になるのではなかろうか。

 さて、前述の通り祖父はほぼ天涯孤独の身であった。生まれた家に両親は亡く、病気の兄は寺から追い出された祖父を大層不憫がってくれたものの、祖父のほうが「この人に迷惑はかけられない」と思ったそうだ。
 K市に出てきた祖父は一年ほど働いて金を溜め、大学に入ったそうである。生活費を稼ぎながら学生として勉学に励むのは大変なことだったろう。実際祖父はいつも金がなく、友人の下宿先を泊まり歩いてなんとか暮らしていたようだ。

 祖母はこの「友人の下宿」の一階にお姉さんと住んでいた。一軒家の上下階を大家がそれぞれ貸し出していたらしい。
 祖母の姉は朗らかながらも潔い人で、戦争に行った婚約者が生きて帰らなかったので一生結婚はしないと誓った人だった。母を早くに亡くした祖母はこの姉に育てられたも同然であったという。

 祖父が初めて家に来たとき、祖母は肺を病んでの自宅療養中だった。遠くから来た親戚が「栄養をつけなさい」と肉や野菜を見舞に持ってきてくれたので、たまたま豪勢にすきやきをしていたそうだ。上階の学生が友達を連れてきたのを見て「ご一緒にいかがです?」と祖母の姉が声をかけたらしい。具合も悪いし、寝巻だしで、祖母はその日ひと言も話さず大人しくしていたそうだった。

 祖父はこのとき「なんて綺麗な人だ」と祖母に一目惚れしていたらしい。だが慎ましくも二人はろくに目も合わさず、すきやきを食べて終わったとのことだった。
 再会はしばらくののちやって来た。療養生活が終わり、スケート場のカフェでウェイトレスのアルバイトを始めた祖母が仕事をしていると(時期的に戦後すぐくらいだと思うのだが、出てくる単語がハイカラだ)友達に連れてこられた祖父とばったり出くわしたそうである。

 祖母がときに遅くなるまで働いていることを知ると、祖父は「危ないのでそういう日は僕がご自宅までお送りします」と申し出てきたそうである。
 初めてこの話を聞いたとき、少女漫画で育った私は「ヒ~!」と変な叫び声を上げそうになった。現実にそんなやりとりがあるなんて信じられない。ときめきがすごい。私の知る祖父はビールとマグロが大好きで、いつも股引を履いていて、お腹がぽっこり出ていたのでそのギャップも激しかった。

 自分だって生活が苦しいだろうに、祖父はきちんと約束を守って祖母を送り続けたそうだ。そうこうするうち二人はやがて好い仲になり、結婚を考えるまでになった。
 祖父は天涯孤独である。あの時代に家というバックグラウンドがないのはかなり不利な条件だったのではと思う。「こんな己で良ければ一緒になってほしい」と言う祖父に祖母は返した。「自分にとって親代わりだった姉を最後まで見させてくれるなら」と。こうして二人は結ばれた。

 祖父母は本当に仲睦まじく、五年ほど前に祖父が亡くなってから祖母はずっと寂しそうにしている。子供の前ではしたない面を見せる人たちではなかったので、私が二人の円満ぶりに気がついたのはかなり後になってからだ。

 祖母と二人きりになると私はここぞとばかりに思い出話をせびっている。亡き想い人との記憶を語るとき、祖母の表情はいつもより若く美しい。