見出し画像

独りの時間を、愛そう

日曜の午後、駅近のいい感じのコーヒー屋さんに行ったら満席だった。仕方がないから18時くらいから行こう。きっとその時間なら空いているだろう。

インスタのアプリを消した。先週消した。かと言いながらもちょくちょくグーグルの検索口から見てしまう。好きなスポーツ選手のストーリー、ちょっと気になっている人の投稿、どれも素敵だと思う。

インスタのアプリを消したのは、インスタに支配される時間を奪い返したかった。僕は暇さえあればいつでもSNSを開いてしまう。惰性でだ。特に開くことに意味などない。なんとなく、それはもう無意識のうちに、くしゃみをするように、息をするように、SNSを開く。僕の生活からは切り離せない一部となっていた。

インスタは他人のその瞬間を垣間見ることができる、素敵なお店に行ったり、友達と卒業旅行に行ったり、気楽に自分がいいなと思ったものをシェアすることができる。とっても便利で素敵なアプリだと思う。

いつからか、インスタを見ないと体がムズムズする仕組みになってい他のかもしれない。僕の、僕だけの、この時間。この時間をただ惰性でインスタに使われてもいいものか。そんな疑念が沸いていた。だから消してみたのだ。

さて、消してから一週間。どうだったか。良い。まあ、時々ブラウザから見てしまうのだが、良い。自分の時間ができた。その時間を仕事だったり、自分の今考えるべきことややりたいことに使えている。心、目には見えないけど、これがフルネスになっている気がする。マインドフルネスだ。

スマホひとつあれば、何でもかんでも色んな情報を簡単に見ることができる。ただ、それをし過ぎてしまうと、もう、お腹いっぱいなのに、まだ食べてしまうような、そんなことが起きてしまう。

いつでも誰とでも繋がることのできる世界、もし、スマホが江戸時代にあったなら、きっと今この世界は誰も予想ができないものになっていただろう。でも、江戸時代にスマホなんてなかった。それでも人々は生きていた。現代社会は江戸時代よりも便利なものが増えたが、それと比例して幸福度も上がっているのだろうか。僕はそんなこと調査していないので、言い切ることはできないが、きっとそうではないんだと思う。

繋がるからこそ、繋がらないことが怖い。持っているからこそ、失うのが怖い。きっと、みんなこんなもんなんだと思う。独りになってしまうのが恐ろしいんだと思う。誰もがそうだと思う。心理学の授業で習った気がするが、人は生きていくためには他者と共存する必要がある。他者と共存できなければ、人は死んでしまう。きっとそういう心理が働いているのではないだろうか。

ただ、不要につながりを求めることは本当に今必要なのか。つながり過ぎているからこと、一度繋がらないことを選んでみてはいかがだろうか。他者が今この時、何をして、誰といて、どんなものを食べて、なんてあなたが本当に知るべきことなのだろうか。

あなたが知るべきなのは、誰が何をではなく、自分が何をしたいか、どこに行きたいか、何を食べたいか、そんなことだけでいいと思うのだ。常に誰かとお繋がっていないと不安になるかもしれない。誰かとメッセージのやり取りをしていないと怖いかもしれない。でも、そんなことに恐れて自分を苦しめることが一番辛いのだ。

独りの時間を、愛そう。休日は11時くらいに起きて、紅茶でもコーヒーでも水でも飲んで、天気がよかったら散歩して、気になるお店に入って、やってみたかったけど後回しにしてたことをやって、それでいいんだ。

誰かと繋がることは悪いことじゃない。ただ、誰かと繋がっていないといけないと思うことは、きっとしんどいことだと思う。そんなことはない。思い切って独りになってみよう。自分が無意識に考えていたことに気付けるかもしれない。素敵な何かに出会えるかもしれない。それでいいんだと思う。

独りは、素敵だ。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?