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堀江敏幸『雪沼とその周辺』《砂に埋めた書架から》51冊目

 堀江敏幸を知ったのは、白水Uブックスの『郊外へ』を手に取ってからだった。

 私はその随筆のような味わいのする創作の文章を読んだ。滋味豊かな落ち着いた日本語、しかもフランス文学を専攻している作家独特の癖のようなもの(それは魅力でもあるのだが)が、文章の香りとして立ち上っていた。

 読むうちに格好いいと思えてきて、それ以来私はすっかり好きになってしまった。

 本書はその題名が示すとおり、「雪沼」という片田舎の町およびその周辺の土地で生活をする人々を描いた連作短編集である。

 内容は地味といえば地味で、派手な事件や奇抜な出来事が起こることはないのだが、堀江敏幸の小説の魅力はそこではなく、丹念に人物を掘り下げるその眼差しの引き寄せ方なのだ。

 人はそれぞれ職業を持って暮らしている。ボーリング場の経営者、料理教室の先生、段ボールの裁断機を操作する工場主、書道教室の先生、レコード店店主など。彼らは普通の人間であり、そして普通の人間がそうであるようにある種のこだわりを持ち、それに楽しみを見出して人生を送っている。堀江敏幸の眼差しは、彼らを優しく見つめながらも、新鮮な角度から鋭く洞察する。そこから生まれる作品の奥行きと深みこそ、堀江敏幸にしか描き得ない人間の機微と鋭い真実なのだ。

 堀江敏幸の丁寧な日本語であぶり出される人生の断面は、派手な事件や奇抜な出来事以上に、実はドラマティックなのである。

・「スタンス・ドット」
・「イラクサの庭」
・「河岸段丘」
・「送り火」

以上の作品は、特に印象に残った。


書籍 『雪沼とその周辺』堀江敏幸 新潮社

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■追記■

 この書評(というよりは感想文)は、2004年5月に作成したものです。

 昨年投稿した記事、「砂に埋めた書架から」41冊目で、私は堀江敏幸氏の華麗なる受賞歴について触れました。今回紹介した短編集『雪沼とその周辺』(2003)は、そういう意味では文句なしに著者の代表作です。この一冊だけでも、堀江氏は三つの文学賞を授かっています。


『雪沼とその周辺』
2004年 第8回木山捷平文学賞受賞
2004年 第40回谷崎潤一郎賞受賞

「スタンス・ドット」(『雪沼とその周辺』所収)
2003年 第29回川端康成文学賞受賞


 優れた短編小説に贈られる「川端康成文学賞」を受賞していることからもわかるとおり、堀江敏幸氏の短編には名作が多いです。名作の宝庫と言っても言いすぎにはなりません。

 自分が愛好する堀江敏幸氏の短編をいくつか上げさせて頂きます。

「夜の鳥」(『郊外へ』所収)(1995)
「貯水池のステンドグラス」(『おぱらばん』所収)(1998)
「砂売りが通る」(『熊の敷石』所収)(2000)
「アメリカの晩餐」(『ゼラニウム』所収)(2002)
「送り火」(『雪沼とその周辺』所収)(2003)

 好きな作品集から一冊につき一作品ずつ選びました。どれを読んでも堀江敏幸氏の特色が出ていると思います。ため息が出るほど文章が巧く、上品。さりげない緊張感を湛え、尚且つ、そこはかとなく漂う色気。私が言うのも変ですが、堀江氏の文章は、完全に玄人好みの文章だと思います。

 たとえば、『雪沼とその周辺』の中の一作、「送り火」という短編は、2007年のセンター試験に出題されたことで知られています。私も2004年に書いた自分の「書評」で印象に残った作品としてあげていますが、少し文章を書く人なら、読めばあまりの出来映えの良さにうちひしがれ、へこんでしまうくらいに優れた短編小説です。川端賞をとった「スタンス・ドット」も相当凄い作品ですが、「送り火」も凄いです。敢えて言うなら、伝えたいことを書かずに伝える技術。それが、この作品では超絶に上手く使われています。作中のプロポーズのシーンは、だからこそ胸がキュンとしてしまうのだと思います。

 小説の作り方は、作家によって、それぞれ独自のやり方があるかと思います。プロットを作る人、作らない人。初めから順番に書いていく人、シーンごとに独立して書き、そのブロックを繋げたり入れ替えたりして小説を作る人。さまざまなやり方があると思います。

 堀江氏が文芸誌の対談で、ご自分の小説の書き方について語っていたことがありました。その文芸誌が私の手元にあるかと思って今探してみたのですが見つからなかったので、たぶん、書店で拾い読みしたものだったかも知れません。少し不正確なところもあるかも知れませんが、私が覚えている部分だけでもご紹介します。

 堀江氏は、初めからおしまいまで、順番に書いていくそうです。もし、途中で行き詰まるようなことがあったら、それはどこかで間違いがあったということなので、また最初に戻って一から書き直すのだそうです。そうやって書いていき、規定の枚数まで書き進めたらそこで筆を置く。つまり、どこでやめても小説が成り立っているという書き方なのです。

 私の不正確な記憶なので、本当は違うことをおっしゃっていたかも知れませんが、私はこの話を読んだとき、驚愕しました。そして、順番通りに書いていくというその意味は、次に続く言葉が、前に書いた言葉と有機的に繋がるように緻密に文章を組み立てているということだと私は思いました。文章が進めば進むほど、先に積み上げたイメージが、後の方で連鎖するように結び付き、一塊となった感動を与えるのです。『雪沼とその周辺』は、まさにそのようにして作られた短編集だという気がしました。

 いずれにしろ、誰にも真似のできない、これは堀江敏幸氏にしかできないことだと、嘆息するほかありません。


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