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エッセイ・覚え書き集

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経験も空想のうち。空想も経験のうち。
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記事一覧

とある「小説書き」の場合【小説を書いたり読んだりする人が答える20の質問】

 小説を書く人は、ある日、突然生まれる。  人が、初めて誰かに読まれるための作り話を書き始めたとき、それは「小説書き」が生まれる一歩手前だ。まだ「小説書き」ではない。ではいつ生まれるのか。たとえ短くても、書き始めた作り話を最後まで書き終えて最終の句点を打ったとき、その人は「小説を書き」になる。最終の句点を打った作り話は「作品」と呼ばれるようになり、そうやって生まれたばかりの「小説書き」は、さらなる自分の満足を求めて新たな作品に着手する。  わたしがそうだった。小説を書くこ

海亀湾少年のマンガ【エッセイ】

 中学時代の作品を投稿する自虐企画、海亀湾少年シリーズも今回が最後である。  最後は自分にとって恥ずかしさMAXと言ってもいい作品を紹介したい。それは漫画である。わたしは小学生の頃から漫画が好きで読んでいた。読んで楽しいと、自分も真似をして何かしら書きたくなる性分だった。小学生のときは友人たちとオリジナル漫画を書き合い、コミック誌を作ったこともある。漫画を書くことは中学まで続いたが、手元に保存できている作品はわずかだ。今回はその中のひとつを、かなり恥ずかしいが公開しようと思

海亀湾少年のイヤミス【エッセイ】

 中学生になったわたしは、ショートショートをはじめとした小説の習作を大学ノートに書き付けるようになったが、その中に、これは、という作品が紛れているのを発見した。もちろん下手である。文章はひどいし、漢字や送り仮名の間違いが多く、物語も粗末なものだ。けれども、珍しいことにその作品はミステリー小説だった。そして、中学生だからこそ書けたというような、犯罪に手を染める大人を主人公にした作品だった。これは今で言う「イヤミス」と呼ばれる小説ではないだろうか。わたしは何十年かぶりに自作を読み

海亀湾少年のショートショート【エッセイ】

 短かいから読みやすい。短いから書きやすい——。  ショートショートを制作したことがある人なら、これと似たようなことを思った人は多いのではないだろうか。初めての創作で、いきなり原稿用紙百枚分の純文学作品を書き上げるのは難しい。けれども、小説の面白さを知った読者が、自分にも書けるのではないかと思い、小説の実作に挑戦しやすいのは、このショートショートという型式のように思う。  わたしもそのパターンだった。  小学生の頃から漫画のみならず、文章だけの子供向け読み物も好んでいた

令和五年の短編あとがき・覚え書き集

 こんにちは。  初めての方、はじめまして。  毎年、最初の投稿は、昨年noteに発表した自作短編小説のあとがき、覚え書き、をまとめたものになります。令和五年は新作と改作を併せて、計七本の短編を投稿させて頂きました。  いわゆる自己満足の企画ですが、私の短編を読んで下さった方、これから読んでみようという粋な方、読んではいないが創作の裏側に興味のある方など、この記事に付き合って下さる親切な方に、予め心からの感謝を申し上げます。 ◇◇◇ 1.『ブラッディ・ザネリ』の覚え書

再投稿のお知らせと十六年前のカメラ【エッセイ】

 写真が好きである。  noteで「#写真が好き」というお題の募集があり、二年近く前に自分が書いた小説のことを思い出した。そこに出てくる主人公は、まさに私自身である。一眼レフのカメラを買って、撮るのが楽しくて、常に持ち歩いていた頃の自分である。同じ観光地に何度も出掛けて、同じ写真を何度も撮っていた自分である。  堀江敏幸の『本の音』という書評集を読んでいたら、その中に(一眼レフという「生首」を手にした者が……)という表現が出てきた。この一文を目にしたとき、ああ、自分が肩か

とある「本好き」の場合【#本好きの30問】

 たとえば、本屋で待ち合わせを指定されても嫌とは思わない。  そこで二時間くらい待たされたとしても、酷い目にあったという感覚はあまりない。  本のある場所に喜びを見出すのが得意で、本さえあれば余裕で時間を潰せる人たち。  それが「本好き」である。  noteで小説などの優れた創作物を発表している闇夜のカラスさんが、「本好き」のためのアンケートとして、30問の質問を考案してして下さった。  自分の読書歴とその変遷を振り返るいい機会になると考えた私は、過去の記憶を掘り起

目次の代わりに

 noteに投稿した自作の「短編小説」を、カテゴリー別に分けてみた。どんな小説を書いているのか関心を持って下さった方への、目次の代わりになるのではないかと思ったのだ。  特にお勧めの作品は、サムネイル表示でリンクを貼ってみた。  この目次で初めてみるタイトルが見つかり、それが読むきっかけになってくれたら嬉しく思う。 ※作品の追加により、随時更新いたします。(2024/10/20更新) ■コメディー小説喜劇は言葉ではなく状況に宿る クレアの前の前の前の彼 間男のでん

令和四年の八つの短編

 こんにちは。  初めての方、はじめまして。  新年が明けて最初の投稿は、毎年決まっています。  昨年noteに投稿した自作の小説に、あれこれ註釈を加えた「覚え書き」を残す作業です。  三島由紀夫には『花ざかりの森・憂国』『真夏の死』そして『殉教』という自選短編集があり、いずれも新潮文庫から出ていますが、『殉教』を除く二冊の巻末には、著者自らの手による自作自註が載っています。おこがましいことですが、多分、私はその三島のようなことをやってみたいのだと気付きました。作品のレ

本の落ち穂をあの頃モテなかった自分へ【エッセイ】

 人には、異性にモテたいと切実に願う時期が必ず訪れる。その時期を一括りにして、青春と名付けていいものかは議論の余地もあろうかと思うが、十代や二十代の頃に、モテたいという思いを抱いた経験のある人は多いはずだ。  十代の私はモテなかった。理由ははっきりしている。自分に自信がなかったからだ。私は本に逃げ込んだ。異性にモテる方法を本に求めたのである。そして得た結論は、異性にモテるには行動することが大事だということだった。自信は行動することで得られる。言い換えれば、行動することでしか

本の落ち穂をためつすがめつ【エッセイ】

 二十代のとき、私は埼玉県にある会社の寮に住んでいた。職場の二階に六畳のスペースを与えられ、すべての家財をそこに詰め込んで数年間暮らした。  本好きだった私の部屋は、いくつかの衣裳ケースとパイプベッド、14インチのブラウン管テレビとミニコンポ以外は、すべて本とCDと雑誌にまみれていた。  ある日、後輩のK森くんが私の部屋をノックした。K森くんは、青森県出身で映画と洋楽を愛好する純朴な青年だった。私の部屋に彼が訪ねてくるのは珍しいことだった。  ちょうど私は、小さな折りた

本の落ち穂を拾い束ねて【エッセイ】

 考えてみれば、本は必ずしも本棚にあるわけではない。机の上はもちろん、食卓やテーブルの上、床や畳の上、ソファーやベッドサイド、押し入れやクローゼット、あるいはトイレ、あるいは階段、出窓、下駄箱、脱衣所、ガレージなど、本は室内のありとあらゆるところに侵食する性質を持つ。  本にとって本棚は特等席に違いないが、お気に入りの本だからといって本棚に収めておくとは限らない。今読んでいる最中の本は、持ち主の意志により、ありとあらゆるところに連れて行かれる運命にある。  本は、生活空間

本棚は生き物である【エッセイ】

 自分の本棚を写真に撮ってみて気付いたことがあった。写真を撮るたびに表情が微妙に変わっている。そう、本棚は生き物なのだ。 2021/4/19 / 2022/3/13 /  2022/4/8  本の出し入れをしているうちに、本があちこちに移動してしまう。元の場所にしまう気がないのではなく、しまうところがないのが原因なのだ。  私のメインの本棚は、現状、床の上といっても差し支えない。  自分の部屋がそんな状態なので、私は本に関しては非常に恐縮しながら暮らしている。自分の机が

十一の短編の覚え書きとネムキリスペクト

 こんにちは。  初めての方、はじめまして。  昨年、私は十一編の短い小説をnoteに投稿いたしました。  年の初めに、その自作の覚え書きを書くのが私の毎年の習わしになっております。興味のない方からは、すぐに回れ右をされてしまうという年に一度の自己満足記事ですが、どうかお許し下さい。  さて、投稿した十一編が書かれた理由には、共通していることがあります。それはnoteユーザーであり詩人であるムラサキ氏が主催する『眠れぬ夜の奇妙なアンソロジー』に参加するために執筆した作品